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12.桜木町駅の歴史展示ギャラリー(無料公開)

桜木町駅の歴史展示ギャラリー(無料公開)
 
 ≪生糸貿易と鉄道の開通006≫
*写真は新南口改札まえのCIALに展示されている、1872年創業時に使用されたイギリスヨークシャー・エンジン社製、蒸気機関車。当時は「1形」と呼称。後に「A2形3号」と呼称され、1909年の形式称号改正で110形となった。1918(大正7)年まで各地の私鉄等で活躍し、大宮工場で改修され、桜木町駅に展示された。
 
 さて、初代の横浜駅である現・桜木町駅に「歴史展示ギャラリー」があるのをご存知ない方も多いはず。みなさん一顧だにせずに素通りされているのは残念です。
駅南改札口を出た正面コンコースに、柱が何本かありますが、その壁面を利用して横浜駅や鉄道の歴史を紹介するパネルが掲示されているのです。

柱の側面展示されているパネルの内容はざまざま。 ・初代鉄道技師長:エドモンド・モレル像/追憶の野毛・桜木町駅/懐かしの鉄道コレクション/桜木町にやってきた鉄道車両/明治の横浜・鉄道路線案内/初代横浜駅と発着場の情景/幕末から明治 鉄道事始めなど

待ち合わせなどで桜木町駅を利用する際には一見していただくといいでしょう。どれも興味深いのですが、スペースの点で、説明が十分にされているとはいいがたく、分かりにくいと思われるものもあるのは残念です。
 わかりにくいパネルの一つが、横浜駅の変遷を紹介した「桜木町にやってきた鉄道車両」の「駅と路線の移り変わり」です。
 
 ■さまよえる横浜駅
 鉄道開設時に「横浜駅」と呼ばれた駅が、現在の「桜木町駅」の位置にあったことは知られていますが、横浜駅が「桜木町駅」になったのは、1915(大正4)年です。横浜駅は明治5年に開設されて以来2度移転していて、現在の横浜駅の位置は3代目になるのです。
 新橋-横浜間が開通して間もなく、路線を延伸するように東海道線が敷設されました。東海道線の横浜の次の駅は保土ヶ谷、方向は南西です。北から伸びてきた線路は横浜に向かって東南の方向に向きを変えています。横浜の市内は、周囲を小高い丘に囲まれた横浜湾に面した狭い土地にあり、横浜駅(桜木町)から南西の方向にある保土ヶ谷につなげるためには、方向を転換しなければなりません。
 困った政府は、窮余の策として、東京から来た陸蒸気を桜木町でスイッチバックして保土ヶ谷に向かう路線を敷設しました。しかし、いちいち横浜駅でスイッチバックさせるのは時間のロスということもあり、1915(大正4)年8月、横浜の手前・高島町に2代目横浜駅をつくり、ここから保土ヶ谷に向かう線路を新設しました。そして初代横浜駅を「桜木町駅」と変えました。
これで2つの路線、
(1)従来の路線:東京―――横浜-桜木町(後の京浜東北線・根岸線)
(2)新設の路線:東京―――横浜-保土ヶ谷(東海道線)
ができました。

大阪に向けて東海道線を延伸する目的で、高島町に2代目横浜駅をつくり、ここから保土ヶ谷に向かう線路が新設されました。関東大震災で被災した2代目横浜駅遺構の一部が高島町でみられる。

 その後、日清戦争、日露戦争と激動の時代になってくると、横須賀軍港とのアクセスを改善する必要に迫られ、横浜(桜木町)に寄らずにショートカットして保土ヶ谷へ直行する軍用の路線が新たに敷設されました。こうして1901(明治34)年に横浜へのアクセス駅として作られたのが「平沼駅」です。このルートが現在の東海道線です。大阪に向かう急行は横浜駅に停車せず、平沼駅に停車していたのです。
 1923(大正12)年関東大震災が起こると、2代目横浜駅が被災・延焼してしまったために、1928(昭和3)年、2代目横浜駅を神奈川=現在の横浜駅(3代目)に移し、東海道線と京浜東北線を完全分離しました。
 
横浜駅をめぐる鉄道路線の進展と変遷
 これらのストーリーを示したのがこのパネルです。パネルを見ただけではなかなかわからないが、よく見るととても興味深いパネルなのです。
 
 ほかにもさまざまなパネルが掲示されています。桜木町は、待ち合わせや乗降で利用する機会も多いはず、一見をおすすめします。横浜駅をめぐる鉄道路線の進展と変遷。説明があるともっと興味深く見てもらえるのだが、それがないのが残念です。JRの駅員さんによる好意での展示のようなのですが、こういうところはJRとしてもしっかり整備してほしいところです。

横浜駅をめぐる鉄道路線の進展と変遷:左から、①最初の横浜駅と線路、②東海道線ができて平沼駅が誕生、東海道線の電車は横浜駅でスイッチバック、③高島町に第2代横浜駅ができた。④第3代横浜駅(現在)に移る。⑤現在は、と横浜港駅への貨物線がなくなった・・・。

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