僕が思う少子化の真の原因


想像以上に深刻な少子化

日本の出生率が、ここ数年で急激に低下しています。
2023年の日本の合計特殊出生率(以下、出生率)が1.20となり、出生数も73万人と、いずれも過去最低を記録しました。(参考文献①)
2022年に出生率が1.26となり歴代最低タイを記録しましたが、それ以前から低下傾向が続いていました。2023年は過去最低を記録すると予想していましたが、こんなに急激に下がったのは本当に驚きでした。
2015年まで出生数100万人をキープし、2018年まで出生率1.4辺りで推移していたことを考えると、ここ数年の出生数の落ち込みのすさまじさを感じます。

象徴的なのは、東京都の出生率が史上初めて1.0を切ったことです。
大都市ほど出生率が低くなるのは自然なことですが、2022年までは全都道府県で出生率1.0をキープしていたことを考えると、日本の出生数の減少トレンドが如何に厳しいものかを示す数字だと思います。

「お金がない」ことだけが原因なのか

さすがにここまで少子化が急速に進行すると、社会でも危機感が増し、あちこちで出生率向上のための議論がなされています。
政府も昨年「異次元の少子化対策」を掲げ、本格的に少子化対策に乗り出す姿勢を打ち出しました。それらの中身は、児童手当、出産費用、奨学金など、金銭面における対策がほとんどです。(参考文献②、③)
これはこれでものすごく必要な対策だと思うんですが、これで出生率が上がるかというと、自分は少し懐疑的です。
お金の心配がなければ、みんな喜んで子どもを産み育てるんでしょうか。

日本人の実質賃金がどんどん下がっていること、
税金と社会保障費がどんどん上がっていること、
それに伴って教育費や住居費の負担がどんどん大きくなっていること、
これらは紛れもない事実だと思います。
でも、「経済的な厳しさ」が子どもを持たない一番の原因かと言うと、なんかそうではない気がするんですよね。

今の子育て適齢期の人たちって、自分のことすらままならない生活を送っている人が多いと思うんですよ。
ただでさえ手取りが少ない給与から生活費を捻出したり、そこからさらに奨学金やローンを返済したりしてる人は多いと思います。

家賃や食費と言った生活を維持するために必要不可欠な支出以外にも、意外とかかるのが「ストレスを解消するための費用」です。
日本の職場は、世界で一番ギスギスしていると言われてます。(参考文献④)
また、日本の職場の社員エンゲージメントは、諸外国中最下位です。(参考文献⑤)
僕も感じていますが、日本の会社員って本当に楽しくなさそうで、自分を抑えて、「諦めて」「割り切って」仕事している人がとても多いです。
というか、「諦めて」「割り切って」仕事をするのがデフォルト、と言う感じです。

仕事に楽しさややりがいを求めるなんてナンセンス。
やりたいことをやるためには、やりたくないこともたくさんやらなければいけない。
いやだと思うことでもやるのが「社会人」の「責任」だ。
給料をもらうというのはそういうことだ。
みんな大変だけど我慢してやっているよ。

楽しさとかやりがいとかの話をすると、そんなもっともらしい理論で一蹴されるし、それに対する反論も持ち合わせてないから、黙って持ち場に戻るしかない。そんな光景が日常茶飯事です。

そんな環境で毎日を過ごしていると、ストレス解消のために高価なものを食べに行ったり、お酒を飲みながら本来の自分を解放したり、旅行に行ってリフレッシュしたいという欲求が強くなります。
そういうことで、日々の労働でたまったマイナスをゼロに戻すという営みが繰り返されてますよね。

なぜ日本の労働環境はこんなにストレスフルなのか。原因は色々あると思いますが、僕が実際に会社員生活を経験して感じたのは以下の二つです。
・メンバーシップ型雇用による、役割と責任の曖昧さ
・過度な顧客重視による労働者の負担軽減対策の遅れ

これについては別の記事で深く考察しようと思いますが、兎にも角にもこういう環境で生きていると、お金があれば自分のために使って、少しでもストレス解消やリフレッシュをしたいという人の方が多いのではないでしょうか。

