元気をもらうって、私の場合どんなこと? 山の幸との出会いから考えた
山里から茱萸と蒟蒻芋
(ぐみ と こんにゃくいも)
親戚が生活している山里を、先日訪れたときの出来事だ。茱萸(ぐみ)が沢山なっていると聞いた。
茱萸(ぐみ)ってどんなもの?
全く知らない私は、まずは見たいと思った。聞けば、私が手伝いをしたことのある畑の傍にあると言う。私は、実を沢山ならせる木の存在に全く気づいていなかった。近くまで行って驚いた。
山里のとても静かな場所に、明るくキュートな赤い果実。豊かに、にぎやかに育っている。静かな中の、彩り や にぎやかさへの感動だ。
ジャムや果実酒に使えるそうで、少し分けてもらうことにした。摘みながら、私はわくわくした。家で酢に漬けてみようと思った。
蒟蒻芋(こんにゃくいも)の苗も持たせてくださった。「蒟蒻を作る『芋』になるまでは、何年もかかるが、畑に植えておくと、まぁそのうち大きくなるだろう。」とのこと。その曖昧さに、またわくわくした。育ててみようと思った。
「やってみよう」「育ててみよう」の気持ちとともに、私は茱萸と蒟蒻芋を持ち帰った。
気づき
山の幸の魅力に触れ、私は元気をもらった。元気をもらったのは確かだ。だけど、その言葉に続きがあるような。
元気をもらうってどんなことだろう? 自分の奥から何か言葉が出てきそうで、向き合ってみた。自分の心をもっと言語化したくなった。
茱萸の豊かな佇まい。
蒟蒻芋の曖昧さとたくましさ。
自分の手の届かない次元の存在に、惹かれた。
関わってみたいと思った。
「育ててみよう。これで何か作ってみよう。」とやる気が起きた。
子どもの頃、自由で楽しくて植物が好きだったあの気持ちと重なった。
私は、植物を触ったり何かを作ったりするのが好き。今も自分の中にある。その思いが反応し動いたのかもしれない。私にとって、これが「元気をもらった出来事」になるのかな。そう思うと安心した。
さらに私のこと
こんなとき、抑圧は私から離れている。
いつからか纏うようになった抑圧で、私は心身おかしくなったことがあった。何をしたいのか、自分の考えは何なのか、全く分からなくなった。あの混乱の時期、苦しかった。しかし、それはもう過去になりつつある。
ごまとのひらめき💡
元気をもらったと感じたら
自分の奥の言葉にアクセスしてみよう✨
最近、自分の言葉に向き合う作業も楽しい。
[日本食大好き「ごまと」が綴るひらめきnote ]
🌈 夢は 日本の伝統食を
キッチンでスマートに作ること🍀