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015.ラ・バンク・ド・ロア(旧露亜銀行横浜支店)

≪3.生糸貿易をささえた横浜の洋館・建造物034/山下地区周辺≫
*古典様式が建築当時のまま復元された大震災前の貴重な建造物。道路に挟まれてぽつんと立つ。いまはブライダル施設として利用されています。
 
 
 ■関東大震災を生き残った数少ないビル
 横浜の町の中心部は関東大震災でほぼ全壊してしまったが、骨格が残って立っていたのが、横浜正金銀行(神奈川歴史博物館)とこの露亜銀行ビルでした。
 町が倒壊し、はるか遠くを見わたせるがれきの中に、このビルだけが1棟ぽつんと写っている写真の光景は、なんとも印象的です。その意味では、この建物は大震災前に作られた洋館として非常に貴重であり、横浜市の歴史的建造物に認定されています。
 本町通りを馬車道方向から進んで左側、県庁を過ぎ、神奈川芸術劇場(NHK横浜支局)の手前にあるのがこの露亜ビルです。

窓にも装飾の保護枠が付けられています。こうした繊細さが若い女性たちに人気のよう。

建てられたのは大正10年で、設計はリバプール出身のイギリス人バーナード・M・ウォート。露亜銀行はロシアとフランス資本の銀行で、露亜銀行として使われた期間は短く、その後ドイツ領事館として用いられたようです。戦後は米軍の接収を受け、返還された後、法務省横浜入国管理事務所、警友病院別館として利用されました。
 鉄筋コンクリート造り地上3階、建築面積478平方メートルという、こぢんまりした建物で、平成23年(2011年)に改装・工事が行われ、もともとの姿に忠実に復元されました。
 前面の中央に入り口があり、その上部にメダリオン飾りを持ったペディメント(三角ひさし)があり、円柱の2本のオ-ダーがその上に立つ。円柱頭部の飾り、半円窓にはキーストーンが置かれ、1階の窓には装飾のガード付き・・・どれも繊細な意匠で、全体がほぼ完ぺきな形で古典主義の様式にのっとっています。

入口上部のペディメントと卵型のメダリオン装飾。

 ■ブライダルイベントの人気会場に
 一般に、鉄筋コンクリートが日本で使われるようになったのは、関東大震災の復興工事からといわれています。イギリス人の設計ということであれば、海外では既に使われていた建築法なのでうなずけます。
 とはいえ、震災前に建てられたこのビルは、早い時期に鉄筋コンクリート造りが取り入れられた非常に珍しい貴重な建造物であり、建設工事中だけでなく、特に大震災後に、その堅牢さに関して、多くの設計家の研究対象として注目され、見物が相次いだのではないかと推測されます。

 ビル前に立つ説明版。右の写真は関東大震災後にポツンと
1棟だけが立つ姿が映されています。印象的な写真です。

現在は、ラ・バンク・ド・ロアとして、結婚式やイベントなどへの貸しスペースとして使われています。内装についても、大理石の階段、2階の四隅にあるオーダー柱など、建築時の状態がそのまま残されていて人気です。居留地のビルの大半が大震災で倒壊した中で、わずかに残された外資系の銀行の意匠としても重要です。
●所在地:横浜市中区山下町280−1

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