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愛をささやけなかった恋人

大学時代に私は自分では見た目からして色男とは思っていなかったが、同じ学科の女性から「色男 力と金はなかりけり」と揶揄されたことがある。
大した実力も金も持ってないくせに、女性とは仲良くしてることへの皮肉だったと思う。
確かに、かなが故郷に帰ってしまった後では、その寂しさを埋めるために女友達以上に浮気な恋ができる相手がそばにいた。
知子は私と同じように、浮気な恋ができる相手のように見えたキュートで魅力的な同じゼミの下級生だった。
彼女からも「わたしたちは 似てるわね」と言われたが、話をしているうちに互いに惹かれて、自然と近づいていった。

ゼミの合宿がβ先生引率で鈴鹿にある大学の施設で勉強と親睦をかねて行われた時だった。
打ち上げは男性の寝る座敷部屋でをおこなったが、酔った彼女の方からそばに来て私の肩を抱いて膝にもたれかかってきた。
あぐら座りの私の膝の上に横たわる彼女の気持ちはよく分かっていた。
彼女の髪をなでながら、人前にかかわらず頬を寄せて彼女の頬と唇にキスをした。
その後は、雑魚寝状態になって彼女はそのまま私の横で眠ったが、ちゃんと私の横には監視役のゼミのβ先生が寝ていたので何もできなかった。
朝になって女性部屋に戻っていった彼女の温もりと香りのついた布団だけが残された。
私は昨夜の余韻から冷めきれずに、その温かい布団に顔を埋めて残り香に酔いしれるだけだった。
その一方で、自分が彼女の虜になりつつあるのを、何とか自分自身を誤魔化そうとしていた。

その後の別の機会のゼミのコンパで、最後までみんなと一緒に飲んで、帰りが同じ地下鉄の路線の彼女と一緒に帰った時のことである。
私は「うちに来ない?」と誘って、頷いた彼女と一緒に駅を降りた。
ふたりで手をつないで、アパートの前まで来て、門から入ろうとすると、彼女は帰ると言い出した。
私は高鳴る胸の鼓動をともなった情熱が一挙に醒めていくのを感じながら、その一方でほっとした気持ちにもなった。
時間が遅かったので、今度は彼女を家まで送りに地下鉄の駅に戻った。
そして、彼女の最寄りの地下鉄の駅から彼女の家の玄関先まで、雪のちらつく長い夜道を手をつないで送っていった。

なぜ、彼女がそこまでついてきたのに、アパートの前で気持ちが変わってしまったのか。
今思えば、彼女がその一歩を踏み出すための、特別な言葉をささやいていなかったのだ。
私は彼女には「愛している」という言葉をかける気持ちの余裕さえなかった。
ずっとそばにいて、深く接していたかなだからこそ「愛している」という言葉が言えたのだった。
ふいに現れた愛し合える機会に、彼女の心を安心させてあげる言葉をかけてあげられるほど、私は女性関係の経験がなかった。
彼女は軽いそぶりではいたが、その気持ちを勇気づけてくれる愛の言葉が必要だったように思う。
彼女も当時付き合っていたのは、私もよく知っている社会人の彼氏で、互いに同じ立場だった。
だから、ふたりともその相手の愛の束縛から逃れるための、愛の言葉が必要だったということだ。
ふたりとも悪ぶってはいながら、軽い浮気な恋を楽しめる者同士ではなかった。
私は自分にこれはちょとした浮気だと言い聞かせようとしたが、やはりだんだんと彼女を本気で好きになっていくのが分かった。
本気になってしまう前に、愛しくなった彼女にあえて私の方から、冷たくせざるをえなかった。
そして彼女も何もなかったように離れていった。

離れて暮らしていたかなは「浮気ぐらい良いわよ やきもちやきではありません」と手紙で書いていた。
これは「本気は駄目よ」という意味も含まれていることは分かっていた。
かなが恐れたのは、心が他の女性に行ってしまうことだった。
友達以上恋人未満の関係より、当然、知子のように浮気な恋人関係の方が危険だった。
ちょっとしたはずみで一線を越えてしまうと、恋愛の有無にかかわらず性愛の虜になって離れられなくなる。
だから、知子と一線越えられなかったのは、かなとの関係においては正解だった。
ただ、かなのいない生活の中で、知子がいたからこそ淋しさを紛らすことができたことも確かである。
付き合う約束など一度もしたことない二人だったが、いつしか恋人同士とも言える仲になった。
後に、東京ではそういう女性がそばにいなくて、孤独をかみしめることになるが、そのこともかなとの駆け落ちを招いてしまった大きな原因だった。
皮肉なことだが、知子がそばにいてくれたからこそ、かなとの遠距離恋愛がとりあえず卒業までの1年間は続けられたと今では思う。

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