東京に来てから2週間に一回くらいのペースで入院している 原因を羅列していこう 夜勤 お酒 お菓子 揚げ物 ファーストフード 添加物 自炊 ラーメン エアコン 雨 低気温 薄着 喧嘩 恋愛上手くいない やりたくないことをしている 埃吸い込んでしまう かぜの人と一緒にいる これらが原因で風邪ひく 逆に元気になる事を書くと バランス栄養食 鰻 R1 緑茶 りんごジュース ヨーグルト カレー 1日分のビタミン 寝る 厚着 薬 お風呂 これらを実践したら治りやすい。 毎日こ
子供はなんであんなに純粋なんだろう 子供と触れ合うアルバイトをしていて思った。 なぜあそこまで純粋に泣いて笑って言って できるのはなんでだろう ぼくにもそんな時代があったはずだ。 いつからか人と違うことをしていたら不安で周りを気にしてなにもできない人間になってしまった。大人になるというのは純粋さを失うのと同時に社会性を身につけていくのだ。 どうしたら人から信用されるのか好かれるのか 意識して大人は生きている。 それが理由で純粋さを失ったのだろうか。 お笑い芸人というのは
辛い人を笑顔にしたい テレビで怖い表現をなくしたい 怖い思いをする人をなくしたい 笑顔にしたい お父さんがめちゃくちゃ怖かった 大学の野球の監督と自営業で仕事 朝4時頃帰ってくる 毎日野球でレギュラーになる為に 練習した 父の仕事の合間に練習を手伝ってもらってた 4番でレギュラーになるには毎日500以上 練習しないといけないと思っていた 毎日イライラしている父と喧嘩しながら練習。父の持論を反発し、それにも腹が立ち ただとにかく練習をした。父を煽って消化器投げられた。ドアを物
おれは小さい頃から愛されて育って来た 長男で自営業してるお父さんお爺ちゃんおばあちゃんから期待されて生きて来た。次期社長第一候補でもあるのだから。 幼稚園、小学校受験して私立小学校に通い、塾に5年通い中学受験して中高一貫の私立中高に行き、浪人して、自分の目標だった国公立大学に入った。 一見するとお坊ちゃまの子供と思われるかもしれない。自分の好きな事だけをして敷かれたレールに沿って生きる。それが人生の正解だったはずだ。一般感覚として。 でもぼくはそうは全く思わなかった。 こうい
元々東京にはピンネタを極めるためにきた 今漫才ネタライブ出ても悔しさも楽しさもない ただただ出ただけという気分なのだ 生きてる心地がしない。楽しくない。 俺は自分の思った事を素直に言えない それが昔からのくせである 周りに流される これ言ったらこうなるかなと 勝手に想像して言われるのが怖くて 言えなくなる。 学生時代コミュ症と言われたのには こういった理由があるのかな。 実は人が苦手なのかもしれない 4月 ピンネタが思い浮かばないと言っていたのは 本気で向き合ってなくサボっ
2023年今年はいろんな事あった 1月養成所のコーナーライブに出演 2月NSC大ライブ、 3月の卒業公演があったが 殆どの人が出れる最後の卒業公演には出れず 悔しい思いをしながら上京を決意した。 大ライブで特に思ったが取り残されてる 同期同世代の仲間が舞台で頑張っていて ぼくは完全に見ている側にいると感じた。 非常に悔しかった この一年もっと何かできたんではないかと でも自分の実力には限りがあるとも感じた。 この養成所1年間は自分の苦手な事と向き合えたと同時に自分の良いとこ