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早生まれが私を創った

2024年何か新しいことをしたいなと思ったのでnoteを始めました。noteでは自分が感じていることを長文で言語化したいときに書いていきたいと思っています。

初noteは自己紹介も兼ねて私の人生の中で永遠の課題であるだろう「早生まれは不利なのか」について、早生まれだからこそ感じてきたこのテーマについて個人の見解を述べようと思います。


私の生い立ち~幼稚園入園

私は3月生まれの第一子としてこの世に産まれました。
これだけでもしかしたら子供の頃、親も含めて大変だったとかかわいそうだったと思われるかもしれません。
唯一母から言われたのは、幼稚園の入園(試験)のときのこと。
年少組から入園できるか試しに幼稚園の園庭に連れていったとき、理事長先生に「お名前は?」と聞かれたそう。当時2歳半だった私は答えるどころかその場から逃げ出してしまい、その様子を見た理事長先生から焦らず年中組からの入園を目指しましょうと言われたそうです。この時母は3月生まれだからまだ他の同学年の子についていくのは難しいのかもと感じたと今でも話してくれます。

幼稚園の頃

4歳になり年中組から2年間幼稚園に通いました。
当時は4月5月生まれの子は体格体力コミニュケーション能力をはじめ、できることが私より何倍も違うな…と幼いながら感じていました。
4歳と5歳、5歳と6歳の1年の差は当然大きいもの。
いつもお友達より幼い私を他のクラスの先生が気にかけてくれていました。

もう一つ覚えているのが、お友達と干支が違うことに違和感というか「あっ、私みんなと何か違うんだな」と思っていました。
毎月幼稚園で開催されていた誕生日会で自分の番が来るのが待ち遠しくて、3月生まれの子の担任の先生手作りのバースデーカードがちょっぴり豪華だったのが嬉しかったのを今でも覚えています。

また、年長から習い事を始めましたがやっぱり同級生の子に追いつけず一学年下の子たちと同じクラスに入りました。幼稚園では年下でも習い事では皆より年上。今思えばこの時にリーダーシップが形成されていたのかもと思います。

小学生の頃

6歳になって間もなく小学校へ入学。
私の通った小学校は誕生日順の出席番号でした。かつ席順は4月生まれの子が後ろの席。3月生まれの私は先生の目の前の席で、ここでも入学当初はよく先生が気にかけてくれていました。
また入学祝いに市から安全帽が贈られたのですが、4月5月生まれの誕生日が早い子は皆より1サイズ大きな帽子、私のように誕生日が2月3月の子は1サイズ小さな帽子が体格関係なく贈られました。帽子のサイズはぴったりだったのは良かったのですが、やっぱり皆より小さい帽子がちょっとだけ悔しかったのはありました。

この頃誕生日になるとお友達を自宅に招いて誕生日会を開くのが私のまわりで流行っていました。3月生まれの私はもちろん一番最後。皆の誕生日会に行った後内容を母に報告して私の誕生日会の準備をすることができたのはちょっと得だったかなと思います。

3年生になって初めてクラス替えを行った頃ぐらいからは得意不得意はあるものの、遅生まれの人たちに勉強も体力も追いついてきて、クラスのリーダーになったり等あまり皆とのハンデを感じず学校生活を送ることができるようになってきたと思います。お友達もたくさんできて塾通いをする等皆との差を埋めるための努力を行うことなく小学校時代を過ごすことができました。

中学校の頃

中学校になると出席番号順はあいうえお順になり、もう誕生日は関係なく過ごしていました。中1のクラスでは私を含め女子の4人に1人が3月生まれで、皆で楽しく誕生日プレゼント交換をしたのを今でも懐かしく感じています。

部活動は地域では強豪の部活に入部しました。挨拶や礼儀はもちろん、特に大会前の練習は厳しく、毎日朝から晩まで練習を行っていました。
私は5月の本入部後一生懸命先輩に追いつくために練習を行い、2ヶ月後の7月には1年生ながらメンバーに選ばれました。正直とても嬉しかったのですが、見た目も重視していた部活だったので顧問の先生からよく言われていたのは

「私立や国立中学校に通う15歳に見えるような立ち振る舞いをしなさい」

要はまじめかつ賢く中学生らしく見られなさいという意味だったのですが、12歳になったばかりの私には3歳年上の大人に見られるように行動するのが大変でした。

2年生になると後輩もでき、先輩方が引退した後は部長にも選ばれました。
この頃モヤモヤしていたのは、1つ下の後輩には私と誕生日が1ヶ月も変わらない人もいるのに“先輩”と呼ばれること。どこかで区切りをつけないといけないのはわかっているのですが、当時はとても複雑でした。
また同学年の仲間をリーダーとして纏めるにせよ皆の中ではほぼ最年少。こんな私についてきてくれるのかがとても不安でした。
しかし、誕生日や年齢関係なく皆私に接してくれて同じ目標を目指し、中3・14歳でメンバーを率いてトップの大会に出場できたのは一生の思い出です。

就職~社会人になって

高校、大学と進み、いよいよ就職。
私が就職先に選んだ会社は中小企業で、同期は私を含めて7人いました。
が、諸事情により新卒採用は私たちの代で一旦一区切りをなってしまいました。私は現役で大学に入学して就職したのですが、もし浪人等で21歳のときに就活していなかったら、いやそれ以上にあと1ヶ月産まれるのが遅かったらこの会社には新卒正社員として入社できなかっただろう、社会人になって出会うこともなかっただろうと今でも運命を感じています。

入社してからは1年目はもちろん2年目以降も一番下の最年少社員。パート社員の方には本当の娘のように可愛がってもらい、正社員の先輩方にも本当に良くしてもらいました。つい最近退職する頃までも「中途入社はいるものの(新卒として)一番下だよね」と言われていました。それを良いことに、30代になっても先輩方をはじめ社内外関わらず仕事で関わってきた人たちにはたくさん甘えた社会人生活を送ってきたなと思っています。甘え上手なのも3月生まれの強みの一つなのだろうと感じています。

甘えてばっかりの社会人生活ではあるものの10年ほど前に中学時代と同様先輩方を抜いてリーダーやマネージャーに任命され、やっぱり知識の乏しい年下上司についてきてくれるのかが不安はあったものの、必死に努力し良い意味でまわりに甘えながらチームも自分も成長させることができ、社内外から評価されたことは今後の社会人生活においても財産になると思っています。

結論

早生まれの人は受験に不利、免許取得が遅れる、スポーツ選手に少ない、出世できない、扶養控除の対象から外れる等ネガティブな話を良く聞きますが、私自身は3月生まれで良かったと思っていますし、3月生まれでなければ今の私はいないと思っています。

確かに今までの人生の中で早生まれが不利に働いた場面がたくさんありました。上記に記した以外にも節分の豆は皆より食べる数が少ないとか、成人式は19歳で出席するのでお酒が飲めないなど。成人式は20歳で迎えたいから出席したくないと母と喧嘩したこともありました。
しかし早生まれ・3月生まれだからこそ早く社会に出ることができ、まわりの人を大切にする力を育むことができ、ほど良く甘える力を育むことができ、今の私のキャラクターがあるのだと思っています。
子供の頃は同級生との差を親だけではなく自分自身も感じる場面は確かにあるものの、学年が上がるにつれ自然と解消されていきましたし、早生まれや3月生まれの人が社会で活躍できる場面はたくさんあると思います。


これからも3月生まれらしくのびのびと人生を歩んでいきたいなと思います。




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