TRPGの戦闘はおもしろくない?

 主語が大きすぎますね、訂正します。私が主にプレイしている新旧クトゥルフ神話TRPG(coc)とソード・ワールド2.5(sw)についてです。cocは戦闘をするシステムではない、と言われることがあります。しかしそれは神格や上級種族とは戦ってもどうにもならないという意味で、人間の狂信者や魔術師、下級種族と戦闘することは普通です。swに至っては言わずもがな戦闘が中心となるシステムですらあります。
 でもこれらの戦闘は基本的におもしろくない。単調でダレるし、なんとなくストレスがたまる。ただ漠然とした退屈を感じてしまう。
 もちろんtrpgの戦闘はゲーム的要素にのみ留まるものではないことも理解しています。物語の中に困難とそれを乗り越えるカタルシスを産み出し、また戦闘中に起きるドラマは新しいロールプレイの基になる。
 でもやっぱりおもしろくないんじゃ!戦闘を全力で楽しめないから物語にも全力で乗りきれない。これらは私自身の批判的な態度や完璧を求めてしまう性分に問題があるのですが、でも遊びなんだからなるべく100%を目指したい。
 というわけで自分がよりtrpgを楽しめるようにcocとswの戦闘の何を面白くないと感じているのか、どうしたら面白くなるのかについて妄想していきたいと思います。なおcocオリジナルの戦闘が本当にシンプルすぎて武器の性能差が戦力の決定的な差になるので、基本的にはswの戦闘について考えていくつもりです。


プレイグループとプレイパターン

 もう少し私自身のこと、trpgのプレイ環境について話します。グループは身内オンリー、学生時代からの友達で主なメンバーは5人。それぞれの都合に合わせて欠席したり、もしくはメインではないが仲の良い友達を誘ったりしますが、とにかく身内でのんびりプレイしています。以前は集まって対面でしたが、コロナの影響でオンライン移行してからはそれぞれの事情などもありオンラインのみです。
 PLとしての私のプレイパターンはおふざけ7の真面目3といったところ。というよりゲームシステムとしてのデータ・数字と(数値のかかわらない)ロールプレイを強く分離している。

 ロールプレイやキャラ設定はかなりふざけたいタイプでゲームとしての数値・結果が変わらないのであれば何をしてもよいと考えているタイプ。例えばどこかに移動する際に、結果が変わらないのでれば歩いて行っても、三輪車で行っても違いはないと考えている(大の大人が三輪車に乗っていることが周囲の人に怪しまれるなどがあればもちろんその限りではない)なのでかなりぶっ飛んだ設定や行動をするキャラクターが多くなりがち。
 反対にswにおいてビルドはかなり真剣に強いキャラを作る。理由の1つはキャラ設定と戦闘ビルドは互いに直接の影響を与えないからです。

 《牽制攻撃》と《切り返し》のフレーバー的差異を明確に語ることのできる人は少ないのではないだろうか。このキャラはこういう経歴があるからあるから牽制攻撃だな、とかこういう設定があるから切り返しだな、とかが決められません。魔法剣士ビルドで《魔力撃》のボーナスが5点以上あるのにわざわざ《全力攻撃》を取る人は稀でしょう。何か魔力撃を取れない設定があったとしても、その領域まで行くと私としてはキャラ設定に沿ったビルドというよりむしろ縛りプレイに感じます(というか「魔力撃が取れない設定」というものが思いつかない。このキャラの剣の流派には魔力撃がない、とかだろうか?でもこれは魔力撃を持っていない理由付けであって、手段と目的が逆転している)。
 ちなみにcocについてはこの限りではないです。というのもcocはそれぞれの技能にフレーバーが付与されているのでキャラ設定をもとに技能を取得することができます。

 理由の2つ目にわざと弱いビルドを作る意味がほとんどない、ということです。わざわざタビットのファイターをビルドする意味がどこにあるでしょうか。というか弱いビルドは面白くない。ただでさえやることが少ない戦闘においてもっとできることが減る。ロールプレイも大変退屈になる。弱いファイターなんて「くそっ攻撃が当たらない!?」しか言うことが無くなる。

 そんな感じで基本的には「設定には何かしら癖があって変なことをするが、ビルドはいたって真面目で強いキャラ」を作っている。という私の自己紹介でした。

何が面白くない?

