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横綱の責任とは2

照ノ富士の相撲を支えたのは極め出しや強引に振っての投げ。この相撲を取れるのが照ノ富士以外皆無に等しく別格であることを誇示している。横綱というものはおいそれと昇進させてはいけないと認識。

大正時代の横綱大錦の言葉より。(一部編集)

稽古を積んで、ただやたらに強くなるばかりが能ではない。一突きで相手を倒すような強さではお客を楽しませることはできない。客を呼ぶ相撲とは強さの中に相撲の醍醐味を十分に味わせる内容がなければいけない。裸で演じる藝術まで高めなければ、見る人を酔わせることはできない。

池田雅雄著「相撲の歴史」

常陸山の相撲が後世に横綱相撲の模範とされ、多くの横綱大関が苦悩してきた。その後成績不振に終わった横綱もいる。相手にとらせるだけとらせ万策が尽きてからいよいよ反撃するというスタイル。平成8年の貴乃花や13年の円熟した貴乃花はこの相撲に近かった。13年夏の朝青龍を退けた相撲や大関千代大海にひたすら突っ張らせた相撲は横綱相撲の極致ではないか。

常陸山の2代前の小錦は立ち合いに神経を注ぎ、攻撃一遍の相撲だったのを考えると皮肉。大錦は天王寺中学出身のインテリで進歩的な考えを持っていたが、三河島事件で角界廃業となったのは少なからず後世の損失だったろう。本人は相撲界が合わないと考えていたようだが。相撲史の陰の側面である。


相手に十分とらせる相撲も現在の角界で照ノ富士以外なく幕内にも今後出てきそうにない。悪くとも悪いなりの相撲で勝てるのも別格である。ましてや膝の痼疾は慢性的なもの。白鵬も一時試みたようだが白鵬の場合、相手が手をつかない限り自分が手をつくこともせずこのあたり数段落ちてしまう。現役では北青鵬は形だけ見れば似ているが単なる引っ張り込むことに拘泥してるところもあり進歩するのか?

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