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女友達の色添え

私はひとりの好きな女性に、一途にのめり込んでしまうことは無かった。
ただ、ふられた後で未練がましく、一途に追い求めたことは何度かある。
中学生頃から女の子と付き合い始めて、二人きりでデートした女性はかなり沢山いる。
でも、キスするまで仲良くなれたのは、数えるほどしかいない。
私は中学校から男子校だったので、普通の友達として女性と接する機会が大学行くまで殆ど無かった。
高校時代から女の子に声をかけて、付き合って貰うしか方法が無かった。
自分は持てるタイプで無かったので、女の子に付き合って欲しいと言われたのは、文化祭のステージで歌った後に一度だけだ。
かなが恋人になってくれるまでは、関係に親疎はあったが、短い間に関係は終わっていた。

大学に入ってから、かなと付き合う前には、喫茶店に二人で行って話す程度の女友達はいた。
中でも、百合恵は、授業で見かけてその美しさの虜になってしまっていた。
彼女は同じ文学部だったが、違う学科の国文科であり、教養課程で同じ科目をとる機会があった。
文学部は男子が少なくて競争相手もあまり無かったこともあって、彼女に声をかけて簡単に友達になれた。
最初のデートは、喫茶店で話した後、天白川の川原でひたすら歩くことだった。
当然、これは田舎育ちの私の好みであって、すでにそこで都会育ちの彼女とはずれが生じていた。
その後も、喫茶店や電話で話したり、少し一緒に歩く程度のデートはしたが、たいした関係にはならなかった。

かなと付き合いだしてからも、そういう関係は続いていた。
百合恵も私に彼女がいることも知っていたし、彼女自身も彼氏がいることも私は知っていた。
ただ、かなには百合恵のことは、以前好きで友達だっただけだと話していた。
ところが、たまたま百合恵と喫茶店で話していた時に、かなが現れて声をかけてきた。
思わず私は「つけてきたのか?」と狼狽えて言ってしまった。
その場はなんとかしのいで帰ったが、もう、かなとも終わりかなと諦めていた。

ところが、かなはたいした関係で無いことを見抜いていたのか、別れようとは言わなかった。
私があれだけの美人と深く付き合えるはずが無いと思っていたのかもしれない。
そもそも、かなと将来ずっと付き合っていく約束などしてなかった。
ただ、彼女自身は一途に私を思ってくれていることは、自分自身はよく分かっていた。
彼女にとって、誰からも相手にされないさえない男より、きれいな女性と友達になれる位の男の方が魅力を感じたのかもしれない。

このようなしくじりもあったのだが、百合恵とはその後も、たまに会ったり電話で話したりする関係が卒業するまで続いた。
彼女の父親は国立大学の教授であって、電話を取り次いで貰うのは緊張した。
どういうわけか、電話をかけて出てくるのは、母親でなくて父親だった。
百合恵自身は、付き合っていた彼氏とも、ほどほどの距離で付き合っていることを話してくれていた。
普通、深い関係にあるのなら、他の男と一緒にいるところを見られることを恐れたはずだった。
それが無かったということは、本命にしろ、私のようなただの友達にせよ、結婚相手を選ぶまでの、つなぎのくらいに思っていたのかもしれない。
私自身も、美人の百合恵と友達でいること自体で、満足していたように思う。
彼女の一番の魅力は、自分にはない冷めたそぶりの美しさとその軽さで、彼女と話していると、悩むこと自体が馬鹿馬鹿しくなる。
だから、当時の男女間の交際は、その程度の関係が普通で、かなはそれをかなり踏み越えて、深く愛してくれたのだと今は分かる。
その百合恵も、私が東京の大学の大学院に進学することを知った時には、少しは見直してくれた。
でも、卒業してからは、一度も連絡を取ることは無かった。
最後まで普通の女友達だったけれど、貧相な格好をした貧乏学生の私には身に余る色を添えてくれた女友達だった。


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