ここから本文でここが面白くないのでは?と感じたところを書き出していきます。

前提

 ぶっちゃけtrpgの戦闘なんて茶番である、という意見はありますがそれを言うとこれ以上進めなくなるので無視します。実際のところどのくらいゲーム性があるのかや、クリアできるのかはGMの裁量によるとことが大きいです。
 もちろんGMはみんなを楽しませるためにシナリオに困難を用意しているのであって、決していじめようなどとは思っていません。全くクリアできないなどあってはいけませんし、基本的にはクリアしてほしいと思っているはずです。ですがこれで「どんなプレイをしてもクリアできる」というようになってはいけないません。それこそ茶番になってしまいカタルシスもくそもなくなってしまいます。
 あくまでも「戦闘を通じて得られる緊張感、カタルシスを楽しみつつ」「戦闘によるストレスを極力軽減して」「戦闘そのものを楽しむことができる」方法を模索します。
 最初は戦闘システムだけ抜き出して考えようと思ってたけど、ビルドとか戦闘に至るまでの道筋とかも考えてたら最初に書きたかったものからだいぶ分量増えちゃった。

戦闘の根本的問題

 trpgを戦闘ゲーム的な観点で見ると、私はリソースのゲームだと考えています。レベルアップや装備の更新などはセッションの間で行われるため普通はセッション開始時点が最も強く、終了時点が最も弱くなります(リソースを消耗するため)。「ゲーム開始時点のリソースを用いて、GMの用意した依頼達成条件をクリアする」というのがswのゲーム要素です。
 しかし、これらがPLにとってストレスになりえます。trpgは基本的に「リソースが有限で」「やり直しができず」「リスクとリターンを正確に評価することが難しい」からです。

 まず「リソースが有限」。これはわかりやすく言葉の通りです。PLはGMが用意した以上の報酬金を得ることができませんし、GMが用意した以上の敵を倒すことはできないのでキャラクターの強化にも上限があります。そのためPLが下手を打つと「詰む」可能性があります。ここで無理やりクリアしてもらおうとGMが敵の弱体化をしたり、お助けNPCを出場させたりすると途端に「茶番」となってしまいます。そのため基本的には依頼失敗となりその分のペナルティを負うことになるのですが、ここで次の項目が問題になります

 「やり直しができない」。これはtrpgの良さであり、また大きな問題点でもあります。毎回使い切りでキャラ作成するならまだ良いですが多くのPLは継続キャラを使用していると思います。それなりに設定を考えて、時間をかけてビルドして、愛着のあるキャラクターもいることでしょう。そんなキャラも戦闘で敗北すればペナルティを負います。そしてそのペナルティの中で最も重いものが死亡です。
 一度死んだキャラはもうやりなおせません。そしてこのキャラの死は驚くほど身近なところにあります。本来、swにおいてキャラクターがいきなり死亡することは稀です、大半は気絶で済みます。また、たとえ死亡したとしても魔法でよみがえらせることができます。これだけ聞くと救済措置があるように思えますが、実際はそうではありません。
 swには戦闘ルールがいくつかありますが私たちはほとんど簡易戦闘ルールを使用しています。上級戦闘はGMの負担が大きく、またコマの使用を前提としているためオンラインではめんどくさいからです。
 そしてこの簡易戦闘、とにかく戦闘離脱のハードルが高い。かなり早めに離脱を始めないと全員無事には逃げられません。そしてそれを気絶した仲間を抱えて行う、まともにやろうとすると二次被害待ったなしです。
 さらに復活の魔法は「死亡から1時間以内で主要な器官が残っているときのみ1時間をかけて行う」というものです。これもハードルが高い。まず先述した通り死亡(気絶)した仲間を運んで敗北しそうな戦闘から逃げることはかなり難しいです。敗走するなら気絶=死亡です。
 もし気絶したキャラクターを置いて逃げたらどうなるか。知性の高い魔人や上級蛮族なら交渉の余地があるかもしれませんが、魔獣や下級蛮族ならもうダメでしょう。swにおいて戦闘敗北とキャラクターの死は直結しています。
 少し脱線してしまいましたが、つまり言いたいことは「リソースの使いすぎで詰む可能性」と「戦闘敗北=キャラクターの死」がある以上、PLは「キャラクターの死を避ける=戦闘を避ける」ようになります。当たり前ですが無駄な戦闘はしたくないわけですね。

