見出し画像

山田奨治「東京ブギウギと鈴木大拙」人文書院

表題をみて思わず手にとった一冊。オイラがメンターの一人として考える鈴木大拙には「隠された秘密」があった。息子としていた鈴木勝が実は養子のアランであったということだ。このアランは大拙の夫人ピアトリスと同じスコットランドの男性と日本女性の間にうまれたハーフである。英語環境にうまれたアランは実に端整な顔立ちで、背も高く異彩を放っていた。しかし行動はというと学校では問題を起こし続ける放蕩息子であり、大拙もえらく手をやいていたらしい。幼少の頃はかなり厳しく接していたらしいし、時には見放すようなこともあったらしい。アランはアランで、父の嘘(自分が養子であることを対社会的に隠していたこと)を見抜き、強烈な反抗心を燃やしつつも、学問的にあまりに偉大な父を尊敬する両面をもっていたらしい。アランは決して無名の人物ではない。エリートの登竜門であった日米学生会議に英語力をかわれて代表の一人として参加し、禅についての紹介をし、後には服部良一に認められ戦後を代表する歌謡曲「東京ブギウギ」を作詞、当時スイングの女王といわれていた池真理子と結婚している。アランは生涯3回結婚しており、この結婚は2回目だった。それだけではない、他の女性を妊娠させて大拙に多額の慰謝料を追わせたこともある。大拙の教育観は禅の王道とは違っていた。完全な個人主義をつらぬくのでなく、まるで旧約聖書の放蕩息子を待つ父親のような立場を貫いた。どこか人間的な弱さをあらわしているところが魅力だと思う。大拙のアランに対する姿勢は以下の話につながる。
「猫が子を運ぶとき、親猫は子猫の首を口にくわえて一匹一匹連れて行く、子猫は親猫に任せきりでいい。ところが猿だとそうはいかない。子猿は親の背中に乗せられて運ばれるので、親の体を自らつかまえなければならない。子猫の移動は浄土真宗の他力(大悲)で、子猿の移動は禅宗の自力(大智)なのだ」
大拙はこの大悲と大智の両方で接していた。決して器用ではないが、最後まで見捨てなかった。その姿勢はどこか共感できる。人間の弱さも含め、興味深い一冊となった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?