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未熟な自由

当時はやっていたオフコースの「さよなら」を、私がギター片手に歌うとかなはとても嫌がった。
そして、したたかな自由をもたなかったふたりは、歌詞のように「さよなら」しなくてはならなくなった。
私たち頃の親は、私たちよりももっと親に縛られて生きていた。
私たちが親より自由であっても、それなりの縛りもあった。
私の場合は、地元に帰って来いとは言われなかったが、4人兄弟は均等に学費を出すので、余分には出せないということだった。
だから、私学に行った私への仕送りは少なく、大学院への進学は一切援助されないという約束になっていた。
そうでありながら、進学後に一人娘であったかなの親から仕送りを受けるために婿養子になろうとすると許されなかった。

女性は専業主婦として子育てが重要とされたので、地元に働くところがあるところでは、親の近くに留まるのが普通だった。
だから女性は一般的に短大卒くらいまでが普通で、地元でしばらく勤めて結婚して辞めた。
女性は4年制の大学に進学する数そのものが少なかった。
かなのように地元離れた大学に進学すること自体が希だったのだった。
因みに妻の道子は、自宅から通える大学を卒業し、臨時職員で働いていたが結婚するまでは一度も親元から離れたことは無い。
それに対して、私の娘は地元から遠くの大学に進学し、就職でも地元には帰ってこなかった。
これだけ時代の差があった。

当時の周りにいた女子大生は殆どが自宅生で、下宿生の場合は寮に入っている場合が多かった。
かなも賄い付きの下宿で、大屋さんとの関わりも多かった。
そして、母親とは卒業後には戻ってくることを約束していたのだった。
そもそも、かなの父親は娘が遠くの大学に進学するのは反対で、一切金銭的援助は無かった。
それに対して、母親が娘の一切の援助をしていたのだが、それが出来たのは母親は教員として正規に働いていたからだった。
そういうことで、かなは私と将来一緒になる約束をしていながら、卒業後には母親との約束通りに地元に帰らねばならなかったのだった。

<白昼夢> 地元に戻ったかな
今でも後悔してるんやけど なんで おまえを強う引き留めんかったやろな
・・・・ 強く引き留めてくれてたら きっと 残っていたと思うわ
う~ん 後になって 駆け落ちするくらいやったら 引き留めておけば良かった
でも あなたが 私の母のことを 心配してくれたことも確かだし 私自身  ちゃんと働く気持ちを持ててなかったことも 駄目だったのね
ふたり 結婚する約束してたんやから ちゃんと、両親には会っておけばよかったな せやけど 進学する気でいるのに 結婚は言いにくかった
私は 名古屋に残るつもりで、内定までもらった企業もあって、ちゃんと母にはあなたのこと話して、何日も何日も説得したけど だめだったわ
地元には空港もあって すぐにでも逢いに行けると言われてたな。
大学に行く時ももめたのに もし、帰らなかったら、母の立場がますます悪くなってしまうのも辛かったの
そもそも、まだ大学生やったからな 結婚自体が考えられんかった
私もあなたが研究を続けてほしいと思ったし それを支えるつもりでいたのよ
とりあえずは帰ってあげるように言うたの まちがいやったな
いまさら 言っても仕方ないことよ 実際は仕事し始めたら 仕事のことだけで精一杯になってたかも知れないし
自分も、親の反対を押し切って婿養子になった方が良かったと思ってる
ありがとう 結局 おたがいに 親のしがらみからは 自由でなかったのよ
親を振り切ってでも自由になる したたかさを まだ身につけていなかったんやね・・・・・

そして、かなは地元に帰って、しばらくは互いに辛くてさびしい日々が続いた。
かなは自分自身が、私のお荷物になるのではないかと、悩んでいた。
そして、私との遠距離恋愛を続けながら、通信教育を使って小学校の教員を目指すことを思い立って実行した。
スクーリングを理由に私と会える機会が作れるし、教員になったら私を支えられると思ってくれた。
親としては引き離しておけば、自然に別れるだろうと思っていたかもしれないふたりだが、却ってそれが後の駆け落ちを招いてしまった。

ずっと行動を共にした親友のアキラは、好きな彼女と結婚するために、社会科採用は難しいので、わざわざ国語の免許を取って、教師の道に進んだ。
彼の方が、周りからは研究者向きだと言われていた。
彼も大学院に進むことも考えたようだが、彼女と一緒になるための教師を選んだのだった。
しかし、アキラは名古屋ではなく京都で採用されて遠距離恋愛となり、二年後にふられてしまった。
大学院に進学して、二年後に駆け落ちをした私とは対照的だった。
結局、私も去られてしまい、教師になっても戻ってきて貰えなかったのだから、同じ結果といえば同じなのだが、一緒になれただけ幸せだったと思う。
もし、かなとの結婚だけを考えて、大学院へ行かず教師の道に進んでいたら、家庭はうまく築けていたかもしれない。
しかし、進学しなかったことは、ずっと一生悔いが残っただろうとも思う。
結果的には、後悔する運命だったのかもしれないが、私は夢を追うことを決め、かなもそれを望んでいたことは確かだった。

私とアキラの大きな違いは、アキラは敬虔なクリスチャンであり、純粋な恋愛から、幸福な家庭を築こうとした。
私は、深く愛し合ってきた絆と、ふたりで築き上げてきた慈しみ合う心があれば一緒に夢を追うことが出来ると考えたいた。
本来の夫婦は、生活の基盤を持った上で、一緒に暮らして子育てなどをし、夫婦としての絆を強くしながら幸福な家庭を築くのだろうと思う。
アキラは生活基盤を持ちながら、一緒に暮らす前に恋人を失い、私は生活基盤を持つことができないまま、幸福な家庭を築く前に妻を失った。
当然、私の方がふたり一緒に暮らせる幸せがあった分、その傷は深かった。
今から思えば、どんな無理な状況でも乗り越えられる方法は有ったと思う。
未熟さ故の失敗だったが、未熟だからこそ自由であったことも確かだと思う。

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