 そして最後に「リスクとリターンを正確に評価することが難しい」です。
 例えば「窓から覗くと部屋の中にモンスターがいる。さらにその奥には宝箱があるようだ」といった状況の場合はどう判断すればよいだろうか。ここでモンスターの正体を見破ったとしても、ではそこからモンスターを倒すのにどれほどのコストがかかるのか、そして宝箱の中身はそのコストを取り返せるほどのものなのかを判断することは非常に困難です。上記の2要素と合わせても戦闘は避けるのが無難でしょう。

 trpgは先がわからないゲームです。もちろんGMが用意したシナリオの情緒を味わうことは最大の楽しみの1つです。ですがこれはストレスにもなりえます。このモンスターはどのくらい強敵なのか、このダンジョンはあとどれだけ続くのか、このアイテムはどれほど有用なのか。PLは常に判断と選択に迫られ、そしてその結果はすべて取り返しのつかないものになるというストレスにさらされます。

やることが少ない

 ここからは範囲を狭めて、戦闘中に感じるつまらなさについて言語化したいと思います。

 「やることが少ない」まずなんと言ってもこれでしょう。自分の手番にやることが少ない。戦闘の終了条件は基本的に相手陣営の全滅です。なので敵のHPを0にするためにすることは「攻撃」です。
 もちろんパーティの中にはヒーラーやバッファーもいます。ですが彼らも一通りのバフを終えたら攻撃や回復など決まった動きになります。敵に最大効率でダメージを与えようとすると動きのパターンがほとんど決まってしまうんですね。
 原因の1つはできることが少ないということ。キャラクターがレベル9というそこそこ強い冒険者に育っても取得できる特技はたった5つ、ポケモンより1つ多い程度。さらに主動作に選択肢を生む宣言特技はそのうち1つか2つでしょう。ファイターなら一般的には《薙ぎ払い》+《何か》なことが多いのではないでしょうか。特になにも考えずに最も強い「攻撃」を選択し続けるのが最善となってしまいます。
 とはいえ選択肢があったとしてもそれはゲーム性や戦術性、面白さには繋がりません。ファイア、ブリザド、エアロ、サンダーを用意しても結局その中から最善手を選ぶだけなら作業です。

 そういえばさっきからゲーム性なんていう曖昧な言葉を使っていますね。そもそも戦闘ゲームをする上での面白さとはなんでしょう?
 これらについては文章がごちゃごちゃになってしまうので後に回しますが、今のところはゲーム性はそれが単なる切り決まった作業を行うのではなく、遊びとして思考・判断・結果が成立しているか、という意味だとさせてください。

最適解はわかるが結果はわからない

 trpgはオンラインになったとはいえ紙とペンとサイコロのゲームです。コンピュータの代わりに我々が計算をしなければなりません。逆に言うと計算できるようになっているのです。つまりその場ごとの最高効率を求めることができるんですね。最善手を計算で求めて選ぶだけの作業にゲーム性は感じません、もちろん計算問題を解くのも楽しくないです。
 あれ?さっき確か「モンスターを倒すのにどれほどのコストがかかるのか判断することは困難」とか言ったな。矛盾してるじゃん。
 はい、訂正します。モンスターとの戦闘のリスクを計算できます。やろうと思えばですが。PLがいちいち遭遇したモンスターについて勝てるかどうか計算し始めたらどう思いますか?もちろん2d6=7なんて使いませんよ。1でも数値が大きければ成功か失敗かが100%になるシミュレーションに意味ないですし。

 ここが期待値と計算できてしまうことの問題点です。たとえ2d6=7ではなく、2~12が出る確率をそれぞれ使用してダメージ期待値を求めても、計算がより正確になるだけで大した違いでありません。

