歴代横綱の地位から見る横綱の今後
照ノ富士も武蔵丸に引き際を考えろと公然と引導を渡される厳しい状況。横綱が土俵に這うことは少ないものだが、ここのところの照ノ富士はそのような相撲が多い。本人の意思か協会側の興行政策か定かではないが、引き際を見失っているのではないか。
しかし次の横綱候補が思い当たらないのが一番の難点だ。強いてあげるならば琴櫻、大の里に尊富士か。他の大関・三役は現状から大きく飛躍することが予想しにくく挙げにくい。特に大の里は毎場所成長がみられ、欠点が減っていくように思われる。大鵬も北の湖も上昇期には寝て起きて又強くなっていると証されたが、まさにそんな状況ではないか。
大の里は泥酔云々の問題が報じられたが、かつての横綱大関もその手の話に無縁ではなく、北の湖は大関時代にホステスを口説いた(まだ20歳!)などと醜聞が出たこともあった。ちなみに本人はバッカじゃないのと一笑に付して終わり。
横綱が誕生した時、次の横綱がどの地位にいたのか。ここで調べた。
概ね大関や三役から昇進している。当然代ごとの所要場所数も異なり、2場所もあれば5年もある。この中で番付がダントツ低いのが朝青龍で三段目中位である。この時武蔵丸と東西に並ぶと予想した好角家は流石にいなかっただろう。ただし当時の雑誌では入門時よりモンゴルの期待の星と2ページも割いて紹介され、この頃よりモノの違う逸材とされていたようだ。この点早期より有望視され、そのまま特段壁に当たらず最高位を極めたという事となる。
他に幕下なのが北尾と白鵬。北尾の快進撃も目立つが実はこの時点で幕下昇進から約4年、17場所目であった。末は横綱、入門時の目標も横綱の評判通り、17歳で幕下昇進とはいえある意味幕下の壁に当たっているところである。幕下は相撲界で一番大きい壁ともいわれるが、この頃の北尾はけがや脱走もたびたびあったようだ。この2場所後に十両昇進、そこからが早い。入幕2場所目には横綱北の湖から初顔で金星、3大関を撃破し殊勲賞を受賞。以後、途中休場した1985年夏以外、毎場所10勝以上の勝ち星と三賞を獲得する活躍で、新入幕から8場所で大関に昇進した。
白鵬はこの時点で初土俵から2年ほど。1年後に十両となっている。
時代ごとに見ると当時の大関が上がっているパターンも多いが、ある時突然変異のようにスピード出世の力士が出ている。それも一定の間隔であることが多い。大鵬・千代の富士・北尾・朝青龍・白鵬がそれであろう。
ちなみに照ノ富士昇進時、琴櫻は前頭3、大の里や尊富士はまだ入門していない。先代の横綱昇進時に力士ではない例は未だない。関脇~大関が4人続きある意味想定通りの昇進であった。そろそろ突然変異型の横綱が現れる頃でもある。どうなるか。