静かな未来。

 今俺は30世期の森の中を歩いている。
森と言っても国土の90パーセントが森林地帯であるから、大半が森ということになる。
俺のスニーカーは米国のメーカーのもので、価格は2万円くらいのものだ。それでずんずん森の中を歩いている。
腕には骨董品レベルの腕時計型のモバイルをはめており、方向オンチの俺でも音声案内に従っていけば道に迷う必要もない。
 友人の家はもうすぐだ。電話をかけてやってもいいが、夕食どきだからやめておこう。

 少し広いところに出たので、俺は切り株に腰掛けてタバコに火をつけた。
「ふー。」
さしあたって心配なのは獣と野盗だが、このあたりはなかなか豊かな土地なのでまあ大丈夫だろう。獣除けの御香を取り出し、100円ライターで炙る。
「ふー。」と煙とともに深呼吸をし、まわりをぐるっと眺めた。
「しかしこのあたりも生活しやすくなったもんだ。21世紀に生きていた俺が莫迦みたいだ。あの頃は窮屈で誰もが疲れ切っていて、車の排気ガスやなんやらで気持ち悪くなって兎に角時間とストレスに縛られて何が何だかわからないうちに人生が終わってしまったものなあ。」

 そう八代くらい前の記憶を思い出しながらタバコの吸い殻をポケットにしまった。
「さあ。行くか。」
歩きながらこの山には天狗が出るという話しを思い出した。おおよそ修験者の類いだろうが、できることなら話しのタネにおめにかかりたいものだ。
などと思っているうちに友人の家にたどり着いた。
駅から半日。まあまあの距離だ。


友人の家はわらぶきで、今流行りの昔話なんかに出てきそうな外観だ。
チャイムを押して「おうい。俺だよ。」と言うと、カチカチガチと音がして扉ががらりと開いた。
「久しぶりだなあ。」
「久しぶりだ。」
相変わらずの仏頂面の友人だった。
俺は中に入った。
家の中は広い土間の端にキッチンがあり、居間の真ん中にはいろり。左の壁一面がスクリーンになっているという簡素な作りだ。
「上がってよ。」
「じゃあお邪魔します。」
俺は靴を脱いで、上着も脱ぐといろりの前に腰を下ろした。友人は冷蔵庫を漁って飲み物なぞを用意している。
「奥さんと子どもは?」「下で今寝入ったとこ。」下とは地下の部屋のことである。
現在午後9時。小さな子どもがいるとまあそんなもんか。
久しぶりの友人は、結婚式の時とあまり変わっていなかった。とりあえず2人ともいろりの前に座って薄い酒を飲んだ。
「しかし。」俺は尋ねる。
「ずいぶん山奥に家を建てたな。ここまで来るのに半日かかったよ。」と言うと友人は相変わらずの仏頂面でのんびりとこう言った。
「俺は精神感応値が人の4倍あるからな。里で暮らすとうるさくてかなわんのよ。」
「ああ。そうだった。学生時代からお前は他人を寄せ付けないような感じだったものなぁ。」
俺は笑った。
「お前だって腹を立てるとすぐに手が出るやつだったじゃないか。」
「しょうがないよ。無条件反射だから。」
すまなさそうにしていると友人が続けた。
「でもそれだからプロになれるんだろうな。前の試合はすごかった。」
「あれくらいの能力は今じゃ当たり前だよ。」
自分のことを言われ慣れていないので話しを変えた。
「お母さんは里に居るんだろ?」
「ああ。いるよ。認知症だけどボチボチ仕事してるみたいだな。狩の時期も終わったし一度観に行こうかな。」
「そうだね。そうしなあかんね。」
昔世話になった事もあることから俺はそれを勧めた。


今の時代認知症は病気でも何でもなく、老いたひとつの姿として認められている。
うどん屋なんかで注文が間違っていても
「おい。キツネ頼んだのに月見が出てきたぞ。」とか何とか言いながらみんな別段怒る事もなくそれをずずずと食べている。
大体どこの村にも介護福祉士や音楽療法士などがいて、接し方や介護方法を指導してくれる。
病気にしたって医者の絶対数は減ってしまったが、ネットテレビなどで診察しこれもまた村に1人はいる一級外科士によって必要ならば手術が行われる。助からない場合のターミナルケアにおいても村ぐるみで面倒をみてもらえるので人々は安心して老いと死を迎えることが出来るようになった。
国民の約8割が第一次産業に従事しており、日本全体がほぼ自給自足の時代であるので医師や看護、介護などの医療福祉従事者は非常に重要な位置になっている。

友人が学生時代俺らのなかで流行ったレコードをかけてこう言った。
「じゃあアレやるか。」
「いいね。やろうか。」

ファミコンにカセットを入れスイッチをつけた。

                   了

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