いくら子育てにかかる費用を支援してもらったとしても、生活費を稼ぐための仕事に加えて「子育て」というもう一つの労働が増える。
それでいて自分のために使える、「ストレス解消のための費用」が増えるわけではない。
もちろんそれらの経済的支援は、ないよりはある方が良いかもしれませんが、トータルで見ると費用も負担も増える子育てを、費用負担が少し軽くなるからと言って、「進んでしたい」と思える人はそう多くないと思います。

一方で、「子どもを産み育てる」という営みは生物としての本能に関わることであり、単純に費用面でのプラス・マイナスのみで子育ての意欲を図れるほど単純な問題ではないと思います。大変なことはたくさんあったとしても、何にも代えがたい喜びや達成感を感じられるのが子育ての大きな魅力だという意見も聞きますし、実際に、経済的にも体力・精神面でも大変だったけど子育てをして良かったと思っている人も大勢いると思います。
お金がかかることも、精神的・肉体的負担が増えることも分かってる。それでも子育てをしたいと思う人も少なからずいるでしょう。

みんなが目指す「テンプレート人生」

では、経済的な問題よりも、みんなの心で「出産・子育て」のブレーキになっているものは何か。
僕が考える一番の原因は、「価値観の画一化による生きづらさの増加」です。
「価値観の画一化」とは、具体的には「大学に入ってホワイトカラーの職種に就く」と言う道をみんなが目指しすぎているということです。
この傾向は、都市部で特に顕著だと思いますが、多くの人が
・都市部の有名大学からの名の知れた企業の会社員
または、
・医学部からの医者
の2択に集約されている感じがします。
都市部の有名大学とは、首都圏であればGMARCH以上、関西では関関同立以上といったところでしょうか。
医者が所謂「ホワイトカラー」という職種に分類されるかは少し微妙ですが、本記事では「社会的ステータスのある頭脳労働」という意味で、医者も含めることにします。
実際に、医学部人気は年々上がっているらしいので、多数の人がこぞって目指す職業であると言えると思います。
自分の適性や願望を考慮せずに、多くの人が無条件にこのような「テンプレート人生」を歩もうとし、親もまた、子どもにテンプレート人生を歩ませようと必死になっている、と言う感じです。

大学進学率があがり、社会を構成する人々の教育水準が上がるということは悪いことではないと思います。
がしかし、日本の大学は「入るの難しいが卒業するのは簡単」と言われており、「日本の大学生は小学生より勉強しない」とも言われています。(参考文献⑥)
加えて、18歳人口の減少で「大学全入時代」と言われている昨今、入試難易度が著しく低い大学(所謂「Fラン大学」)や、定員割れしている大学が増加している(参考文献⑦)中で、本当に「高等教育」と呼べるレベルのなのか疑わしい大学もあると思います。
極端に言えば、「入るのも卒業するのも簡単」になりつつある大学が、社会を構成する人達の知的水準の向上に寄与しているのかは、正直疑問です。

たいていの人は、親や教師などの大人からの「大卒の方が非大卒よりずっと有利」という情報をもとに、「ただなんとなく」大学進学を選択しているように思んですよね。
そして日本の大学は、上述のように入るのも卒業するのも簡単なので、「大卒」という肩書は想像以上に簡単に手に入ってしまう。

中には、主体的に探究したい学問があったり、勉強が得意だからもう少し勉強を継続したい、という前向きな理由がある人もいるかも知れませんが、多くの人は、別に勉強が好きでもなければ得意でもないし、探究したい学問もないけど、大人から聞いた「大卒という肩書の恩恵」にあやかるために大学進学を選んだんだと思います。

確かに、大卒と非大卒では生涯年収に数千万円のが違いある(参考文献⑧)という情報もあり、それだけを見れば大学に進学した方が経済的に大きなメリットがあるというのは事実だと思います。ただ、それはあくまで平均であって、実態はそんなに単純ではないでしょう。
大卒でも生活が苦しい人もいれば、高卒でも高収入を得ている人も少なからずいます。
本来であれば、
・非大卒の生涯年収はとても生活していけないほど低いものなのか
・そのデータはあくまで平均であって、非大卒でも高収入を得る方法はないのか
・そもそも自分に必要な年収はどれくらいなのか
など、その情報を深く考察する必要があると思います。でも、18歳時点でそこまで考えられる人はそういませんよね。
特に、日本のように「大人や先生の言う通りに行動することが正しい」という価値観が強い環境で育てば、自然と大人が提示する選択肢を選んでしまうのは不可抗力だとも思います。

