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小説家になりたかった小学生時代

 誰でも小説家になれるそうだ。
自分の一生を言語化すれば、それは物語性を帯びてくるものなのだ。文章力や表現力の上手い下手はあるにせよ、物語のベースは自分だからネタに困ることはない。
 クドカンの最新ドラマの「不適切にもほどがある!」はまさにクドカンの生涯の一部を切り取っているだろう。
クドカンの組むパンクバンド「グループ魂」でも彼の生き方や考え方が如実に表現されている。
もはやノンフィクションと言っても良いくらいだ。
 格好が悪くても、そう信じ続けたら突き進んでいく不器用な感じが言語化しやすいのだろう。いや、格好が悪い方が物語性が際立つかもしれない。
 私は小学生の頃、小説家になりたかった。本が好きだったし、文章を書くのも好きだった。しかし、圧倒的に書く内容が稚拙で薄すぎるので、ちっとも面白くない言葉の羅列だった。
しかし、長年生きてきて様々な人生経験を積んだ今は、少しはマシな文章が書けるのではないかと思っている。
 小説を書くことが最終目的ならば、いまは雑文でも良いので、言葉を刻んで行こうと思う。

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