「宗教的空白」について

私の第一ブログ「学問空間」で「宗教的空白」についてあれこれ考え始めたのは今から七年前、2016年のことで、同年の「新年のご挨拶」で「グローバル神道の夢物語」という妙なシリーズを始めると宣言し、森鴎外の「かのやうに」を出発点に日本人の宗教観を検討してみました。

社会の精神的安定にとって必要なのは「ビリーフ」ではなく「プラクティス」である。
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/0b4bb2bea23d79256a8fafc6bd4bb32a

以後、折に触れて、「宗教的空白」が歴史的にどこまで遡れるのか、という観点から調べていたのですが、過去に遡れば遡るほど宗教感情が篤いということではなくて、拡大と縮小の大きな周期があるようです。
もちろんいつの時代にも篤信者と「狂信者」はそれなりの割合で存在しますが、中世まで遡ってみたところ、南北朝期は日本史上「宗教的空白」が特別に拡大した時期ではないかと思われます。
南北朝の動乱が終わって以降の「宗教的空白」の変動については未検討ですが、近世に入ると「宗教的空白」は徐々に拡大して、幕末に最も増大する感じですね。
ただ、以上に述べてきた「宗教的空白」とは、磯前順一氏の用語に従えば、「ビリーフ」(概念化された信念体系)が「空白」だということで、「プラクティス」(非言語的な慣習行為)は一貫して、広く薄く継続して来たように思われます。
そして、日本社会に精神的安定をもたらしたのは、少数の「ビリーフ」派ではなく、大多数の「プラクティス」派だろうというのが私の暫定的な結論です。
過去の探求と並行して、この「宗教的空白」を将来向かって活用できないだろうか、という方向でもいろいろ考えていたのですが、しかし、それをブログに書くことはありませんでした。
私の考えていたことをそのまま書いていたら、頭のおかしい人と笑われたかもしれません。
しかし、ウクライナ戦争の勃発以降、思想的な環境は相当に変化したように思われるので、今回、第二ブログを始めてみました。

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