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限界ワーママ医師の私が魅力覚醒講座で生きやすくなった話

                                    
魅力覚醒講座についてググってみる。
アサギストという界隈の人たちは高そうなドレスに明るい髪色(偏見)で、月商8桁!みたいな言葉が踊る。
内容とか後悔とか、まるで人相が違うビフォアフ写真とか、そういう記事も参考になるけれど。

安定した仕事と幸せな家庭を手に入れたのに、階段の踊り場で人生が止まっているような、自分だけが水の中に沈んでいるような、そんな気持ちで。
誰かと共有したくても、周りの友人にはマウンティングと思われそうで話せない。

そんなふうに感じていた私が、どうして魅力覚醒講座に飛び込んだか。

きっと私に似た誰かがいるはず、とちょっとだけ祈りながら書く。

「いい子」で正解を集めてきた人生だけど、次の正解に向かって歩くことがもうできない。
そんな、私に似たあなたへ。


24才でおよめさんになる♡                 

これは小学生の私の「しょうらいの夢」。
当時の私にとって素敵なお姉さんを象徴する年齢はなぜか24歳で、純白のドレスを身に纏うなら24歳がぴったりだと信じて疑わなかった。
女児の無邪気な本心で、迷わずプロフィール帳にそう書き込んだ。

記憶力がよかったらしい私は、教科書を読んだらそのまま頭に入ったし、覚えようと努力する発想もなかった。
覚えた単語を紙に書く。
ただそれだけのことなのに、どうしてみんなができないのか不思議だった。
当たり前のことをしているだけで、先生にはえらく誉められ、クラスメイトには「すごいね!」と持て囃された。

「自分は特別なのだ」
そう思った。

特別な女の子の隣にはいつも、特別な男の子がいるものだ。
セーラームーンのまもちゃんみたいに。神風怪盗ジャンヌの稚空くんみたいに。

24歳になった特別な私を、特別な男の子が迎えにくる。
目が合って、恥ずかしそうに目を伏せる私。そんな私を見つめて、優しく微笑む彼。
めでたしめでたし、ハピリーエバーアフター。

物語だったら一番素敵なところでエンドロールだけど、この世界はそんなに都合良くできてはいない。
人生は続く。


小学生の私と周りの温度差はずっと変わらなかったけど、わかりきった正解をきちんと踏んでいくだけで、ああこんなにも物事がイージーなのね、とすっかり打算的な振る舞いを身に付けていた。
でも子どもらしいいじらしさも少しはあって、「こんなに賢かったら、将来はお医者さんね!」と父の職業を口にする周りの期待に応えるべく、「お医者さんになりたい」と言っては大人たちを喜ばせたりなんかもして。

チョロい受験を終えて入学した中学は中高一貫の進学校だったけど、初めて学校が楽しいと感じた。
クラスメイトたちのキャラクターは様々ながら、しょうもない話でも会話の端々から頭の良さが垣間見えて、皆それぞれに魅力的で、居心地がよかった。

読むことと書くことが好きだから、文章に関わる仕事がしたいなぁ。なんて思いながら、4年くらいのんびりしているうちに成績もずいぶんぼんやりしてしまった。
高2になって、得意だし文系に進むつもりと親に言ってみたら、「なんのためにこの学校に入れたと思ってるんだ(意訳)」というようなことを言われ、ああそうだった、期待に応えるやつですよね、正解は医学部、正解は医学部。

好きなものへの気持ちは新芽のように柔らかくて小さくて、とてもじゃないけどこれじゃあ戦えなかった。大切だった。傷つけられたくなかったから、そっと心の中の鉢植えに植えた。



正解はもうわかってる。医学部に合格すること。
別にやりたい勉強でもないから、最短で終わらせたい。
浪人したら多分無理。そこまでして頑張れない。
てかなんでみんな医者やったことないのに医者になりたいの?どこかで命助けてもらった系?

受験は椅子取りゲームだから、空いてる椅子の周りでライバル何人か倒せば座れる。
やることはあれでしょ、現在地の把握、目的地までの距離を逆算、タスクの洗い出し、ToDoリスト作成。
あなたの武器は?相手の武器は?何で戦う?どうやって戦う?

