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ジオ・ヒストリア風、飛鳥万葉集の舞台(阿波「狐の帰る國」より)


「狐の帰る國」坂東一男著、は徳島県旧勝浦郡多家良村(徳島市八多町)に生まれた実家に伝わる伝承をもとに、万葉集の舞台を説明した本です。
坂東氏は、「道は阿波より始まる」著者の岩利大閑氏とともに、阿波古代史を解き明かしてきました。
(「狐の帰る國」は発行元の京屋より直接購入できました。)

万葉集の時代の地形・情景を想像しながら google earth で阿波の空中散歩を楽しんでみましょう。
万葉集で歌われた海・川・山の情景がイメージできるでしょう。

※青マークは万葉時代の比定地、黄マークは現在の地名


倭三山の情景

阿波の那賀川流域にあった長国(ながのくに)に倭三山があります。

吉野川流域と倭三山(日峯、津峯、中津峰)
日峯=加語山、津峯=香具山・香久山、中津峯=三輪山



倭三山(日峯、津峯、中津峰)
日峯=加語山、津峯=香具山、中津峯=三輪山
巻向山、耳成山、明日香川、泊瀬川、
筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原

飛鳥の情景

山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立 國見乎為者
國原波 煙立龍 海原波 加萬目立多都 怜國曽 蜻嶋 八間跡能國者

には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば
国原は 煙立ち立つ 海原立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島 の国は

手前の香具山(津乃峰山)から北側に見える飛鳥地方、
山地・海岸の景色(三輪山、加語山)
手前の中津峯山(三輪山)から東側に見える飛鳥地方、
山地・海岸の景色(三輪山、加語山)
遠くに和歌山が見える。


飛鳥地方(三輪山、巻向山、加語山)
当時は平野部分の多くが島々であり、海人族の舟での往来が主だったのでしょう。


飛鳥の宮の比定地(Mitsuo Takaoka)


阿南市周辺の銅鐸出土地、阿波水銀鉱床群(菅原康夫)

飛鳥地域周辺
巻向山、耳成山、明日香川、泊瀬川、 筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原
飛鳥地域周辺の銅鐸出土地(菅原康夫)

阿波水銀鉱床群

若杉山遺跡より早い時期に津乃峰山北側に辰砂採掘跡が見つかっているが、まだ調査が進んでいない。若杉山遺跡よりも大きな産出量があった可能性があるらしい。

阿波水銀鉱床群(津乃峰山洞窟遺跡遺跡群、若杉山遺跡)
見哲夫氏の『阿南市津乃峰町「結の岩屋」下の遊歩道遺跡の 調査について(調査メモ)』紹介
https://museum.bunmori.tokushima.jp/kiyo/2012/(22)%2079-93.pdf
Hg水銀鉱床群 地質図Navi(産総研)
徳島県阿南市、奈良県宇陀市、三重県多気町
阿波忌部氏が、奈良宇陀、伊勢多気を開拓したのか?


飛鳥時代の吉野離宮(奈良時代の芳野宮ではない)


八隅知之吾大王之所聞食天下尒國者思毛澤二雖有山川之清河内跡御心乎
吉野乃國之花散相秋津乃野邊尒宮柱太敷座波百磯城乃大宮人者
船並弖旦川渡舟競夕河渡此川乃絶事奈久此山乃弥高思良珠水激瀧之宮子波見礼跡不飽可聞

やすみしし 我が大君の きこしめす 天の下に
国はしも さはにあれども 山川の 清き河内と 御心を
吉野の国の 花散らふ 秋津の野辺に 宮柱 太敷きませば
ももしきの 大宮人は
舟並めて 朝川渡る 舟競ひ 夕川渡る
この川の 絶ゆることなく この山の いや高知らす
水激る 瀧の宮処は 見れど飽かぬかも

持統天皇は吉野離宮に31回行幸している。

扇状地から吉野川岸に近い吉野離宮(加茂野宮城跡)周辺地
下加茂神社、倭大國玉神社あり。
北には金剛の滝、龍頭の滝
南には吉野川の広い流れ。海から舟でここまで上って来れるところ。


吉野之瀧白浪雖不知語之告者古所念

吉野の滝(たぎ)の白波(しらなみ)知らねども語りし継(つ)げば古(いにしへ)思ほゆ

吉野行幸ルート

藤原宮⇔吉野離宮 約30km
行幸ルートは、主に舟によるだろう
西側には、鴨神社、丹田古墳(4世紀)
途中には、大野寺、白鳳時代の郡里寺跡、粟島(善入寺島)
北の扇状地、阿波市市場町の奈良坂には若宮神社(若宮皇大神)

吉野行幸の歴史(持統天皇の吉野行幸31回)

飛鳥、奈良、平安時代の吉野行幸の歴史


壬申の乱ルート

淡海大津京⇔吉野離宮
淡海大津京ー樫原神社(神日本磐余彦天皇陵?)ー事代主神社ー大野寺-若宮神社(若宮皇大神、武市神社)ー奈良坂ー阿波町伊勢ー郡里廃寺跡ー倭大国魂神社ー下賀茂神社ー吉野離宮(加茂野宮城跡)

吉野川は海からそのまま舟で遡上できる大河である

旧吉野川を約50kmさかのぼれば吉野(加茂宮城跡)
川面の傾斜は緩く、舟でさかのぼれる。


いかがでしたか?
奈良の明日香と比べて、万葉集の舞台のイメージに近いと思います。


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