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027.神奈川県庁舎(旧神奈川運上所跡)

≪3.生糸貿易をささえた横浜の洋館・建造物023/日本大通り≫
*昭和3年(1928年)公開コンペで採用され建てられた県庁舎。開港時、テラコッタなどを使った和風の装飾で帝冠様式と名付けられ、愛知県などの県庁舎等のモデルになっています。
 
 横浜の3塔として、神奈川県庁本庁舎=キング、横浜市開港記念会館=ジャック、横浜税関=「クイーン」の愛称で親しまれている「キングの塔」を擁する建物です。
 日米修好通商条約を締結した安政5(1858)年に、1年後に神奈川をはじめとした長崎・新潟・神戸などの港を段階的に開港するとの約束をしたために、急遽、1859年に神奈川の港として横浜港を開港することになりました。続いて幕府は安政5、井伊直弼の独断で日米修好通商条約を締結し、英露蘭仏とも修好通商条約を締結します。
 洋風建築に和風建築の屋根を組み合わせた、帝冠様式と呼ばれる建物の1つで、愛知県庁舎にも導入され、この時代に流行ったものでした。この建物の場合は外壁の色遣いにも独特な特徴があります。

車寄せのある正面入り口。華麗な装飾に流されず、アール・デコの様式を取り入れながら、
和風のイメージを出しています。
 塔は4階建てで、今でも事務室として使われています。地上から塔の先端までの高さは48.60m。タテヨコを基本とした意匠の中で、屋根だけが斜めの線を出しています。

 開港当時、通商条約を結んだアメリカからは、交通に便利な東海道の神奈川宿に港を開く約束ではないかと異議を唱える声が出されたのでしたが、幕府は、
・神奈川宿は江戸に近いために江戸が攻撃を受ける危険があると幕府が考え、
・街道からのアクセスが良いと攘夷(外敵を撃退せよ)を目指す暴漢からの襲撃が予想されること、
・・・などの点から神奈川宿への港設置を拒否し、当時寒村だった!横浜も神奈川宿の一部である“と主張して、現在地に港を作りました。
 これに反発したアメリカは、あくまでも神奈川の開港を要求し、イギリスなどが港近くの居留地の一等地に領事館を置いたのに、アメリカは横浜ではなく神奈川の青木橋そばの本覚寺を領事館としたのでした。
 のちに港近くに領事館を作りましたが、この開港場への出遅れが災いして、後で苦労することになり、開港後しばらくは、貿易が英仏のようには盛り上がりませんでした。
 これにはもう一つ理由がありました。ペリー以来アメリカ外交の基本はこわもてで、幕府から見たら、容易に打ち解ける雰囲気ではありませんでした。こうした点に付け込んだのがイギリスで、こわもてのアメリカ対策をアドバイスするという役回りで、アメリカ・イギリスと付き合うための傾向と対策をアドバイスするという役回りで幕府の要人に近づいていったのがフランスでした。
 外国領事たちは、対日本という点で結束して、お互いの利益を確保することに力を入れながら、裏ではそれぞれの国が、他国を出し抜いていかに利益を自分たちの国に持ってくるか、虚々実々の駆け引きを展開していました。
 
 ■神奈川奉行と運上所

県庁舎の南角にある神奈川運上所(税関)跡の碑。
ここが開港時代に港への入り口でした。

安政6(1859)年6月の横浜開港に合わせて、幕府は神奈川奉行所を、いまの県立図書館のある紅葉ヶ丘におき、外国奉行に、前年から通商条約の交渉に携わってきた水野筑後守らを引き続きあたらせました。
 そして、貿易にまつわる管理業務行うために、専門の役所として港の入口、現県庁舎がある所に神奈川運上所(税関)を設けて、税関業務や外交業務などを行いました。
 現在、紅葉ヶ丘の県立青少年センターまえに神奈川奉行所跡の碑があり、また、県庁舎の南東角に、運上所跡の碑が建てられています。
 
 現在の県庁舎が建てられたのは関東大震災で県庁舎が倒壊したためです。大正15年(1928年)に一般公募で設計が公開コンペに付され、398案の中から選ばれた小尾嘉郎の案をもとに、県庁建築事務所が実施設計を作り、大林組が施工して昭和3年(1928年)に完成したものです。
 鉄筋コンクリート造りで5階建て、地下1階。屋上に4階建ての塔屋があります。建物の形としては、日の字型をしており、中に2つの中庭があります。
 屋上に塔があるのは、設計コンペの際に、「船舶出入ノ際港外ヨリノ遠望ヲ考慮シ成ル可ク県庁舎ノ所在ヲ容易ニ認識シ得ル意匠タルコトヲ望ム」とした「設計心得」にこたえて設計した結果でした。横浜市の歴史的建造物に指定されています。
 当然のことに、応募作すべてが塔のある設計案だったそうです。塔の実施設計にあたっては、日本郵船横浜支社(現郵船歴史博物館)を設計した和田順顕も参加しています。
 このデザインを何スタイルと評するべきか、小尾は「穏健質実且つ厳然として侵し難き我が国風」と表現し、日本趣味を基調とした近世式で、「装飾 貴賓室、正庁、議場、会議室、その他の設備と装飾は日本風を基調とし様式も古代の建築に範を採り、・・・日本固有の様式を強調するするの務めたり」と記しています。
 日本趣味を基本に、帝冠様式と呼ばれ、この意匠がモデルとなって、名古屋市庁舎、愛知県庁舎、九段会館などに波及していきました。
 外壁のほぼ全面にスクラッチタイルが張られ、テラコッタや石材の装飾が外装、内装に用いられていて、この時期のアール・デコ建築の典型と言われています。

貴賓室は、昭和天皇陛下も臨席されたことがあるが、華麗な装飾が施されています。
外壁は全面スクラッチタイルだが、さまざまなタイルが使われています。

●所在地:横浜市中区日本大通1


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