OちゃんとOちゃんの母ちゃんとその母ちゃんと(後編)
もうすでに書いたが、私、Oちゃんの母は今、バンコクでOちゃんと、ナニーのピジュンの3人で暮らしている。
ピジュンを見つけるまでは、私の母にバンコクについてきてもらい、一緒に暮らしていた。
それがそれが、予想以上にしんどくて、結局母は帰った。母が日本で仕事をしていることが一番大きな理由だが、もうこれ以上は色々無理だったのだ。
今思えば、70代の母と、娘と3人でこれだけ長い時間を一緒に過ごすことができるのは、この先ないのかもしれない。そう思うと胸がぎゅっとなる。
とても貴重な時間だったのだと、思える。
そして、すごく感謝している。
私がタイについたころ、タイでは新型コロナの影響で保育園が休園になっていた。それは実に5カ月続いた。
母がいた2カ月の間、私は大幅に日中の仕事の時間を減らし(2~3時間)、早く帰って家事・育児をし、Oちゃんが寝た後午後9時ぐらいからまた夜な夜な仕事をした。
すごくしんどかったが、日中2~3時間でも外にでて、一人になって仕事をできたのはありがたかった。
子供の叫び声なく、逆に静かすぎて大丈夫か😅?などと心配しないで仕事をできる環境は、なんと生産性が高いのだ、と。
そしてその日中の仕事からの帰り道、それができているのは、母がOちゃんを見てくれているからなのだ、と痛感した。
そして、せめて母に感謝の気持ちをと、帰り道にケーキを買ったり、帰ってからすぐにカフェに一緒にいったりした。
これらをすると、必然的に自分の時間がなくなるのだから、疲れる。自分で自分の首を絞めているようなものなのだ。今思えば、罪滅ぼしの気持ちでもあったのかもしれない。
でもある日、割と人気のケーキ屋さんでケーキを買って帰るとき、そもそもお客さんが結構並んでいる上に、レジに何らかのトラブルがあり、相当時間を食ってしまった。
遅れて帰宅すると、母は「わーーー、お――かえり~!😭」と一言。
その日に限ってOちゃんは元気大爆発で母を披露困憊させていたようだった。
その母を見て、自分を思い出した。
Oちゃんが赤ちゃんのころ、Oちゃんのお父さんは、時々ケーキなどを買って帰ってきた。
披露困憊である私を想像し、なんかしなければと思ったのかもしれない。
でも私は「いや、そうゆうのはいいから、1秒でも早く帰ってこいよ!😒」
「想像力のかけらもねーな!」なーんて、思っていた(怖)。
感謝を伝えたくてケーキを買っているのだけど、
本当にほしいのは、そうゆうものじゃないよね。
子供はかわいいけれど、思ったようにはいかないし、泣かれて手がつけられないような時もいっぱいある。
そうゆう状況を協力して乗り越えることの方が、ケーキよりずっと求められている。
想像力の欠如ではなく、想像はしているんだけど、相手に立った想像はできていないってことなんだろうな……。
仕事していると、なんでそんな簡単なことさえわからなくなっちゃうんだろう……。
そんなことを思いながら、「お――いしい😊❤」といいながらケーキをほおばる母を見つめる。
なんか、自分が本当にいろんな人に迷惑をかけながら生きているように思えて、情けなくなった。
でもその迷惑をかけられても尚、助けてくれる人がいる。
そのことが、胸が熱くなるほど嬉しかった。
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