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銀河鉄道な夜


国鉄で運転士をしていた祖父の影響か、新幹線が通る駅の近くに住んでいたこともあり、小さい頃から電車が好きな女の子だった。

小学校低学年の時、うつるんですが出る遥か前に祖母から何かの景品で当たった平べったくて四角いカメラを貰い、ウッキウキで当時まだ走っていた北斗星や黄色い総武線、オレンジの中央線や営団地下鉄の写真を撮りに行った。

初めて撮った写真も電車で
当時はフィルムの使い方も現像の出し方も車両の種類も知らないチビ撮り鉄だった。
当時はただ、ワクワクするその姿をカメラの中に収めたかった。

それから何年か経ち
今度は新幹線に乗りたい欲を抑えきれず、学校の帰りに見かけた車内販売の人の後をつけ、入って行ったドアの前で何分かウロウロして
入ろうか帰ろうか悩んだ後、思い切ってノックした。

いきなりアポ無しで私もやりたいですと履歴書も持たずに来たJKに、当時の車内販売をまとめていた日本食堂の社員のおじさんは暖かく対応してくれて
「本当は高校生の年齢は採らないんだけど、君は面白いからこのまま縁が切れてしまうのは寂しいな」
と言ってくれ
頭悪い学校ではなかったのと祖父が国鉄だった話が勝因で
ストッキングを履く事と口紅を塗る事、高校生とは言わない事、未成年でお酒は売れないのでグリーン車のお茶出し限定を条件にその日そのまま乗車することになった。

当時は携帯電話もないので電話を借りて家に電話して、私の突拍子もない行動に慣れていた家族はあっさり了承して
その日からグリーン車アテンダントという名の乗り鉄になった。

とはいえ、最初は先輩の乗車にくっついていくという研修で
先輩は私とは違う種類の、清楚系ゆるふわのCAを目指しているとても可愛くて親切な、後に私の進路を左右する縁のある大学生だった。
大人と子供の間の私は「大人が一緒だから大丈夫」と安心した。

そしていざ乗車。
高崎駅〜東京駅の2時間の往復の何もかもが新鮮で、もともと乗り物酔いをする私は見事に酔った。

ほとんどの時間は控え室みたいな、トイレとか車掌室がある連結部分に近い場所にある箱のような部屋の中にいるので
外が見えなくても進行方向を向いてると酔わないよとか、世の中には酔い止めというものがあるというのを教えてもらい
帰りに薬局でストッキングと安い口紅と酔い止めを買って帰宅した。

そして3回目の乗車の日
どうしても吐いてしまうのを所長である優しいおじさんに伝えて、辞めたくないけど辞めたい事を伝えた。

その日は例のかわいい先輩が急遽お休みになったため、穴埋めとして乗車してから辞めようと思っていた。
…が
奇跡的になぜかその日から全く酔わなくなっていた。

それから社会人になるまでちょこちょこ趣味と実益を兼ねた乗り鉄をしながら
新潟から来るお弁当担当のおばちゃんたちに可愛がられて全種類のお弁当を制覇したり
トランジット的な駅を通る人からもっと遠い地方のお弁当をもらったり(※車内販売は出発点に戻るまでの時間が消費期限になるため、消費期限内であっても廃棄扱いになるのです)

当時発売した柿の種チョコを貰ったりして
やたら陽気で異色なJKは憧れの車両の中で素敵な大人たちに囲まれてみんなに餌付けされていた。

今になってみるとあの楽しい思い出は、
「新幹線のあの車内販売の中にいた夢」のような感覚になる時もある。

思えば新幹線に憧れたのは小学校の頃。

祖父の持っていた家の二階の窓から見える新幹線の高架。
なだらかに上っていくその橋は夜になると車両の灯しか見えなくなる。

高いところを上昇するように加速しながら走るその姿は私には銀河鉄道999に見えていた。

幼少期に999のアニメで育った私はその中に哲郎とメーテルと車掌さんがいる様で、近くにあるのに手の届かない、見えているのに違う世界として眺めてうっとりしていた。
心の中でいつも、窓から見える銀河鉄道に向かって旅の安全を祈っていた変わった小学生だった。

あれからもっと月日が経ち、デミグラスソースのにおいの充満するビュッフェ車両も、目が痛くなる喫煙車両も、グリーン車のコーヒーサービスも無くなって
ついに車内販売もなくなる。

祖父も亡くなり、例の家の窓からはマンションや家やお店しか見えなくなって
ついに取り壊して更地になった。

あの日、私が見た銀河鉄道と
銀河鉄道の中に行きたいと強く願って、あの時ドアをノックした選択のあとの思い出は今でも私の中で走り続けている。

ワクワクしたその姿はカメラにはうまく収まらなかったけど、大人と子供の間に見た夢はいつまでも綺麗なままで、憧れた姿のまま。

#あの選択をしたから


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