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さよならできない思い出たち

「あなたに逢いたくて~Minssing You~」は、松田聖子の歌の中で、私にとっては特別な思いと重なる歌だ。
この歌に、別れた後のかながこう思ってくれたら良いなという思いと、自分自身のかなへの思いが重なってくる。
ひとりほろ酔いコンサートでいつも涙してしまう歌だ。

  二人の部屋の 扉を閉めて 思い出たちに“さよなら”告げた

かなは別れることを決めると、ふたりの住んでいたアパートをためらうことなく、すぐに出て行った。
私は「思い出たち」とは、簡単にはさよならは告げられなかくて、しばらく残っていたが、その「思い出たち」を見るのがつらくなった。
そして、私も無理矢理さよならして、地元に帰ることにした。
弟に頼んでトラックを運転して貰い、最終処分場に不必要な電気製品や家具を持って行って捨てた。
カラスの群れが飛び交い、悪臭が漂う中に思い出たちを投げ捨てる時は、情けなくてさよなら言う気にもなれなかった。
そして、帰りの車の中でジョージ・ウィンストンの「カノン」の曲が流れると、耐えきれず嗚咽してしまったことを思い出す。

あれから、何年も経って思い出の物そのものは失われていても、結局同じような物を買って使ったりしている。
その一番忘れられないのがどてら(袢纏)である。
私は冬になるとどてらを着て大学に通っていた。
当然、どてらはアパートの中でも着てたし、寒い夜はそのまま着て寝た。
当時、大学にどてらを着てきていたのは、私くらいだったので、私のトレードマークでもあった。
こういう自分にとって冬場のトレードマークだったどてらを、妻の道子はパジャマの上にしか着させてくれない。
外に着て出るだけでなく、昼間に着るのも駄目というのだ。
服に関しては、道子のセンスに頼るところが大きいので、黙って従うしか無い。
当時のかなはどてら姿の私にも寄り添ってくれていたが、普通に家庭が築けていたとしたら、同じようにどてらは禁じられていたかもしれない。
たぶん、若い時に粋がって着ていたどてらなのだが、いい歳をして着たらじじむさいどてらなのだろうと思う。

こういう私でもさすがに大学以外で街に出る時は、どてらは着なかった。
当時は革ジャンが流行っていたので、安いのを買ってそれを着ていた。
かなもいつの間にか、革ジャンを買っておそろいで、出歩いたりした。
しかし、この革ジャンは安い革ジャンで、大学のバイト仲間から馬鹿にされて腹を立てたりした。
かなの革ジャンも黒の安物だった。
ふたりは安い革ジャンをおそろいで着て、それで仲の良いところを人に見せていたのだった。
当時の私は自分の着る服にこだわる余裕がなかったし、かなの着る服にもあまり関心は無かった。
でも、数少ない残った写真を見ると、かなはそれなりに似合った服を着飾っていた。
本当はかなはお洒落を楽しみたい方だったのに、けなげにも精一杯私に合わそうとしてくれていた。
その革ジャンもいつしか無くなり、今持っているのはそれよりよほど良い物だが、流行ってないので道子に禁じられて、タンスの中で眠っている。

そして何より忘れられないのは、何日もかかって編んでくれたセーターだ。
かな
にはセーターまで編んで貰ったのに、私は服を一着も買ってやれなかった。
その手編みのセーターは、着るのが誇らしくて、ずっと大切に着続けていた。
セーターはかなと別れた後、ヨレヨレになって着られなくなっても、実家に持って帰り大切にしまっていた。
気がついたら、いつの間にか母が知ってか知らずか愛犬のマットにしてしまっていた。
まるで私の未練を断ち切らせるためのようでもあった。
幸いなことに、そのセーターを着た自分の写真が一枚だけ残っていた。
その後、道子がセーターを何枚か編んでくれた。
かなが編んでくれた一枚のセーターを、いつもその中にどうしても思い浮かべてしまう。

今でも当時身につけていた物で残っているのは、太い皮ベルトのバックルである。
これは、高校時代に神戸の三宮で、自分としては思い切って買ったお気に入りのベルトだった。
既に、皮の方は朽ちてしまい、捨ててしまったが、バックルだけは別のベルトにつけて使っている。
かなと並んで写っているジーンズ姿の自分の写真の腰には、このバックルがしっかり写っている。
バックルはかなを強く抱きしめた時も確かに身につけていた。
だから、バックルもかなに触れていたはずなのだ。

 あなたのぬくもりを そのぬくもりを思い出し

そのぬくもりを思い出させてくれるのがバックルである。
このバックルは壊れることは無いと思うので、これからも身につけていこうと思っている。
どてら、革ジャン、手編みのセーターはかなのぬくもりを思い出させると同時に、私がかなを抱きしめた場面をも思い出させる物だ。

こういうふたりの想い出たちは、机の隅や引き出しの中、書棚に点在する。
なかでも、絶対に大切にしておきたいのは、かなが作ってくれたお守りだ。
私の大学院の入試で合格を願って、かつて戦地に向かう兵士のお守りのようなやり方で、作ってくれた。
このお守りの中にある物こそ、かなが身を削って魂の込められた形見そのものだ。
結局、こういう物たちとさよならできるのは、私が死ぬ準備に入った時だろう。
「さよならだけが人生だ」は井伏鱒二が漢詩を上手く訳した文だそうだ。
愛し合った人とはさよならしても、その形見には想い出と共にさよならできない。
さよならだけが人生と、分かっていながら・・・・・


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