 ここで戦略と戦術について話します。どちらもゲーム性の下部概念です。戦略はキャラビルドからパーティ単位での方針決定など大きな視点での戦闘に関する考え方とします。戦術はもっと小さい範囲で、それぞれの場面ごとにおいて何をするかという具体的な行動を指します。

 戦略単位で期待値計算をするのは先ほど述べたように不自然です。毎回戦闘シミュレーションをしてコストとリターンを評価することは可能性ですが非常にテンポが悪いですし、何よりめんどくさいです。やはりモンスターの驚異を判断することは現実的ではないでしょう。
 戦術単位での期待値計算は有用ですが面白いかと言われれば微妙です。選択肢が少なく、その場で計算ができるのですぐ最適解が分かります。しかしながら、選択肢が非常に少ないためそこから何か戦術的要素を見出すことは難しいです(そもそも攻撃方法が1種類しかない前衛は珍しくない)。
 こうして最適解を求めたとしても、それがうまくいくかどうかは分かりません。最後にはダイスによる決定に従います。もちろんダイスがPLに何かをするということはありませんが、それでもPLは不確実な期待値に頼るしかないのです。

ターン制コマンドバトル

 ドラクエ、FF、ポケモン、etc。戦闘をターンという単位で区切り、キャラクターが順番に行動していくシステム。古くからあり、今でも大変親しまれている。swの戦闘も分類するならばここになるだろう?上で挙げたゲームはどれも大変名作である。
 しかしここを改めて考えたい。果たしてターン制コマンドバトルにゲーム性はあるのだろうか?
 結論を先に申し上げますとターン制コマンドバトルとしてのtrpgの戦闘はイマイチです。

戦術性はある?

 ポケモンを例に考えてみよう。すごくシンプルに1体1の戦闘をまず考えてみます。「ゼニガメ(みずてっぽう、たいあたり)」と「ヒトカゲ(ひのこ、たいあたり)」の2匹の戦いに戦術性はあるだろうか?
 おそらく戦術性はないでしょう。ゼニガメはひたすらみずてっぽうを使い、ヒトカゲはひたすらたいあたりをする。最適解がそれしかないからです。見た目には2つの技を持っているが、実質的な選択肢は1つしかありません。この問題はたとえ10個のワザを覚えていたとしても解決しない。結局最適解は1つしかないからです。

 ではこれならどうでしょう
A「バクフーン(かえんほうしゃ、かみなりパンチ)」
   対
B「メガニウム(じしん)」と控えの「オーダイル(ハイドロポンプ)」

 これなら戦術性が生まれていますね。バクフーン対メガニウムの戦いは圧倒的にバクフーンが有利です。かえんほうしゃを使えば難なくメガニウムを倒せます。しかしBの控えにはオーダイルがいるため交代されると逆に不利になります。ならばバクフーンはかみなりパンチを使えばいいです。交代で出てきたオーダイルの弱点を突くことができます。しかしもしBが交代をしなかったなら?かみなりパンチではメガニウムを倒すことができず、逆にじしんで倒されてしまいます。すごく雑でポケモンに詳しい人が見るとツッコミどころ満載の例えだとは理解していますが、一旦目をつむってください。
 これは戦術性があり、ゲームとして楽しいといえるのではないでしょうか?AとBがもつそれぞれの選択肢は明確にリスクとリターンがあり、ちゃんと選択肢として機能しています。
 ただしこの例えも十分に楽しいゲームとはなっていません。選択の判断材料がないからです。Aから見てオーダイルに交代するのか、メガニウムのままなのかを考えるための情報がありません完全に50%です。これはゲームというよりむしろギャンブルに近いものになっています。戦術とは言えません。
 実際のポケモンはこうはなりません。例えをわかりやすくするために弱点なら倒せる、そうでないなら倒せない、というように設定しています。しかし、実際のポケモンに則すとバクフーンが最もすばやさが高いので交代後のオーダイルに先制してかみなりパンチを打てます。ただしオーダイルはぼうぎょが高いポケモンなのでバクフーンのかみなりパンチでは一撃では倒せないでしょう。そのためそれぞれの選択肢のリスクとリターンの量は均一ではありません。その差がより戦術性を生み出すことになります。

