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11年前「衝撃の言葉」が…

11年前の忘年会の席で上司から

「衝撃の言葉」が告げられた。


サラリーマン生活44年。

一言でいえば「楽しかった」


自分の好きなこと、

やりたいことができたから

である。


海外取材は30ヶ国以上。

最初の海外が北朝鮮だった。

1979年、ピョンヤンで世界卓球大会が

開催され、初取材。


それから、毎年海外取材に。

楽しかった。


上司から告げられた衝撃の言葉は、

「来年から嘱託でやって

もらいたい」


ということだった。


薄々感じてたが、

君はもういらない。

必要ないということだった。


そう言われるようなことを

してきてたから、自業自得と

いえば自業自得である。


上司に、

それっておかしいんじゃないかと

思えば、言っていた。


面倒くさい社員だったと思う。


それでは昇進するわけがない。


60歳から2年間嘱託社員

としてお世話になった。


いつも考えていたことは

いつ辞めるかということだった。


嘱託時代も編集長という立場だったが、

実際に責任はなかったし、

仕事は楽だったので、

もうしばらくそのままでも良かったが…。


ヨーカ堂の卓球スクールを

5ヶ所、地元で卓球コーチング

をしていて、62歳から年金を

もらうことを考え、

そのタイミングで退職した。


上司に退職の手紙を出したのが

節分の翌日。誕生日が3月だった

ので、「長い間、お世話になりました」

と送付した。


上司は、おそらく辞めるとは

考えてなかったと思うが、


翌日、久しぶりに出社すると、

部長以上が集まり、その席に

僕も参加。


みんなに「来月で退職します。

長い間お世話になりました」

と挨拶した。


3月末に年休を3日間取った。

44年勤務して、年休はわずか3日。

代休は何百日残っていたことか

分からない。


卓球大会の開催が土日だったため、

代休がどんどん増えていった。


それに対して、好きな仕事が

できてたので不満はなかったが、

家族には負担をかけていた。


最後に、サラリーマン生活で

学んだことは、上司に

はい、はい、といって

「覚えめでたき人生」を

過ごすこともあり。


僕はしませんでしたが。


出世したいということで

あれば、はい、はい、が

正解。


定年してから、相談者に

コンサルする上で、

このまま勤めるのあれば、

はい、はい、という思考に

切り替えてください、と伝える。


その時にやることは、

挨拶は先に元気よくすること。


それだけで流れが変わる。

と伝えている。


辞めるということであれば、

きれいに辞めください。


後ろ足で砂をかけるような

ことはしないで、と伝えて

いる。


僕は失敗したので、

伝えることができる。


引き続き、勤めます、と

いっても、トラブルが

起きることがある。


そういう時のために

メンターが必要になる。


辞めるという選択をした人が

明日から、やりたかった

これをやるぞ、となることは少ない。


僕は、コーチングやコンサル、

Xの運用代行や添削をしている。


最近は、チャネリングや

ヒーリング、潜在意識のブロック

外しもしている。


生きづらいという現実に悩み、

苦しんでいる人がいたら、


下記のリンクから

連絡してください。

一緒に解決していきましょう。

https://kli.jp/f/Zaz0/


毎朝、6時にXではメンタル、

マインド、生き方の投稿をして

います。

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について、毎朝6時に投稿しています。

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