進めば進むほど濃縮されていく価値観

そして一旦大学に入ってしまうと、職業はその中身ではなく、給与の高さや福利厚生の充実度と言う「コスパ」や、知名度や他者からの羨望と言う「社会的ステータス」という基準で捉えられがちです。そして「それらをより多く満たした職業に就いた人が偉い」という価値観の蔓延した集団で四年間を過ごすことになります。
こうなると、高校卒業時点よりさらに、自分の希望や適性はそっちのけで、無意識的に外的要因によって将来の選択をすることになってしまいます。

ホワイトカラー職以外の選択肢は視界に入ってこなくなるでしょうし、それ以外の選択をしようものなら、「何のために大学に入ったの?」という否定的意見にさらされることになる。
この状況で、「自分にとって本当に納得する選択とは」を突き詰めて考えるには、相当強い意志と忍耐力が必要になると思います。

高校卒業や大学卒業時点で、自分の適性や本当にやりたいことやを見極めて進路を選択するというのは、かなり難しいことだと思います。
ただ少なくとも、外的なプレッシャーを感じずに、自分が主体的に「こうかな」と思ったことを選ばないと、後々すごく「しっくりこない感」を感じることになると思います。

人生のステージが進めば進むほど、同質な価値観の人としか関わらなくなります。
会社というのは、営利団体であると同時に、同質な価値観な人々の集まりです。
大卒者がメインで働いているホワイトカラー企業だと、
・両親ともに揃っている(ひとり親ではない)家庭出身
・父親が主たる家計支持者、母親が主たる家事従事者という家庭出身
・両親ともに純日本人
・初等教育から大学卒業まで一貫して日本の教育システムの中で過ごした
という人が大多数になりますよね。
こうなると、異なる価値観やバックグラウンドを持った人と関わる機会は格段に減り、自分の生き方・考え方は無数にあるものの中の一つであり、そしてそれは他人に強く影響を受けたものであるということに気が付く機会をほとんど持てなくなります。

自分が今いる環境になじめず、何か違和感があるという状況でも、異なる生き方や考え方に触れる機会がないために、自分が見聞きできる人生のサンプルが極端に限られている。
それゆえに、なかなか自分の本当の願望に基づいた選択が出来ずに行き詰ってしまう。または、全く異なる選択肢があることを知ってはいても、自分の周囲に具体的にそれを実践している人がいないので、実践する勇気が持てない、という状況になり、いつまでも「しっくりこない感」が解消されない。
今の日本には、こんな人が大勢いるのではないでしょうか。

「しっくりくる生き方」なんて、そう簡単に見つかるものではないのかもしれません。ただ少なくとも、「自分自身の価値観や、自分自身の判断基準で考えて、自分らしい選択をした」と言う感覚があれば、たとえその選択が上手くいかなかったとしても、「自分の人生を生きている」という感覚が得られるんだと思います。
言い換えれば、「自分の人生を生きている」という感覚は、「自分らしい選択」の積み重ねが必要で、それが出来ないと「自分ではない他の誰かの人生を生きている」という感覚から延々と抜け出せないんだと思います。
その積み重ねがないまま「子供を産み育てる」なんていう後戻りのできない重大な決断な選択なんてできるはずがないんです。

こんな服が着たい。
こんな食べ物を食べたい。
こんな部屋に住みたい。
こんな車に乗りたい。
こんなところを旅行してみたい。
こんなことを学びたい。
こんな仕事がしたい。

自分の心の声に従った小さな選択を繰り返すことで、大きな選択をする決断ができるようになり、その延長に「家族を作りたい」、「子どもを産み育てたい」があると思うんです。

試行錯誤できる仕組みがあれば良いんですが…

人や社会の価値観を変えるということはとても難しく、時間がかかることです。
昨今ではセクハラやパワハラが問題だという認識が当たり前になりましたが、それまでの数十年間、男女差別や上司からの暴言に対して何も言えず、また周囲も問題と捉えずに放置されてきた人たちが大勢いたことと思います。
最近では「カスハラ」という言葉も広がりつつあり、長年にわたって日本社会で当然視されてきた「お客様は神様だ」という考え方が変わりつつあります。

