4-9.年功序列による悪平等は、すぐれた人材に申し訳ないのではないか。
富士通社長 関澤 義
同一労働同一賃金も、年功を基本にした賃金設定、序列も根は同じである。成果を評価するというよりも、能力の劣る人間を排除しない、という観点から作られている。そこに欠けているのは、優れた能力を持つ人間をさらに生かすためにどうしたらいいか、という考え方である。
関沢は言う。
「グラフ用紙の横軸に勤務年数をとって、縦軸に給与額をとる。従業員それぞれの年次と給与の点をプロットしていくと、ほとんど一本の線になってしまう。こんなことでは、せっかく成果を出した人がやりがいをなくしてしまうのではないか」
日本には、成果に金で報いるということに対して抵抗するカルチャーがある、ということを認めながらも、関澤はこれからはもっと成果に報いる制度を導入することが必要だと言う。
同じように、関澤はある調査結果から、次のようにも言っている。
「日本人はさほど働いてはいない」
これは、富士通の人事部門と労働組合が協力して、欧米の企業での実態をつぶさに調べた上での比較である。意外な結果であった。いざとなったら欧米の人のほうが働くというのである。
一人当たりの労働生産性の国際比較が社会経済生産性本部から出されるが、それによると日本はOECD各国の中ではほぼ最下位近くにランクされている。
ほとんどの人は、日本の生産性はもっと高いはず、何か計算の仕方が特殊なのだろうと思っている。しかし、関澤によるとこの結果が正しく、「日本人は働き者」というわれわれの思い込みこそが幻想のようである。
とはいえ、こうした能力格差に対する評価への不満は、日本だけではないようだ。
われわれからみると、アメリカ社会はそうした面では合理的で、能力に応じた評価や奨励給制度が大いに活用され、能力を生かすための社会的な仕組みも用意されているように感じられるが、必ずしもそうではないらしい。
といったのは、米フォード創立者 ヘンリー・フォードである。
ヘンリー・フォードは自叙伝の中で、次のように言っている。
さらに続けて、能力の違いについて、次のように言う。
この2つのタイプの人間に対して、同じ賃金しか支払われないのは正しくない、と言うのである。
アメリカで、業績が悪化している企業を建て直した社長に高額の報酬が支払われたと報道されるたびに、多くの日本人は首をかしげる。成果と報酬に対するそうしたドラスチックな考え方は、日本にはなかなか馴染まないのではないかと言われてきたが、こうした点も、大きく変わりつつある。一方、社員の給料、最低賃金はわずかずつしか上がらない。経営者だけでなく今後は、社員の報酬、最低賃金もドラスチックに変化していくのだろうか。
いずれにしても、能力の評価法と報酬の問題は、どこの国でも永遠のテーマのようである。
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