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落語協会の会長に考える

落語協会会長に柳家さん喬が就任した。前任の柳亭市馬は10年の任期が終わり誰が会長となるか注目されていたところ。これで保守本流ともいわれる柳家小さん門下から4代会長が続くことに。少し考えてみたい。

柳家さん喬について簡単に。1948年東京生まれ。1967年柳家小さんに入門し、81年真打に昇進した。団塊の世代に当たり、落語界もこの世代の人材は豊富で、人間国宝となった五街道雲助、爆笑王といわれる柳家権太楼、芝居噺など江戸前の芸の春風亭一朝、小さんの芸風を継いでいるともいわれる柳家小里んなどがいる。真打昇進試験を受けた世代でもある。さん喬師も人情噺から滑稽噺まで芸域は幅広く、特に江戸の風景や人物の描写に優れているといわれる。現在では小さん一門の重鎮で中心である。


新会長として予想された1人は副会長の林家正蔵だった。今年62歳で市馬の1歳下、落語家歴も近く後任としては収まりがいい。正蔵は落語家としては中堅格ながら、若い頃からのタレント活動で知名度はトップクラスである。近年かなり外見は老いたようにも見えるがそれもプラスだったのではないか。しかし正蔵の会長はなかった。


今回新会長となったさん喬は75歳、前会長の市馬は62歳。実に13歳年齢が戻ることとなる。落語家歴でも67年入門、81年真打のさん喬に対し、80年入門、93年真打と、5年違えば階級が一つ違う世界では大きな差である。

そもそも市馬が49歳で副会長、52歳で会長となったのはなぜか。市馬は2010年に小三治会長の下で副会長となった。この時真打昇進から17年。まだまだ落語家としては若手の部類。現在の落語家で言えば2006~07年前後の真打で柳家三三・桃月庵白酒などが近い。しかし小三治は弟弟子となる市馬を「面白いことをことさら面白くしようとはしない。私よりよほど小さん的」「腹に何か持っているということを感じることがない」と退任時に評している。小三治とは22歳の差があるが、ある意味自分に持っていない点を称えていたといえる。市馬といえば昭和歌謡に詳しく、同じくクラシック好きの小三治とはつながる点もある。

落語界は世代差が大きい程、下の世代には疎いという。階級が異なり対等に話すことがまずないため。他の分野でも共通だが入門40~50年の真打と10年ほどの二つ目では、ろくに会話をする機会さえないだろう。

小三治は真打昇進に抜擢の意向を持っていたが、このあたり温厚な市馬を副会長にすることで世代間の壁を埋める意味もあったかもしれない。

市馬が会長となった時点で、その間の1940~50年代生まれの世代は会長となることがないともいわれた。前例を見ても落語協会の会長や副会長は常に若返るか同年齢である。今回13歳上がったという事はある意味小三治・市馬体制がイレギュラーだったともいえる。小三治→さん喬→(?)→市馬が前例からみる通常の流れであろう。


年齢からみると次世代へのつなぎともいえるが、さん喬は就任にあたって「皆さまのご期待に添える様に老体にむち打ち、務めさせていただく所存」と発表している。老体にというあたり何かしら沸々と燃えているものがあるようにも感じる。最近の落語界にはいろいろと不満を持っているとも聞く。柳派は笑点メンバーには一人もいないというのも一門のカラーが伺える。

五街道雲助が人間国宝となったが、さん喬もその候補だったのではないか。芸術選奨や紫綬褒章など落語家の顕彰としては十分で、落語議員連盟などで政界とのつながりもある。本人の心境はどんなところかわからないが。

弟子の喬太郎がすでに板付きの高座なのをみると、年齢を重ねながらも衰えを見せず今が全盛ともいえるさん喬。市馬は芸歴や年齢もあってかさほど目立つことはなく任期を終えた。会長としてどんなカラーを出していくか見てみたい。


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