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『恍惚』(1979)とある中毒者の記録

映画を誰と見るか。劇場で見るのならまず間違いなく周りに他の客がいる。自宅で見るのなら文字通り一人で見ることが可能だ。言うまでもなく今日では映像を見るのに映写機さえ必要がなく、この文章を書いているスマホで動画を見ることに慣れてすでにどれだけの時間がたったことだろう。

映画についての映画である。フランコ死去後ようやく検閲が撤廃され、それまで半世紀近く見られなかった海外の名作を見るため劇場に詰めかけた一部の映画ファンを除けば、多くの人々が劇場に期待したのは自由の象徴、裸映画であった。それまで人々はフランスとの国境に近い劇場まで足を運びフランコ体制への反骨心を胸に(していたかはともかく)画面に映し出される"自由"に酔いしれていた。すけべになるのも大変な時代である(『スペイン映画史』によれば『卑猥なものはピレネーに始まる』(73)という映画まで作られている)。スペイン映画を背負ってきた古参の製作者たちは、自由がもたらした弛緩しきった恩恵に半ば呆れていたというが、一方で今作のような不気味な作品が劇場にかかるようにもなる。

70年代わけても民主化後のスペインににわかに訪れた自由な気風は、自由な恋愛を謳歌する若者たちに同棲ブームを巻き起こした。民主化が開いたのは寝室の扉ばかりではない。彼ら若い世代を対象に欧米からもたらされたポップカルチャーが都市文化(La Movida)を成熟させ、パーティに欠かせないありとあらゆるドラッグを欧州にばらまくジャンキーの入場ゲートになりかわる。生き急ぐ若者たちを素描した不良(quinqi)映画が量産され、実際に路上で生活していた素人役者たちがスクリーンを埋め尽くしたかと思えば、折からの不摂生やドラッグ中毒で早々に'引退'を余儀なくされてブームはあっという間に終焉する。

冒頭の問いに戻れば、この映画に関する限り映画をドラッグ、あるいはセックスと置き換えても差し支えない。そのうえでそれぞれの絶頂点の在処と持続時間を見極めて微分し、3つのうち最も神秘的な到達点として映画に軍配を上げてみせる。もっとも、映画の中でも描かれているように制作中スタッフ、キャストが陥ったヘロイン中毒は監督のキャリアを早々に終わらせてしまうのだが。

●●あらすじ
ホセは狼男映画の新作を編集中の新米監督だが、思うように作業が進まず行き詰まっている。アパートに帰ると大家からフィルムの届け物を渡され元カノが部屋に来てることを知らされる。フィルムは元・元カノのマルタの従兄弟ペドロが撮影したもので、音声テープと部屋の鍵が付属していた。元カノのアナとヘロインで仲直りしながら、せっかくだし見てみようかと届いたばかりのフィルムを回し始める。

ホセはペドロとは2度会ったことがある。一度目はホセがマルタに連れられて田舎の叔母の家を訪ねるとき、まるで亡霊のように青白いペドロが姿を現す。ペドロはたったひとりで撮影、出演、編集した作品制作に没頭していた。マルタがこっそり部屋を覗くと、自分で撮ったフィルムにも関わらずそれを見て怯えて泣いていたという。やはり映画バカのホセはペドロに興味をもち、二人で夜を明かして映画の霊感源をめぐり当てどない話をする。

今一度のペドロとの邂逅はアナと二人で屋敷を訪ねたとき。ホセは屋敷に向かう途中でマルタと出会うが、マルタはなぜかペドロのことは喋りたくないようで、ルルドめがけて旅行に行くところであった。屋敷に着くとペドロはなぜかアナが幼少時夢中になったものを的中させてしまう。それを見て気を良くしたホセはペドロにインターバルタイマーをあげて制作の背中を押す。

映画は再びフィルムを見ているホセとアナの部屋にもどり、ペドロが送りつけた音声トラックに記録された不気味な声が、タイマーを使った自撮りにのめり込んでいく彼の様子を浮かび上がらせ、映画を鑑賞するふたりをものめり込ませていく。

ここから先は説明が難しい。ペドロはフィルムに映った自分の姿が一部欠損して赤くハレーションを起こすのに気づく。眠っているときだけ起こるその現象を解明するべく、寝食忘れてひたすら眠る自分の姿をフィルムに焼き付ける。赤化する回数は増えていき、なぜかその間だけドラッグをやったときのような陶酔感を得られることに気づく…。
オチは書かないでおこう。