目下急速に少子高齢化が進む日本において、価値観を変えていこうなどと悠長なこと言っている余裕はないのかもしれません。
それに、「価値観が変わったかどうか」を定量的に測るのは難しいため、「経済的支援」という定量的測定が可能で、かつ早急に実行できる施策に注目が行くのは仕方ないとも思います。

そしてその経済的支援では、「今の状況で安定して子育てができる」ことを強化しているように見えます。
非正規労働で収入が不十分でも、子育てにかかる費用は政府や自治体が負担してくれる。
これはこれで実行する必要があることだと思います。今現在の収入が十分でないことが、子育てをためらう原因となっている人も大勢いるでしょうから。

ただ、それと同時に「今いる状況を変える」や、「他人と違う選択をする」ということをしやすい仕組み作りも進めてほしいんですよね。
そういう仕組みがあると、「しっくりくる感」に近づきやすくなると思うんです。

例えばなんですが、新卒採用のシステムをもう少し柔軟なものにして、色々試行錯誤しやすくする、というのは効果的なんじゃないかなと思います。
今現在の仕組みだと、大学進学後の進路やスケジュールがものすごく均一化されていて、軌道修正したいと思っても、その機会を持つのがなかなか難しいです。
現在の新卒採用のシステムでは、就職活動期間が全員三年生の夏~卒業までの二年弱の期間に限定されていますが、人によっては、卒業までは卒論や研究に集中したいとか、アルバイトのような形で色んな業界の実体験を積んだ後に進路を決めたいとか、海外でバックパッカーをして見識を広げたいとか、実はみんな色んな願望があると思います。
実際にこの期間中に就職活動をやってみても、ピンとくる企業がなかったのでもう少し時間をかけて就活をしたいという人もいるはずです。

個々人が自分が納得する学生生活を送り、自分に合ったタイミングで就職活動をできるようにするために、僕個人としては、以下のようなシステムになれば良いと思います。

  1. 卒業後二年以内であれば、新卒採用の対象として同列に選考される。
    →学生生活で就活を気にせず本当にやりたいことに専念できる。時間をかけて自分の適性を考えることができる。

  2. 新卒採用でも「経理職」や「ITエンジニア職」など、職種を明確にした募集を実施する。
    →配属部署や職務内容が入社後でないと分からないという所謂「配属ガチャ」でのミスマッチをを防げる。応募の段階で職種を決める必要があるため、自身の適性ややりたいことを考えるきっかけになる。

  3. 導入的な職務を担当する「アシスタント職」のようなポジションを作り、新卒採用で採用された人はこのポジションに就く。そして上位ポジションに就くために必要な条件を明確に決める。(資格取得や特定の業務の習得など)
    →「言われたことは何でもやる」という総合職の職務では、何を目標にすれば良いか分かりづらい。導入的な職務を実施することで、その職種の基礎を身に着けた上で、次のステップとして何が必要かが明確なため、将来をイメージしやすい。
    また、職務内容が導入的なものに限定されている分、本人も何をどこまで勉強すればよいか分かりやすいし、教える方も教えやすい。

一例として新卒採用の仕組みの変更を挙げましたが、他にもできることはあるんじゃないかと思います。
大学に進学するにしても、高校卒業後すぐに行くのではなく、ある程度社会人経験を積んでから行くという選択肢もあると思います。
高校性の段階では、「みんなが行くから」や「親が行けと言っているから」といった受け身な理由で大学進学を選択しがちですが、ある程度社会経験を積んだ後の方が、学びたいことが明確になったり、主体的に「大学に行きたい」というモチベーションが生まれるでしょうし、その方が大学でも吸収できることが多いと思います。
「リスキリング」が重要になっている昨今では、社会人になった後でもこういう選択ができるということは、とても重要だと思います。

テンプレ人生を歩もうとしたが行き詰った自分

以上が、僕が考える少子化の原因です。
「少子化」がテーマでしたが、「大学進学と就活」の話になってしまいましたね。
でも前章で記した通り、「大学進学」と「就職」において納得感が得られていない(=自分の基準ではなく他人の基準で選択してしまっている)ことが、少子化の大きな原因なのではないか、というのが今回の投稿の趣旨でした。
そして、他人に流されるがままに進路を決めてきてしまったために、いまだにしっくりくる感、納得感を持てずに日々を過ごしているは、他でもない僕自身です。

