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天動説と地動

                          法隆寺伽藍配置図

北緯35度あたりにある日本では、春の彼岸が近くなると、昼夜の時間がほぼ等しくなります。夏に向かっては、朝早起きをしないと日の出には巡り会えなくなり、毎日のように、日が昇るのが早くなっていることがわかります。私たちは、当たり前に陽がのぼり、月が出る・・・と私たちを中心に据えて、太陽や月が動くと表現します。地動説にしたがって正確に言えば、動いているのは私たちで、この言い方は間違いです。

 

四天王寺「仁王像」や鞍馬寺「魔王尊像」などの力強い作風で知られる昭和を代表する仏師・松久朋琳さんは、「私が仏を彫るのではない、木の言うとおり彫っていると、仏が姿を現してくるのだ」とご自身の仕事ぶりを表現されています。また、「私にとっては天動説の方が自然だ」と言い続けていた人としても良く知られています。

 

「朝起きて、散歩に行く。おひさんが東から上ってくる。夕方になると、西の空に消えていく。動いているのはおひさんで、私じゃない。科学で、地動説が正しいからと言って、どっちが動いているのか、人間はどうやって感じるのか。望遠鏡や、科学の力を借りないとわからない。そんなことに頼っていてはまずいのではないか。」

 

というのです。古代人の神話的な世界観はこうしたものだったのでしょう。この心でつくる仏師・松久朋琳さんの創作物が見る人に訴えかけるものがあるというのは自然かもしれません。こうした心を失ったことで、私たちの文明も文化も、そこから生まれる創作物も変化してきたということでしょうか。

そして、松久朋琳さんは大人が地動説を当たり前に話すのはいいとして、「科学や理屈も分からない子供にまで、地動説を押し付けるのはいかがなものか」とおっしゃっています。

 

寺社大工の棟梁だった西岡常一さんは、薬師寺の塔をはじめ、さまざまな当時の建築物が、なぜ地震にあっても倒壊せずにもったのかよく分からない。私はただ、先人の工夫のマネをするだけ、現代科学で究明してほしい・・・とつねづね言っていたそうです。

木造建築は、研究も進められて、たくさんの博士を出し、ビッグデータの活用で解析力は飛躍的に高くなったと言われながら、まだ、総合力として、1300年前の工人や棟梁の頭脳に追いついていない、と西岡棟梁は言っています。そのことを謙虚に受け止めないといけないかもしれません。

 

こうしてみると、人類は、1300年前から進歩していないのかも。いや、もしかしたら生き物としての人間の力は退化してしまっているのでしょうか。

人が、人の持つ力以外に頼り出すと、人としての能力の劣化は坂道をころげ落ちるように進むのかもしれません。飛鳥の工人たちが持っていた超人的な感性も、もともと私たちが当たり前に備えていた感覚で、技術によって便利になった分、私たちが気づかないうちに少しずつ失い続けてきたのでしょうか。(了)                              

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