恍惚の導線を指南するペドロ

●制作スタッフ
主演のホセはエウセビオ・ポンセラ。移行期スペインの重要作品でよく見かけるひと。
アナは若きセシリア・ロス。ホセ同様ヘロ中役で、ベティ・ブープに扮し『i want you i need you i love you』を熱唱するシーンは、『バチ当たり修道院の最期』の華麗なエンディングと比べてみてるのもいいだろう。
ペドロを演じたのはWill More。スルエタの1975年短編Aquariumに出演したのがデビューか。これは『Arrebato』の原案といっていいだろう。フランケンシュタインに魅せられた引きこもりの1日を描いている。モレはその後メジャーな映画に端役ででている。『バチ当たり修道院の最期』『殺し屋たちの挽歌』などがある。2017年没。
あとアルモドバルがグロリアの声役で参加している。スルエタとは短編時代に出会ったようで、「バチ当たり修道院」など映画のポスターをいくつも任せている。

撮影監督アンヘル=ルイス・フェルナンデスはアルモドバルはじめフェルナンド・トルエバ、フェルナンド・コロモ、ビクトル・エリセなどこの時期を代表する監督と組んでる。

イバン・スルエタは1943年バスク地方サンセバスチャンに生まれる。ロシア系にルーツがありその名前はフランコ独裁時代名乗れなかったようだ。父親は弁護士で彼の家族は代々キューバで砂糖工場を営んでいた。裕福な家庭に育ったスルエタは1960年マドリードにでて美術を学び、63年から1年間アメリカに滞在し広告デザインを学ぶ。この頃ニューシネマや実験映画に出会う。帰国後映画学校に入り短編制作し、68年映画学校の講師だったホセ・ルイス・ボラウのもとで低予算テレビ番組を制作。69年ボラウ製作下でUn, Dos, Tres, Al Escondite Inglésで長編デビュー。これはユーロビジョンのような当時流行したポップス歌謡コンテストに取材したもの。
その後は短編実験映画の編集に取り組み、そのうちの一本Leo Es Pardo(1976)がベルリンに出品され、長編化を考え始める。これは引きこもりの1日を描いた楽しい作品で10分足らずで見やすい。

撮影期間は2週間だったが資金は超過し、スルエタらスタッフはヘロイン中毒に陥り、映画の内容からも映画祭から出品を断られ公開が危ぶまれたが、一九八〇年国内で無事公開に漕ぎ着ける。はじめわずか四日間だけ上映されるのみで宣伝もされずに惨敗に終わるが、口コミ評判が良かったので翌年いっぱい深夜上映が続いて熱狂的な人気を博すようになる。知り合いの家を使ったロケや友人を頼った自主制作ゆえかなりラフな仕上がりになっていて、ドラッグカルチャーやモビーダ、それにスパニッシュホラーの末端でじたばたする若い3人を視点に当時のフィルム(そのもの)を巡る生態系の一端が伺えるのが興味深い。
ペドロの語るpausaについて、それは文脈を変えて少しずつその意味するところを滑らせていくのだが、どう訳すのが適当なのだろうか。手習いに書いてみれば、ドラッグは間隔、男女は別れ、演技はポーズ、カメラは停止、映画はカット。
最近4kリマスター出たらしいので、どっかでレイトショーでもやってくれたらもいっかい見たい。

映画監督スルエタのキャリアは長編作品は二本だけで、『恍惚』のあとは麻薬中毒が80年代後半まで続くあいだにデザイン仕事でしのぎ、1989年と1992年に30分の短編を二本撮るもののその後再び8年間の引きこもり生活に戻ってしまう。2000年代に入ってから過去の仕事が見直されるようになり、彼を題材にしたドキュメンタリーが作られている。スルエタは2009年故郷サン・セバスティアンにて66歳で亡くなった。

●おまけ
最初に『恍惚』でキャリアが終わったと書いたが、その後撮った二本の短編はテレビ制作ながら気になる作品である。1992年『Ritesti 』はTVE製作でCrónicas del mal (“Chronicles of Evil”)シリーズの一本として作られたスルエタの遺作。シリーズの他の作品を見ていないのでなんとも言えないが、ダークな雰囲気がいい味出しており、あるいは別のキャリアもあり得たのではなどと想像が膨らむ。内容はボッティチェリ『ナスタージョ・デリ・オネスティの物語』の絵解きなのだが、同じ光景を何度も脳裏に蘇らせては恍惚に浸る、監督自身の体験を感じさせる悪夢的な一本。

ナスタージョ・デリ・オネスティの物語

●ポスター仕事http://www.ivanzulueta.com/catalogo.php
https://flixole.com/especial-ivan-zulueta/ivan-zulueta-y-su-legado-como-cartelista/


Arrebato /Rapture
1979
105m
directed by Ivan Zulueta
Cinematography Ángel Luis Fernández
Edited by José Luis Peláez José Pérez Luna María Elena Sáinz de Rozas
Distribution
Eusebio Poncela as José Sirgado
Cecilia Roth as Ana Turner
Will More as Pedro
Marta Fernández Muro as Marta
Almodóvar provides a voice dub for Gloria






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