僕の場合、中学生くらいまでは、自分の心の声に従った選択が出来ていたように思いますが、高校生になってからは他人の価値観にとても影響を受けるようになってしまい、「社会が良いと認めているもの」=「自分がしたいと思っていること」と思うようになってしまっていました。
僕の通っていた高校は、「スーパーサイエンスハイスクール」という、理系教育を重点的に行う高校として文部科学省から指定を受けた高校でした。
同級生でも、文系学部への進学希望者よりも理系学部への進学希望者の方が多かったです。授業の中で、近くの国立大学の理系の大学院生の方たちを招いて研究内容について紹介してもらうことがあったりと、どことなく「理系の方が文系より上」と言った空気があり、自分もその空気に流されて理系学部を選んでしまったんです。
今となっては、自分の興味の対象や思考の仕方は完全に文系だという自覚がありますし、理系の方が文系より上だとは全く思いません。それぞれに面白さがあり、どちらも社会を支え、人間社会を豊かにするために必要不可欠な学問だと思います。
二年生になるタイミングで文系と理系に分かれるのですが、僕が理系を選んだことを知ると、友人たちはみな驚いていました。曰く、「お前はどう見ても文系だろ」と。やはり客観的に見ると自分は文系人間なんですね(笑)
ただ、理系科目が得意と言うわけではなかったものの、全くダメというわけでもなかったので、理系を選択しても何とかやっていけてしまったんです。
もしこの時点で、理系科目についていけず、定期テストや模試でも得点が取れないようであれば、潔く文系を選んでいたのかもしれません。
そんな感じで高校生活はなんとかやり過ごして、無事に(?)大学の化学系学科に入学したのですが、大学ではいよいよ自分の理系への適性のなさに直面することになりました。

大学入試の学習範囲では、数学や物理と言った理系科目もパズルを解くような感覚で理解でき、試験でも人並みの点数は取れたのですが、大学に入って一気に専門性が増してくると、授業の内容が全く理解できなくなりました。そして何より、それらに対してほとんど興味が持てませんでした。
大学四年生で研究室配属となり、自身の卒論のテーマが与えられたのですが、授業に全く興味を持てず、かつ理解できないまま過去問で解き方だけを覚えるという小手先の対応だけを続けてきたツケで、卒論をどのように進めればよいのか全く分からない状態に陥りました。
なんとかそれらしい形にして卒論を仕上げたのですが、恐らく相当大目に見てもらって卒業させてもらったんだと思います。

大学四年生時の行き詰まり感は、あれから15年近くたった今考えても、人生最大の苦しさでした。
今思えば、どこかの時点で自分の適性を客観的に見つめなおして、文系学部に転学部するとか、そもそも最初に文系学部に入学するなどした方が良かったのかなと思うこともあります。
でも、あの当時の自分には、その勇気がありませんでした。
他人に出来ることは自分にだってできるはずだという、自分に対する過信があり、自分には向いていない、出来ないということを認めることが出来なかったことも一因だったのかもしれません。

ただ、大学院に進学して興味のないことを研究し続けるのはさすがに非現実的だと思い、大学院進学ではなく文系就職をしたのは、せめてもの賢明な決断だったと思います。

こんな感じで、僕は周囲に流され「テンプレート人生」を歩もうとした結果、自分を見失うという結果になってしまいました。
それを誰かのせいにするつもりは全くなく、他人の価値観に流されてしまっていたとしても、それは他人に強制されたわけでもなんでもはなく、全て自分自身で決めたことです。
最近になってようやく、「そろそろ自分の価値観に従った選択をしよう。そうしないといつまでたっても『しっくりこない』ままだ。」と思うようになりました。

「仕事が楽しい」と自信をもって言えるために

数年前に、オーストラリア出身の人と話す機会がありました。
その方は、世界中に展開している外資系ホテルに勤務していて、転勤で世界各国を数年単位で異動している人でした。
その人からどんな仕事をしているのかを尋ねられ、自分の仕事について説明すると、その人は「その仕事楽しい?」と僕に尋ねました。