なんかそんな感じでバトって国立に現役合格した。しんどかったけど、ゲーム攻略は最短で済んだ。
パパママいっぱい課金してくれてありがと、スペックまずまずの脳みそもありがと。
蹴落とした人たちごめんね、多分みんなの方がいい医者になったと思うけど、競争だもん。しゃーない。
こんな成績じゃどこにも行けないと言っていた先生たちも、手のひら返して喜んだ。
ほらやっぱ医学部は正義、大正解じゃーん!

特別じゃない私

医学部合格は明るい未来行きのチケット。
敷かれたレールの上はタスクがやたら多いだけで、みんなと同じ答えが選べれば、あとは快適な片道列車。
医学部は孤立したら詰むので、大切なのは体力とコミュ力。
体育会系の部活に入って、先輩に可愛がられて過去問もらって。
友達と良好な関係を築いて、勉強会して。
授業、授業、部活、試験、試験、実習、実習、卒試、勉強、勉強、勉強、国試。

医学部というだけあって、全国から勉強の猛者が集まっている。
東大を蹴った人、慶応を蹴った人、東大を卒業した人、サッカーで全国行ってきた人、Googleで働いていた人、
レジュメのスクショを頭に保存できちゃう人、小遣い稼ぎに芸能活動してる人。
勉強できて当たり前。あなたはその上に何を積み上げた?
そう突きつけられるような面子の中で、落ちこぼれないようについていくのがやっとだった。
本は勉強の合間に少しだけ読んだ。
みんなは時間を上手に使って自分の好きを深めてるように見えたけど、私は器用にできなかった。全然できなかった。


医学部において女子学生の割合が増えている、とはいうものの、医学部不正入試のニュースは記憶に新しい。
「女は戦力にならない」と切り捨てられる、男優位の社会である。
晴れて研修医になり仕事を始めたけど、私を担当医とは認めず、相手にしない患者も普通にいた。

夜間の救急外来で診察しようとすると看護師扱いされ、そういう人は男性の上級医が出てくると態度を変えた。
埃っぽい当直室で横になるとピッチの音で起こされて、急性アル中患者のゲロまみれの腕を拭いて、点滴をとる。
なんで私は昼も働いたのに、好き勝手飲んで潰れた知らない人のお世話してるんだろう。
この人が起きて治療費を精算する頃にも私は働いてるのに。
眠い目をこすりながら採血の結果が出るのを待って、上級医のカルテと同じ文面にならないように注意を払い、パソコンに打ち込む。
病棟では死を受け入れられない家族がやめないでと泣き叫ぶので、90年以上生きた体の肋骨が折れるのを感じながら、心臓マッサージを続ける。寿命って知ってる?人間みんな、いつか死ぬんだけど。

救急車をタクシー代わりにする人ばかりでうんざりする。
コードブルーみたいなかっこいいシーンはほんの上澄み、一握りの夢。
私、こういう人たちのために、この先ずっと働くの?
そんなことを考えながら、昼も夜も働いた。


女医の3分の1の法則という言い伝えがある。
3分の1は生涯独身、3分の1は結婚するも離婚してしまう、残り3分の1だけが結婚生活を全うできるという法則。
男性とはそもそも体の頑丈さが違うと研修医の頃から実感していたし、くたびれた様子ですら魅力的に映る男性医師と比べ、私の場合は疲れたすっぴんアラサーが顔色悪く医局に座っているだけだった。
人の命を預かる責任の重さに耐えながら、同時に自分の人生も進めていくことができなかったし、私の夢はお嫁さんだった。

そんな折、同業の彼と入籍した。
優しくて、私のありのままを愛してくれる人。
自分は外科医として忙しく働きながらも、医者の仕事に熱意を持てない私を責めることもないし、妊娠がわかるとすぐに「仕事、もういいんじゃない?」と言ってくれた(結局臨月まで働いたけど)。

