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お節介のボーダーライン

人のために何かをするのが好きだ。
仕事は施設に入所している利用者の生活全般(食事、入浴、運動等)の支援を行っている。

昔からなにかと世話を焼くのが好きだった。
趣味で野菜や観葉植物を育てたり、虫や魚を育てたり、育成ゲームにハマったり。

見返りを求めているわけではないが、植物が順調に育っていたり、利用者さんが稀に笑顔を見せてくれるとそれで、「やってよかったな」と思う。
きっと自分の行動は、この人の為になったのだと実感できるからだ。

だが、すぎる世話は時に、その人にとってお節介になる。

最近、良かれと思ってやった事がお節介だったと気がつく場面があったため、自省を込めて、人への親切とお節介のボーダーラインについて考えていこうと思う。

親切が迷惑に

ありがた迷惑 という言葉がある。
その人への好意、親切な気持ちはありがたいものだけれど、行動はかえって迷惑だというものである。

具体例として、下記の状況で考えてみる。

○ただ話を聞いて欲しくて、人間関係の話を友達にしたのに、求めてもいないアドバイスをされて、モヤモヤした。


やった人にとっては、「あなたの為を思って」とか「良かれと思って」 やっている。
きっと喜んでくれるだろう、これを望んでいるのだろうと期待して行うものでも、残念ながら受け取った側には迷惑になってしまうこともある。

親切がなぜ迷惑になってしまうのか?

それは、相手の意志を確認しないまま、自分の考えを押し付けているためではないだろうか。

先に挙げた例で言えば、

○ただ話を聞いて欲しくて、人間関係の話を友達にしたら、求めてもいないアドバイスをされた。
→友達は 「解決を求めているのだろう」と判断し、「きっとこう言えば助けになるだろう」との親切で言ったが、ここで求められていたのはただ話を聞くことであり、アドバイスではなかった。

これは単に、「アドバイスをした友達」だけが悪い訳では無い。「話を聞いて欲しい人」も、どうして欲しいのか、自分は何を求めているのかを伝えるとか、互いに歩み寄るようなコミュニケーションをするのが良い。
自分以外は全て他人なのだから、全てを察するのは難しい。

こちらの例での歩み寄りとしては、

(話を聞いて欲しい人) これからする話は、アドバイスは求めておらず、自分の話をそのまま聞いて欲しいと趣旨を伝える。

(話を聞く友達) アドバイスをして欲しいのか、ただ話を聞いて欲しいのか、どうしてほしいのかの立場をはっきりと聞く。

「せっかく親切にしたのに」「親切心であろうとこんなことされても迷惑だ」と互いに嫌な思いをしない為にも、互いにどうして欲しいか、相手が何を望んでいるのか、の事前確認はした方が良い。

親切な自己満足



相手はきっとこうだろう、こうすれば喜んでくれるだろう、この人の手助けとなるだろうと考え、人に親切にする。

だが、この人が喜んでくれたら自分が嬉しい、自分からの好意をどうか受け取って欲しいという期待も一緒に含んではいないだろうか。
それ自体はごくありふれた感情なのでいいのだが、これが目的となってしまうと話は別だ。


たちまち、親切の皮を被った自己満足となってしまうからだ。

例をあげていく。

○節約志向のパートナーは、いつも安いものを使っている。少しは一流のものを使えば良いのにと思ったので、ブランド物の財布をプレゼントした。だが、「くれるのはありがたいけど…一体いくらしたの?」と表情を曇らせ、喜んでくれなかった。せっかく高い買い物をしたのに。あげなければ良かった。


この例では、節約志向のパートナーにブランドの財布をプレゼントしたが、思ったような反応が得られなかった。
あげた側は、「一流のものを持っていのは気分が良いものだ」「ブランドの財布は高いので、普段使わないパートナーは喜んでくれるだろう」という考え、価値観だった。
だがパートナーは、この価値観とは一致せず、いくらお金をかけたのか、と純粋に喜べなかったようだ。その反応に対し「せっかく高い買い物をしたのに」と不満を零している。


価値観の違い、相手の好みのリサーチ不足がすれ違いの原因だろう。


相手の為ではなくて、自分が気持ちよくなる為に行っていることに自覚がない。
想定していた反応が得られないと、
「せっかく○○してやったのに」「こんなにお金や時間をかけたのに」と、上から目線に捉え、不機嫌になる。
更に言えば、「安物ばかり使っているから少しは一流を知らせてやろう」「ブランド物は高いので、これだけ相手にお金を使えるのだ、と愛情表現になるだろう」
こんな考えも見え透いている。

お節介のボーダーライン

例え相手が喜んでくれなかったり、自分の好意が受け取られなかったとしても、それは相手の自由である。自分の領域ではない。
断られても食い下がらず押し付けてしまうのはよくない。大人しく引き下がるのが良い。
ここの境界線を超えてしまうと、親切がお節介となってしまうのではないだろうか。

そして、受けた側も、相手が親切にしてくれた気持ちを受け取るような言葉をかけるのが良い。そんなのお節介だ、迷惑だ、とただ伝えるのではなく、相手が親切にしてくれたことは受け取って感謝を伝えてから、自分の意見も言えれば円満なコミュニケーションに繋がるのではないだろうか。

「○○なはずだ」「○○に違いない」
こういう思考は危険だ。
相手をコントロールしようとしてはならない。
相手の価値観や意見を尊重しつつ、良い距離感でコミュニケーションがとれると良いなと思う。



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