人が死ぬ試験

日本の漫画には、同じジャンルにおいて同じような展開が起こる、いわるゆ「お決まり」の展開が存在する。そんな中でもバトル系の漫画においてよくあるのが、「人が死ぬ試験」だ。

例えばハンターハンターのハンター試験だったり、葬送のフリーレンのの1級魔法使い試験だったり、鬼滅の刃の最終選別だったり、まあ探せば他にも出てくるだろうが、とにかく主人公たちやその仲間たちが命をかけて何かの試験に挑むと言う展開は割と多い。

しかし、正直私はこの設定、かなりどうかと思っている。

まず倫理観の問題だ。例えばアングラな犯罪組織や趣味の悪いセレブが愉悦のために催すデスゲームだったら分からなくもない。そもそも人の命を何とも思ってない敵側の人間だからだ。

しかし、主人公側の組織がそういった催しをするとなると話が変わってくる。それはつまり、主人公やその組織どころか、その国家ぐるみで人が死ぬことを暗に認める世界観ってことじゃないのだろうか? 

例えば、もし試験中には死亡者が出たとして、そのことを遺族を連絡したりはしないのだろうか? 連絡しないのもかなり倫理的にヤバいし、もし連絡したとしても「おたくのお子さんは試験中の事故で死亡しました」なんてセリフを親に向かって罪悪感もなく言うのだろうか? しかも死ぬ必要性が薄い入学や入団の試験で? そういうことが気になってしまう私は考え過ぎだろうか?

この手の倫理観の違和感を払拭するために、作中にはその試験内容に疑問を抱き、批判をするキャラクターがいると言うのもまたお決まりだ。
しかし、メタ的に考えれば作者の考えた試験を作者が作ったキャラが批判するのはマッチポンプだし、疑問を挟む人がいるのに一向に改善されない試験内容と言うのも現実感がない。(逆に考えれば「いつまでも問題意識を抱かれながら一向に改善されない制度」と言う嫌なリアリティがあるが……)

また、話がご都合主義的になりがちなのも問題だ。なぜならこの手の試験中にメインキャラが死ぬことはほとんどないからだ。当然と言えば当然、試験が突破できなくて死んだキャラなんて誰が好きになるだろうか? だからこういった試験で死ぬのはモブキャラか、あるいは過去の回想でメインキャラに縁のあるメインとモブの中間くらいのキャラが死亡済みだと示唆される程度だ。人が死ぬレベルの過酷さを前面に押し出しておいて、メインキャラが死なずにモブキャラだけ死ぬと言うのはちょっとご都合主義的ではなかろうか?

ではなぜ、この「人が死ぬ試験」という設定が頻出するのかといえば、漫画の展開として色々と都合が良いからだろう。これほどの試験が要求されることによって、本番の戦闘はより過酷であると言うことが読者に伝わるし、何より現実的なヌルい試験より過激な試験の方が絵的には盛り上がる。

が、前述した通り、死亡するレベルの試験を主人公サイドの組織がやって、それを主人公たちが疑問を抱かないのは問題だし、話もご都合展開になりやすい。

なので、過酷な試験で話を盛り上げるにしても、ヒロアカの要所で挟まれる試験のように、せいぜい大怪我する人間が出るくらいにしておいた方がいいんじゃないかと個人的には思うが、皆さんはどうだろうか?

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