ああ、ずっとレールの上を走り続けてきたけど、ようやく一時停車できる。
そう思った。

真っ白な人

世界中が未知のウイルスを恐れ、街が静まり返っていた頃。
私は平日の昼間に、ふわふわでミルクの匂いがする赤ちゃんと横になっていた。
こんなにゆっくり時間が流れるのは人生で初めてだったけど、心の中は不安でいっぱいだった。
マスク不足で赤ちゃん用ガーゼも買い占められるような世界にやってきた、真っ白な存在。
この子が初めて出会った人が私なんだと思うと恐ろしかった。
私、ちゃんとしたお母さんになれるのかな。ちゃんとこの子を守れるのかな。

産休に入った頃には百貨店も軒並み休業しており、可愛いベビー服を買うことはできなかった。
子どもを連れて行こうとチェックしていた遊び場も全て閉鎖され、再開の見通しも立たない。
普段は肺炎治療に携わらない夫もコロナ対応に駆り出され、産後の不安定なホルモンバランスも相まって、ワンオペが辛くて泣いていた。
コロナ禍の医療従事者を支える家族というと聞こえはいいが、ずっと深い水の中に沈んでいるような気持ちだった。

まだ言葉も離さない子と二人きりで、スーパーと家を往復する日々だった。
「まぁ、可愛いねぇ」などと言って突然赤ん坊に触れようとするマスクなし高齢者から子どもを守ることが一日の一大イベント。
育休中にスキルアップできる器用な人間でもなかったし、コロナ禍でウイルスだらけの病院に復帰する気も起きなかった。
ずっと、腕の中で眠る小さな女の子のことばかり考えていた。


それでも私には「ちゃんとしなきゃ」精神がこびりついていた。
産後一年経つと、「ゴロゴロしてばっかりじゃダメだ」「何か有意義なことをしないと」ということを考えては焦燥感を覚え、その考えから逃れるのに一番簡単なのは、仕事に復帰することだった。

9時5時の仕事でも、通勤時間を入れると毎日10時間子どもを預けることになる。
歩けるようになったばかりの娘が泣きながら伸ばす小さな手を離すのは胸が痛んだし、心の中で何度も「一緒に過ごせなくてごめんね、絵本を読んだり公園に連れて行ったりできなくてごめんね」と謝りながら満員電車で病院に通った。

そんな思いで職場に復帰してもコロナ禍では以前のように働くことはままならず、病棟で一人発熱すると本来の業務に加えコロナ対応に追われた。
保育園でもコロナが発生し、子どもが濃厚接触になると出勤できない日が続いた。
前々から各所でスケジュール調整したカンファレンスに主治医の私が欠席することになるので、周りに謝り倒して延期にすると、小康状態だった患者さんの病状が悪化し、そのまま亡くなった。
「あの時のカンファレンスで退院できていたら、患者さんは亡くなる前に家に帰れたのに」
誰も悪くない、仕方ないことだとわかっていても、自分を責めた。

日中は医者の仕事、帰宅したら家事と育児をワンオペの日々。
常に体のどこかが痛み、副鼻腔炎や膀胱炎を繰り返していつも抗生剤を飲んでいた。
エレベーターや電車に乗ると動悸がして、呼吸がうまくできないようになった。
パニック発作の予兆だったけど、教科書通りの症状だし、特に驚きはしなかった。
抗不安薬をうまく使えば大丈夫。
大丈夫大丈夫、やるしかないんだから。

これまで身につけてきた「ちゃんとしなきゃ」「頑張らなきゃ」精神が、真綿のように私を締めつけていた。
でも、私にできないはずはない。だって周りのママさん達だってできてるんだから。
神崎恵の一日のタイムスケジュールを待ち受けにして、自分を追い込んだ。
「神崎恵だってこんなに寝てないんだから」「時間がないは言い訳、時間は作るもの」
そういう言葉を唱えては隙間時間をやりくりし、家事をしていた。

