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ひもといた愛の隠し箱

急に学生時代の写真と手紙を特別に保管していたボックスから取り出して、スキャナーで取り込んだ。
それらの写真や手紙はかつての恋人との関わりのあるもので、結婚を機会に本来なら廃棄するべきところをできずに、押し入れに隠していた。
その恋人とは駆け落ちをして、入籍して親戚にも紹介したが、結局別れてしまった。
今までは、その写真・手紙以外に、手紙代わりにやりとりしていたマイクロカセットの録音した声はデジタル化していた。
それを年に一度か二度、どうしても聞きたくなってこっそり聞いていたのだが、妻に対する疚しさを感じ通づけていた。
それは昔への未練や断ち切れない思いを示すような気がしていた。
しかし、もう何年も経って、そんな未練や思いなどは、これから何の現実味ももたないと言うことがようやくわかり始めた。
我が子と昔のような愛情を交わせないように、恋愛も二度と戻ることはない。
壊れたものは二度と元には戻らないといういことを、若さを失ってようやく自分に納得させることが出来たように思う。

それで、妻への疚しさも薄れて、封印していた写真と手紙を紐解くことが出来た。
その写真を見るとこんなにも美しく、魅力的であった人を失ってしまったことを改めて思い知った。
それは若い頃の写真だからというのもあるけれど、当時の自分は彼女の美しさを本当は分かっていなかったのだと思う。
特に、大学卒業を記念して、写真店で撮って貰ったガウン姿の白黒写真は、どんな女性よりも美しく見えた。
また、彼女の手紙には切なる思いが、溢れんばかりに込められていて、果たして自分はそれにしっかり応えていたのか、却って不安を覚えたりした。

実はその彼女の写真や一緒に写した写真のことは、その存在さえ長いこと忘れていた。
彼女と別れてしばらくは、二人で石廊崎で撮った写真を財布に入れて持ち歩いていた。
結婚を機会に処分したのかとも思っていたが、手紙の片隅に他の写真とともに封筒に入れて保管していた。
自分の記憶からも消し去ろうとさえしていたのかも知れないが、彼女と過ごした日々は自分の人生にとって本当は掛け替えのない日々だった。

私は博士課程への関門である修士論文作成が上手くいかず、自分を見失って言ってはならない言葉で彼女の心まで踏みにじってしまった。
そして、その場から逃げてしまい、掛け替えのない人さえも失ってしまった。
私は将来研究者になるの夢と大切な人を同時に自らの弱さで無くして、当時は死ぬことしか考えなかった。
しかし、周りの支えもあって、精神安定剤を飲みながらも。何とか自殺せずに新しい道を追い求め始めた。
夢をきっぱり諦めて、ちゃんと職について彼女の心をとり戻したいと思った。
翌年には教員採用試験に合格して、彼女にもう一度やり直すことをお願いしたが、彼女の返事は冷淡なものだった。
復縁を不可能にしたのは、東京から離れて自分の地元に帰ったことだが、金銭的に追い詰められていた当時は、それを気遣う余裕さえなかった。

このことは、その後に人生にとって架せと戒(いまし)めをもたらした。
架せとは恋愛を自分から遠ざけてしまったことだった。
それはまた、駆け落ちまでさせて辛い思いをさせた彼女へ詫びる気持ちも含まれていた。
もし、そういう気持ちがなかったら自分は、その後出会い、私に好意を寄せてくれていた女性と一緒になっていたかも知れない。
母は私を立ち直させるために見合い話を矢継ぎ早に持ってきたが、今の妻は初めて正式に見合いした相手だった。
今から考えると、もう少し待ってもう一度会いに行くべきだったと思う。
当時は詫びる気持ちと同時に、一番辛い時に見捨てられたという気持ちもあって、未練は断ち切るべきとも思った。

結婚後は、二度と離婚の悲劇を起こしたくなかったので、妻以外の女性に何度も心奪われかけたが、自重することが出来た。
だから、誠実な生き方の姿勢を作ったのは彼女と別れたことだったのだから、良い戒めとも言える。
彼女との破綻がなければ、妻との幾度かあった離婚の危機も乗り越えられていなかったかも知れない。
一方で、命がけで愛し合った二人が、なぜ破綻に至ったかを、ずっと考えるのを避けてきた。
今だからこそ、それが出来ると思うし、死ぬまでにせねばならない人生の課題だとも思う。
そしてそれは、人生における恋愛の意味を理解することであり、自分たちが流され生きていた時代をも、捉え直すことでもあると考えるようになった。

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