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64歳で逝った兄のこと

二つ年上の兄だった
昭和の時代は兄弟も多く、父がひとり働き母は身体が弱かったせいもあり内職をして家にいた
4人兄弟の一番上だった兄は、私ら弟や妹と遊ぶことは少なく、いつも文机の前に座っていた背中を思い出す

何かに熱中すると周りが見えなくなり、狭い家の中で私たちが騒ぐと怒るわけではないが、兄専用の部屋のドアに貼り紙をして籠ってたなぁ。

勉強中!と

だから4人兄弟というより3人兄弟で過ごした思い出や写真が残ってる
決して冷たい人間ではなく、親から言われた手伝いは勉強の合間にきちんとしていた。

印象に残ってたのは、お風呂を沸かす仕事、今のようにボタンをポチッと押すわけではなく、外釜の前で木材の破片で新聞紙に火をつけ🔥その後に石炭を入れるということ。

棧を入れないとそこに石炭を入れないと火が起こらないもんね
当番で交替してたけど、私は苦手やった💦兄はうまかったなぁ

彼は頭でシュミレーションができて、実践できてたんだな
とにかく勉強のできる人やった

コミュニケーション力はあまりない人だったけど、学校時代は教師達にとって模範生徒だったよね

二つ年下の私なんか、高校時代の教師から、お前が〇〇の妹か⁉️
それにしちゃぁ、、、と呆れられるのが常だったな

両親も鳶が鷹を産んだ!と言われるほどデキスギだった

そんな兄も大学を出て遠く離れた就職先に赴任したが、私が社会人になった年に
精霊流し、おくんち、ランタン祭りなど誘ってくれた。
彼なりに私を可愛がってくれてたんだろう、歳をとって彼の無骨な愛情が少しづつわかるようになってたけど。

一番ビックリしたのは、私の結婚が決まった時にお祝いと言って当時としては驚きのお金を渡してくれた。

そして別に裸で一万円札を一枚、
えっ??と不思議がる私に兄がひとこと。

「このまとまったお金はお前が何が欲しいものを買うための予算。
そしてこの一万円はそれを買うためには街に行って、探し草臥れて喫茶店やレストランに入るやろ?その時のためにお前のためにそれを使え!」

理屈っぽい人やった💦😆
そして純粋に可愛がってくれた

  兄を思い出す森山良子の歌

思い出したら次々と出てくるので、なぜ64歳で兄が逝ったのか、しばらくは書いてみよう、どうぞお付き合いください。

#兄
#昭和の思い出
#不器用な愛情
#貧乏でも楽しかった

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