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La Caza 『狩り』カルロス・サウラ

今日2月10日はカルロス・サウラの命日である。別にこの日に向けて準備してきたわけではないのだけれど、あれこれ周辺作品を追っていたら初めてその作品に触れてからあっという間に2ヶ月ほど経ってしまった。放っておくと来年になりそうなので、見切り発車で今回からサウラの作品について徒然と書いていくことにする。サウラ様、これからしばらく付お付き合い願います。

サウラの名前はそれまでも聞いたことがあったものの、80年以降のフラメンコ作品をはじめとした音楽作品がその代表作だと思い込みんでいたので、ダンス映画のひと?じゃあ後回し!ということで後回しにしてきた。訃報に際しても怠惰ゆえ改めて調べ直そうともしなかったのだが、縁あって60-70年代作品に出会えその才能にとても感銘を受けた。

なかでも公私パートナーとなるジェラルディン・チャップリンとの素晴らしい作品群を中心に見ていきたいのだが、まず一本目はいろいろな意味で重要な作品1966年『狩り』を選んだ。サウラの名を世に知らしめた初期代表作にして、私が最初に見たサウラ作品。また今作でプロデューサーを務めたエリアス・ケレヘタとは、以降1980年までに合計11本組むことになる。今作でベルリン映画祭監督賞を受賞し、ニューヨーク批評家連盟がレネ『戦争は終わった』ベルイマン『ペルソナ』に次ぐ優れた外国に選んだことから、国際的に知られる監督になった。制作チームはいつも固定で音楽にルイス・デ・パブロ、カメラにルイス・クアドラドとその弟子テオ・エスカミーリャ、編集にパブロ・デル・アモと常に同じで、ここにアンヘリーノ・フォンスやラファエル・アスコナ、チャップリンが加わることになる。

中年男3人が郊外に狩りに出かけて過ごす1日の話である。中年3人はファランヘ党員の古い馴染。若い女に浮気して離婚したせいで懐さみしいホセは、やり手のビジネスマンのパコに金を借りる口実を探してる。パコの工場で働くルイは気分にむらがあり、唐突に好きなSF小説を諳んじて世界の終わりを夢見てる。3人にくっついてきたまだ十代のエンリケはパコの義弟で、ウサギ狩りは初参加。小さな諍いはメセタに降り注ぐ強烈な日差しを浴びて徐々にエスカレートしていく。

登場人物はおもにこの4人だけで、前2作の大所帯とは打って変わって、濃密な空間設計と心理の分析に集中している。話はぼーっと見てると特にどうということはないのだが、面食らうことにこの映画うさぎを撃って撃って撃ちまくる。仕留めた獲物を運ばせるため犬を使うのだが、この犬(コカ)も自分で狩りをするのが好きで、噛みつかれたうさぎはなかなか死なず、無惨な絶鳴をあげて振り回された末に息絶える。

さらに後半はフェレットを使った巣穴攻めも行われ、どう撮ったのか、フェレットが穴の中を這い回り怯えるうさぎに襲いかかる一部始終が見られる残酷なクライマックス。サウラは執拗なほど作品の中で動物を殺戮していくので、毎回今度はどんな動物がひどい目に合うのかハラハラする。巣穴の撮影もだが、自然光、トラッキングショットや当時としてはまだ珍しいマクロキラーでの撮影が見どころである。

直接プロットには絡まないが、内戦時代を彷彿とさせる遺骸が出てくる。荒野に無数に開いたうさぎ穴に混じって、丘の中腹にあいた横穴の奥に軍服を身に着けたままの白骨が放置されている。このあたりがグティエレス・アラゴンをして『狩り』の先に『狩り』なく、『狩り』の後に『狩り』なし、といわしめた所以か。

パコ演じたアルフレッド・メイヨは次作ペパーミントフラッペでも登場する。キャリアが長くて、かつて反乱軍側で内戦を戦い1942年にはフランコが変名で書いた自伝の宣伝映画『種族』で主役を演じてる。

以下論文「フランコ期における民衆の表象 :カルロス・サウラ、La Cazaにおけるうさぎ」は今作の時代背景と制作と公開経緯、劇中の表象を分析しており大変参考になる。近現代史を手早くまとめた年表も便利だし、大土地所有制度やうさぎの表象を詳しく分析していて面白い。書いたのは静岡大学教授大原志麻で、他にもベルランガ『マーシャル』やニエベス・コンデ『溝』などの批評書いており、乾英一郎『スペイン映画史』と並んで勉強させてもらった。スペイン映画関連本は少ないので、翻訳仕事やもっと長く包括的な論考を是非書いてほしい。