好きなことでうまく気分転換できたらいいけど、疲れているとだらだらスマホを見ることしかできなくて、YouTubeを開いたら、タキマキの完璧な作り置きの動画がアップされていた。
タキマキはすごいな。可愛くて、嫌味がなくて、完璧に家事をこなして、旦那さんに愛されて、自分も働いて。

より良い妻像とか母親像とか、そういうものを具体的に追い求めれば追い求めるほど、今の自分の足りないところに目がいく。
100点満点から減点の理由ばかりを考える。どうして私は満点が取れないんだろう。
正解は見えているのに、一向に近づかない。良い方に向かって努力してるはずなのに。
私の人生、こんなにも正解が揃ってるはずなのに、どうして現実はしんどくなるばかりなんだろう。

そうやって、ずっと苦しかった。


苦しい時はいつも本を読む。私の悩みなんてちっぽけだし、優れた先人達がたいてい本に書いている。
そう思ってワーママが書いた育児と家事の両立術の本を開いてみても、綺麗な写真と共に「どんな風に工夫してやっているか」ばかりが載せられていて、「私の頑張りが足りないんだ…」と余計に辛くなるばかりだった。

ふと「仕事・結婚・育児の両立は無理ゲー」という言葉が印象的だった本を思い出す。
読んだ当時は子どももおらず「ふーん」という感じで流したけど、改めて筆者を調べてみたら見た目がまるで変わりすぎて別人かと面食らう。完全に別の世界行っちゃってるじゃん。
しかも「お風呂入らない」「子どものご飯はコーン缶でいい」とかあり得ないことを言っていて、自分とは価値観が違いすぎるその人はもはやエンタメだった。

ライブ配信を開くと、ピンクの髪に高そうなブランド服を着たその女性が現れる。
それが小田桐あさぎさんだった。

痛快でケラケラと笑うあさぎさんの話に引き込まれたけど、過去の自分のありのままをさらけ出し、最後には声を震わせながら「あなたはそのままで光なんだよ」と話すその姿を見て、大切なことを伝えてくれているように感じた。
会ったこともない、話したこともないあさぎさんの言葉に救われていた。
(そしてこの1ヶ月後にご本人と抱き合うことになるんだけど、それはまた別のお話で。)

ブランドバッグより欲しかったもの                               

講座代は高かった。「高すぎやろ…」って一旦ブラウザを閉じるくらい高かった。
子どもを預けて必死で働いて得たお金をこんなことに使っていいの?と自責の念に駆られる。
宗教じみてるし、ぼったくられてるだけかも。

でも、心の隅っこで、私の小さな直感が騒いでいた。
このお金でセリーヌのバッグを買ったって、自分の人生が動きやしないことも知っていた。
何かにすがりたくて、たまたまそのタイミングで目に飛び込んできただけかもしれない。
背中を押してくれる人が欲しかっただけかもしれない。
でも、理解できない価値観に出会ったことは、人生が変わるチャンスだとも感じた。
もういいや、高い勉強代になっても。死ぬ訳じゃないし。

そんな気持ちで飛び込んだ世界は、あっけないくらいに優しい世界だった。

やめても大丈夫

魅力覚醒講座が始まり、これまでの人生では知り合ってこなかったような人と沢山の出会いがあった。
自分の価値観が日々アップデートされ、苦手だと思っていたアサギストたちも、皆それぞれに自分の人生に向き合い、さらけ出し、怖い気持ちを抱きながらも行動して、現実を変えてきたのだと知った。
そしてそんなアサギストの姿を見て、私も自分の人生に向き合い始めた。

まずは自分の気持ちと体調について正直に上司に伝え、心身を削るフルタイムの仕事をやめた。
勤務時間は半分で楽な仕事だけになったので、さすがに給料減るかな〜と覚悟したけど、
まさかの給料はそのまま!というか時給は実質倍になった…!
お金をもらうにはしんどいことを我慢して当たり前、そう思い込んでいた私にとって「仕事や時給って交渉したらなんとかなるんだ!」と目から鱗の出来事だった。
そして、こんなにボロボロの体調になる前に、もっと早く相談すればよかった…。

