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『どうにもとまらない歌謡曲——七〇年代のジェンダー』舌津智之 を読んで    「やさしい男たちと激しい女たち」

 1970年11月、三島由紀夫は45歳で割腹自殺し、強い男の文学が終わり、反安保・学生運動は終焉し、奇妙な静けさに、やさしい男の歌があらわれた。この『どうにもとまらない歌謡曲』の分析する通り、時代と社会を「映し」かつ「移す」歌謡曲(12頁)は、闘争につかれた男たちが自己中心主義の社会生活者として、冷たく臆病な「やさしさ」で生きる姿を映した(『神田川』かぐや姫)。女たちは激しく強く連帯することを求めたが、自らのセクシュアリティをフェミニズムの中に主体的に押し出せなかった。
 「あの頃」は半世紀も前の過去でありながら現在に突き刺さっている。あの頃青春だった私は個人的葛藤が始まっていた。頭の中で鳴っていた歌は『時には母のない子のように』(カルメン・マキ)であり、『傘がない』(井上陽水)だった。新宿駅西口で自分の詩集を売っていた髪の長い友は、「松葉のわかれ」と呟き、いくつかの詩を与えて去った。
 聴くともなしに憶えている歌からあの頃の「気分」を思い出した。舌津氏は「70年代は女性と歌謡曲の解放に揺れ動いた時代」だったという。それは、いまも懐古する状況になっていない。「遠ざかる記憶こそが最新のリアリティを帯びるのだ」と(13頁)。私も個人的な経験から人性への問いを重ねても良いのだ、老いても葛藤に終わりはないと改めて思えてきた。
 『瀬戸の花嫁』は「嫁に行く」結婚という日本的強迫観念を埋め込んでいるとの分析に、私が居心地の悪さを感じていたのはそれだったと納得した。「愛があるから大丈夫」ではない。女の一生は恋愛・結婚・出産までで、後は母性神話に引き継がれ、その領域外でいかなる創造的人間の生もない、暗闇だ。人生そのものを書かれたテクストとみなす想像力があれば歌の裏側は見える。『こんにちは赤ちゃん』を歌った歌手は、この歌は嫌いだったという。「わたしがママよ」という幸せ感がいかに排他的であるか。殿様キングの『女のみち』を複雑な言語作品として、男歌か女歌かという両義性分析から、社会の周縁で生きる男女の「きっとつかむわ幸せを」は「未知なる道」への願望を歌っているとこの書は解剖する。
 舌津氏は歌詞とメロデイの絶妙な調和、神秘の瞬間を詩と捉える。氏は想の中で歌っている。作詞家阿久悠に、「強制的異性愛の呪縛とその超克を核心的な主題とした」との賛辞を捧げ、山本リンダの歌は「性的役割を流動化したバイセクシャルソング、異性愛からの解放の歌だ」という。(171頁)
 そうした歌は、世を「移す」歌として、詩へと飛翔するだろう。
 日本語としては逆転している「優しい男たちと激しい女たち」の、表現としてのジェンダ―を見極めて、歌謡曲言語の脱日本化を実践している驚きの研究書だ。
 その後、半世紀を経て徹子の部屋に登場した「かぐや姫」の南こうせつは『神田川』は場が盛り下がるので歌うのをやめた一時期があったが、人も自分もこの歌に愛着を持つことに気付いて以来コンサートでは必ず歌うという。時代と歌は人の心に突き刺さっているのだろう。
 また、太田裕美『木綿のハンカチーフ』の詞を書いた松本隆は、2023年9月、南佳孝とのデュエット曲『夕方のブランコ』を発表した。モチーフがブランコとは、少年少女の世界と言うが、あまりにも懐旧的ではないかと思うが、「結びつきにくい人の心のつながり」を描きたかったという。
 都会では公園のブランコに子どもは遊んでいない。人と人は(男も女も)ブランコのような危ういつながりでは、もう生きていけない。寂しい感情は世界を覆っている。


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