以下制作まわりから一部を引用しておこう。『マーシャル』でベルランガが体験したのと同じく、検閲のいい加減さの一端が伝わってくる。

通常スペインでは映画監督になるには見習いから下積みを積むか、組合からのバックアップ、もしくは短編映画の制作を始めるか映画学校で学ぶかである。サウラの場合は、HEC(Instituto de lnvestigaci6n y Experiencias Cinematograficas)で 1952年から53年学び、同校で1957年-58年に教鞭をとり、ドラマではなくドキュメンタリーに傾倒した。この時期のドキュメンタリー制作者としての活動がLα Cαzα につながる65。 EOC(Escuela Oficial de Cinematograficas)で も1962-65年まで教え、その後は映画監督業に専念する。サウラは3本目の長編映画で、内戦の記憶を扱う低予算の映画であるLα Cαsaの制作を企画したものの、1年かけて制作会社をまわり、台本を見せた6社に断られている。スペイン内戦を扱うデリケートな内容であるLα Cαzαに対する検閲の対応は、意外にもサウラに有利なものだつた。フランコ体制は、「解放的な独裁制」(una dictadura liberal(1962‐ 1969年 ))と いわれる近代化の過程にあった。1959年に経済援助と引き換えに米軍基地の設立を認めるなど、国際的な援助を希求する段階にあり、民主的なイメージを対外的にアピールするため、文化面、特に映画に配慮され、情報観光大臣フラガと映画演劇総局長エスクデーロの下、以前と比べてかなりの自由が認められた。1965年 12月 13日の検閲では、「攻撃性と悪意があるが、禁止する理由は見つからず、多くの人々に映画の持つ悪しき考えは理解されないものと思われる」と 公開が認められた。またサウラの方も、60年代における問題を避け、商業的な阻害を避けようとした。 フランコ期の検閲では、性的描写と残酷さに注意が払われ、特にフランコ体制が「平和と就業の25周年」(XXV aios de paz y de trabaio)を 祝つたばかりの時期において、内戦を街彿させる描写が避けられた。検閲は以下のような訂正を指示した。まずオリジナルのタイトルであるLα Cαzα de conejo(うさぎ狩り)を「「うさぎ狩り」よりも「狩り」の方がよりよいタイトルであることは疑いない」と conejoを削除した。理由はconejoが俗語で腔を意味するため、セクシュアルな響きがあるからである。またビキニ姿や半裸の女性のグラビア雑誌とうさぎの死体のショットに配慮すること、「胸糞が悪い」と 「小便してこい」、「フエレットというのは、ある種の人間を指すのだ」「そいつらはうさぎみたいなものだ」、「毎日スペインで12000000ペセタをカエルどもが消費する」、「俺にキリストみたいな面をはりつけた」といった台詞を削除することが指示された。また、うさぎを殺すシーンがゆきすぎにならないように注意すること、バーの名前「スペイン(Espana)」 を変更すること、聖職者を全てのシーンで扱わないこと、骸骨を兵士とせず、内戦への言及を排除することなどが指示された。検閲期の映画は「みつばちのささやき」のようにセリフが少ない映画が目立つがLa Casaも同様である。Lα Cαzαが気に入ったブニュエルが台本を読んだ際「なんて対話が少ないんだ。しかも普通の対話だ!」と 驚き、サウラ自身も「台本には何もなかった」と述懐している。サウラはLα Cαzαがスペイン国内では限られた知識層もしくは大都市でしか理解されないだろうと考え、国際映画祭での成功を期待する。実際スペイン内での1965年-67年の間で収益は536位であった

フランコ期における民衆の表象 :カルロス・サウラ、La Cazaにおけるうさぎ

高密度の情報を詰め込んでいてそのぶっきらぼうな筆致は『狩り』のスタイルに倣ったかのようだが、サウラの演出法とテーマをあたうかぎり抽出していて、私が書き足すことはなにもない。そのかわりといってはなんだが、1980年までの監督作品を見たところ、サウラが終始'対決'を描いている点は今後も着目していきたい。で、このモチーフに通じる論文末尾に挿入された今世紀に入ってからの物騒な事件の紹介文がやや唐突だが、ソロゴイェン『理想郷』を思わせる現代スペイン映画にも脈づく題材となるので蛇足を承知で補足しておこう。(正直ここまでの精緻な分析があるなら他に書き継ぐことがないのがホンネ)

2007年 1月 13日 ウエスカのファゴの村長ミゲル・グリマの死体が絶壁の奥から表れ、一ヵ月後グリマと常に争っていた森林・家畜の管理人サンティアゴ・マイナルが逮捕された。
共犯者の存在が取り沙汰されたが、単独犯で決着したようで、マイナルは殺害容疑で20年の実刑判決をうけ現在も服役中。被告は市長と懇意の仲だったのにも関わらず、折からの施政方針を巡って仲違いするようになる。村人の七割が村長に抗議文を送る紛糾状態となり、マイナルは彼らを代表して犯行に及んだと供述している。マイナルはPSOEの党員で、グリマはPP(国民党)党員とあって、この事件は週刊誌を大いに賑わせたようだ。

『狩り』が映画祭で話題を呼んだ時に海外からの反応がこぞって内戦への表象に集中したのに対して、国内の反応も考慮してではあろうがサウラは冷静に暴力一般を描いたものだと答えている。この時期のスペイン映画全般に言えることなのだが、フランコ時代の表象というのは、自戒も込めて慎重に見ていきたいものである。

というわけで一本目の記事は三文記事で締めくくるなんとも締まらない幕開けとなってしまったが、今後の展望と視聴環境について書いておこう。まずは1959年『ならず者』から1979年『ママは100歳』までの13本を取り上げ、その後は時間と気分がのれば後続作品も見るかもしれない。この時期のサウラの作品は日本語でほとんど見られないが、しかーしflixoleというスペイン最大の配信サービスにて英語字幕付きでほとんどが視聴可能である。これ超便利。ここで見られる70年代スペイン作品全般については別途記事を準備中。

そんでサウラの研究書でも評伝でもいいからはよ誰か出して。あと日本語版の上映と分厚いリーフレットか本、駄目ならせめて配信求む!

La Caza
『狩り』
1965
91m
Directed by Carlos Saura
Written by Angelino Fons Carlos Saura
Produced by Elías Querejeta
Cinematography Luis Cuadrado
Edited by Pablo González del Amo
Music by Luis de Pablo

Ismael Merlo as José
Alfredo Mayo as Paco
José María Prada as Luis
Emilio Gutiérrez Caba as Enrique (credited as Emilio G. Caba)
Fernando Sánchez Polack as Juan
Violeta García as Carmen
María Sánchez Aroca as La Madre de Juan






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