その瞬間、僕は言葉に詰まってしまいました。
「自分の仕事を楽しいと思うか」という質問は、日本人同士の会話ではほぼ出てこないと思います。
日本では、「仕事=苦痛に耐えること」という認識が根強いですし、実際に多くの人が、上司や顧客から理不尽なことを言われても「仕事とはつらいものだから仕方ない」と思って頑張って取り組んでいると思います。
多くの日本人にとって、仕事は楽しいものではないというのは自明です。
でも例えば、フランス語で労働を意味する「travail」は「拷問」を意味する「trepaliare」というラテン語が語源であるように、労働が辛いものであるという感覚は日本以外にもあるはずです。
にもかかわらず、彼は自分の仕事を「世界中を回れるので、冒険しているみたいで楽しい。」と言っていました。

その当時の自分は、仕事に対してまったく楽しさを感じていないわけではありませんでした。やりがいや楽しさを感じる部分も確かにあったのですが、苦痛であると感じることの方が大きかったため、自信をもって「楽しい」と答えられませんでした。

何の躊躇いもなく「仕事が楽しい」と言える人に出会ったことが衝撃であると同時に、否応なく自分とその人の違いは何なのかを考えさせられた瞬間でした。

お互いの仕事や経歴についてそれ以上突っ込んだ会話はしなかったので、今となっては詳細は分かりません。
その人と自分では、仕事の内容も全く違うので、一概に比較することは難しいのかもしれません。ただ一つ感じたのは、その人が屈託のない笑顔で「仕事が楽しい」と言った時の表情が、ちゃんと自分のやりたいことを選び取り、その選択に満足しているということを示していたということです。

因みにですが、その方曰く、オーストラリアでは大学や専門学校に行きながら、自分の専門分野の仕事をインターンのような形で在学中に体験するプログラムがあるそうです。
このプログラムも、自分の適性を少しずつ確認することができ、納得した形で実社会で働くことが出来る仕組みなので良いなと思いました。
日本の場合、社会人になると生活スタイルや価値観が学生生活から急に変わります。
学生生活はさながら「モラトリアム期間」で、緩く楽しく過ごせますが、社会人になると急に「時間厳守」「お客様や上司の言うことが全て」「自己責任」という軍隊のような環境になり、その変化についていくのは結構大変です。もう少し段階的に変化できるような仕組みがあれば嬉しいという人は結構いると思うんですよね。
企業側も、あの手この手で研修したり啓発(洗脳?)したりする手間が省けて、双方にとってメリットがあると思うんですが、どうでしょうか。

他人の価値観に惑わされずに、本当に自分が満足するライフスタイルを見つける。
そうすることで、自分の人生や生き方に満足することが出来る。
「人生」や「生き方」と言うととても壮大な感じがしますが、そこまでのスケールのものを見つけることができなくても、少なくとも毎日を楽しみながら過ごすことができる。
そんな大人の姿を見た子どもたちがまた、自分の納得する生き方を見つけて、毎日を楽しみながら生きていく。
こんな循環が出来れば、もう少し「子どもを産み育てる」ことへの心理的ハードルが下がるのでは、と思います。


<<参考文献>>
gaikyouR5.pdf (mhlw.go.jp), 閲覧日:2024/8/27

こども・子育て政策|岸田内閣主要政策|首相官邸ホームページ (kantei.go.jp), 閲覧日:2024/8/27

異次元の少子化対策 児童手当や給付金 2024年最新情報 (yahoo.co.jp), 閲覧日:2024/8/27

【要約】なぜ、日本の職場は世界一ギスギスしているのか【沢渡あまね】 (youtube.com), 閲覧日:2024/8/26

なぜ日本人は「仕事への熱意」が145カ国で最下位なのか…日本人の「生産性」を高めるために必要なこと なぜ「スピーチの内容」より「英語力の有無」が気になるのか | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン), 閲覧日:2024/8/26

小学生より勉強しない日本の大学生 1日に授業を含めたった3.5時間! | なぜ日本の大学生は、世界でいちばん勉強しないのか? | 東洋経済オンライン (toyokeizai.net), 閲覧日:2024/8/27

「私立大学の過半が定員割れ」が示唆するわが国の課題 ―教育効果の客観的把握と情報開示で「大学の供給過剰」是正を―|日本総研 (jri.co.jp), 閲覧日:2024/8/27

ユースフル労働統計 2022 (jil.go.jp), 閲覧日:2024/8/27

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