家事も嫌なことはもうやらないと決めてコツコツ行動し、今ではスマホ一つで家事が完結するようになった。
フルタイムで働いていた頃から時々掃除代行を利用していたけれど、なぜかトイレ掃除だけはお願いする気になれず(今思えば「人様にトイレの掃除までさせるなんて!」って気持ちがあったのだと思う)、自分でやっていた。
でも思い切って「トイレ掃除もお願いできますか?」「他にも気づいたところがあれば、やっていただきたいです」と伝えてみると、トイレ掃除はもちろんのこと「テレビの汚れも気になったので、ついでに掃除しておきました!」「洗濯物も畳んでおきましょうか?」と、担当の方からどんどん提案してもらえる関係になれた。
今では「いつものお願いしま〜す」と行きつけの居酒屋みたいな一言で、家中がピカピカになっている。

キッズラインで探した料理代行さんにはあらかじめ「献立や買い出しリストを考えるのも、実はしんどくて…。メニューはお任せするので、買い物リストを送っていただけませんか?」とメッセージを送ってみると、快く引き受けていただけた。送ってもらった買い物リスト通りにネットスーパーで注文するだけで買い出しも終了。回数を重ねるたびにお気に入りメニューが増えて毎回楽しみだし、調理後の片付けからも解放された。
外食が減ったことで胃もたれや野菜不足による体の不調が減ったし、どんなに疲れて帰っても、すぐに食べられるおかずがあるので精神衛生的にも良い。

こうしてどんどん家事を手放す私の姿を見て夫にどう言われるか内心不安だったけど、
「今日お掃除の人来てくれたんだっけ?床がピカピカだ」「作ってもらった料理美味しいね〜」とあっさり受け入れられ、夫より働いてないんだし家事ぐらいちゃんとしないと、と思い込んでいたのも私だけだった。

半年前は「私は仕事も家事も育児もしてるのに、なんであなたは変わらないの?」と夫が敵のように思えて仕方なかったけど、今は毎日を穏やかな気持ちで過ごせるようになり、心からの笑顔で「おかえり」と言って夫を迎えられる。


家事がなくなると一日はこんなに長いのかと驚く。本を読んだり文章を書く時間も格段に増えた。
それでも時間が余るので、これまでの人生でほとんど縁のなかったアニメにまで手を出してネトフリでずっとみている。センシのご飯が食べたすぎるし、フリーレンの仲間に入りたい。マッシュと猫猫は友達になりたい。

子どもをくもんに連れていくのも苦痛だったけど、今では私も一緒にくもんに通い、学生の頃苦手だった数学の勉強を始めた。「勉強しなさい」って言われるのが大嫌いな私は子どもにもそう言いたくなかったので、親が楽しんで勉強する姿を見せることは子どもにとって一番の教育だと信じている。
子どもも「ママみたいな数字のくもんやりたい!」と私の教材に興味津々なので、「今の教材を続けていったら、絶対できるよ!」と伝えると、宿題を自発的にやることが増えた。
趣味で数学の問題集を解く大人に憧れていて(大豆田とわ子の影響)、中高生になった子どもと一緒にああだこうだ言いながら問題を解くのも夢の一つ。

この半年で、

・趣味みたいな仕事を週2回だけ、しかも稼いでいるのはフルタイムの時と同額
・料理代行、掃除代行、家電とネットスーパーを駆使して家事はスマホで完結
・ただ私がニコニコしているだけでいい、夫は私に家事を求めていなかった
・子どもと一緒に習い事に通って勉強を楽しいと思える
・本や漫画やアニメに好きなだけのめりこむ

こんな風に変化して、私の人生なんかいい感じに変わったと思う。

たった一つの後悔

正直、自分がこんな風に変わるなんて思いもしなかった。
過去の私が今の私を見たら、心底軽蔑していると思う。
大して働いていないのに、家事もしないでゴロゴロして、何になるの?
時間あるんでしょ?もっと有意義なことやれば?他の人はみんなやってるよ?って声が聞こえてきそう。

