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女に生まれて

19の時に新宿の飲み屋で働き始めた。店の女の子の中で一番若く、一番未熟だった。自分でも私の若さは武器になることがわかっていたから、何をしても帳消しになるような感覚で働いていたんだと思う。実際、ビールの栓が抜けなくても、「おかわり」と言われて何を飲んだか覚えていなくても、ウーロンハイを頼まれてウーロン茶とウイスキーを割ったものを出してしまっても、一度も嫌な顔をされたことはなかった。「かわいい」「綺麗」といった客の誉めそやす言葉を受け、照れ臭そうにしながらも女であることの特権と少しばかりの優越感を誇らしげに噛み締めていた。
働いていた時、他の女の子と一緒にお店に立つことがあった。その人は私より年上で、私と対をなす存在として見られていた。私が未熟で彼女はベテラン、私が若くて彼女は年増、透明感のあるなしまで。自分が何をしても優位に立てる、そのような状況に置かれた私は、限りなく脆く儚い私だけの楽園を、永遠に続く特権かのように享受していた。
22になり、私は店を辞めた。久しぶりにお店によると新しい19の女の子が働いていた。そこには私がかつて存在していた構図がそのまま残っていた。男がおくる持て余すほどの褒め言葉を、謙遜しながらも誇らしげな表情を見せる女の子。女が2人いる時、男はそれに優劣をつける。そして若さはそれの手っ取り早い指標だ。私にはもう女であることの特権を使うことはできなかった。

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