私は変わったけど、何か新しいことができるようになったわけではない。
むしろ、自分一人で抱え込んでいた問題に気付き(しんどい時って視野が狭くなってるからそれにも気付かないんだよね)、正解を目指すのをやめにして手放しただけだ。
そして、そのままの自分を愛し、周りを信頼して、感謝を伝える。それを繰り返してきただけだ。

勇気を出してアサギストという環境に飛び込んで、本当によかったと思う。
大人になると自分と属性が違う人に出会うチャンスは減るし、凝り固まっていく価値観を自分でアップデートしていくのも疲れる。だから、環境を変えるのが一番楽だ!
そう思って、勇気を出した去年の自分にめちゃくちゃ感謝してる。

ただ、一つだけ後悔があるとすれば、初めてあさぎさんの本を読んだ時に講座の存在を知っていたのに「怪しげな名前の講座だな…」とスルーして、せっかくのタイミングを逃してしまったこと。
もっと早く魅力覚醒講座に入っていれば、赤ちゃんと過ごすかけがえのない数年をもっと子どもと向き合う時間にできたなぁと思う。

もう4歳になる娘はしっかり話ができるし、身の回りのこともちょっと手伝うだけ。
片手で軽々と抱えられるくらい小さかったあの子にはもう会えないのだと思うと、胸がぎゅっと締めつけられる。
喃語を喋って、後追いをして、顔を真っ赤にして泣くあの子の成長を、もっとしっかり見ていたかった。
「明日仕事なのに、なんで熱を出すの」と赤ちゃんを責める最低な自分に自己嫌悪することもなかった。

でも、どんなに後悔しても、過去に戻ることはできない。
それなら、今からコツコツ未来を変えていくしかない。

大きくなった娘がいつか過去を振り返った時、思い出すのは家族の笑顔であってほしい。
たくさんの幸せな記憶で満たされていてほしい。
そんな思いがあるからこそ、私は、これからの人生を笑顔で過ごすと決めた。

きっとこの先も人生のさまざまな局面を迎えると思うけど、あさぎさんの考え方やアサギストの仲間に出会ったことで
不安定な状況すら楽しんで、成長の機会と捉えられるようになった。

もし過去の私のように、「幸せを手に入れたはずなのに、なんでこんなに苦しいの?」と感じている人がいたら、あさぎさんの考え方に触れてみてほしい。
そして、こんな素敵な世界を一緒に歩める同士が増えたらいいなと思い、見ず知らずのあなたに向けて小さな手紙を書くつもりでこの記事を書きました。同じ温度だなぁと思ってくれる人がいたら嬉しい。


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私がアサギストの世界に飛び込むきっかけになったセミナーで(なんなら何も知らなさすぎて3日目に初めて見た)、
普段は魅力覚醒講座で教えてくれる内容が聞ける貴重な機会!

今やあさぎさんの本は10万部のベストセラーだけど、百聞は一見にしかずとはこのことか!ってぐらい、
本を読むのと実際に話を聞くのとでは得られる情報量が全然違うので、本を読んだ人もそうでない人もぜひ見てほしいです。と言うか聞き流しとかできないぐらいあさぎさんの話が面白いから、私も見てる。

このセミナーの3日目には魅力覚醒講座の20期の募集が始まるよ〜
私もOGとして参加する予定!

とはいえ、ここまで読んでも、「気になる…けど怪しい…けど気になる」と感じる人もいると思う。
怪しすぎる講座を私(本業は精神科医)が受けてみた感想なども伝えられるので、気軽にLINEしてね。



私はしんどすぎるあまりに何も調べず飛び込んだけど、今思えば「実際どんな感じなの?」って誰かに聞きたかったもんな…。
執拗な勧誘もしないし(というか性格的にできない)、やりとりが終わったらブロックしてもらっても大丈夫!

それから、この記事を読んでくれた人が魅力覚醒講座20期に参加する場合、申し込みフォームで
紹介者ID  2785
紹介者名 てるみー
と入力してくれるとサポートするので、こちらもLINEから教えてね。

一緒に受講できるのを楽しみにしてます!

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