 さて、ここに見える戦術性と面白さをswにアレンジで応用できるでしょうか?この駆け引きの面白い点は「敵の状態が変化する」「敵の変化に合わせた選択をする」というところです。敵の状態を考えることそのもの、そして予想が当たり大ダメージを与えることができたことに人は喜びを感じます。
 「敵の状態が変化する」これはswでも簡単に再現できそうですね。毎ターン弱点を火↔水とか変えればいいわけです。もっと複雑な変化も考えられるでしょう。
 ですがここにも注意点はあります。あくまで戦術性を生み出すにはPLたちに変化を思考させなくてはいけないのです。ただ順番に変わるだけなら今まで通りの最適解ゲーです。しかし、ランダム変化もよくありません。火と水の弱点が50%の確率で変わるならそれは単なる運ゲーです、選択とは言えません。何か理論に乗っ取った変化とそれをPLに考えさせる必要があるんですね。途端に難しくなりました。
 「敵の変化に合わせた選択をする」こちらを導入するにはデータの大幅なアレンジが必要ですね。複数の属性、それを扱う特技、それぞれの弱点と長所。すぐに導入することは難しいでしょう。

 ここまで長く書いてきましたが、おそらくターン制コマンドバトルにあまり戦術性はありません。ポケモンは対戦ゲームとして成り立っていますが、ドラクエやFFの戦闘自体はあまり面白いものではないでしょう。私がさんざん批判してきた最適解ゲーです。どちらかと言うと戦略性や戦闘によるカタルシスを楽しむことに重きが置かれています。
 ポケモンの戦闘に戦術性が生まれる理由は膨大なデータ量でしょう。現在ポケモンは1008種類もいます。1008種類のポケモンから6匹の手持ちを選ぶ組み合わせは1,400,000,000,000,000通りあります。さらにそこにワザ、とくせい、もちもの、努力値などさらにパターンを増やす要素があります。ここまでデータが多いと最適解を求めることはまず不可能です。少なくとも人間の脳みそで限られた時間で計算することは出来ないでしょう(オンラインの対人戦にはターンごとに制限時間がある)。
 計算不可能性を導入する方法のヒントはここに1つありますね。制限時間を設けることです。各ターンごとにPLの相談時間を決めておくのはいいかもしれません。

戦略性はある?

 戦略性については、多くのターン制コマンドバトルを採用しているRPGゲームの得意とするところです。swにももちろんその要素があります。どの技能をとるか、特技は、装備はetc…。
 ただしこれだけでは個人的に十分とは少し言えない。欲を言えば今ある「選択肢」だけでなく「交換性」が欲しい。後から必要に合わせてキャラクターの性能を変更できると嬉しい。
 もちろんいつでもどこでも無料で変え放題、というのはキャラクターを育てるRPGとしてはおかしい、とはいえ今のswは後から変えられる部分の量と影響が小さいように感じます。
 ポケモンであれば手持ちを入れ替えるだけで大きくパーティ全体の性能が変わりますね。ドラクエやFFでも戦闘に参加するメンバーを入れ替えたり、使用する魔法(マテリア)を替えるとかなり性能が変化します。
 それに対してswではこのような気軽な変更は難しいですね。何かに特効があるような装備は基本的に高価で気軽には買えません。また、装備を変えて大きな効能が得られるようなデータは敵にも冒険者にもありません。もちろん性能の交換があまりにも容易だとキャラクター性を損ないかねないのでその点のバランスには注意しなければなりませんが、そういう意味でも導入は難しいでしょう。

つまりゲーム性は?

 ここらで一度結論をつけたいと思います。ターン制コマンドバトルとしてのswの面白くない点ですが、「1つはやることの少なさ」です。trpgはその場で人間が計算しなくてはならないためその分データ量は少なく、選択肢も同様に少ないです。これが単調さを生み出しています。比較に挙げたポケモンはデータ量の多さでこれをカバーしていますね。詳しく言及していませんがドラクエ、FFもやはりコンピュータゲームなのでtrpgと比べると圧倒的な複雑さを持っています。
 2つ目に「やり直しのきかなさ、有限性」です。
 ではそんな複雑なコンピュータゲームをどう攻略していくかというと、試行回数を増やして最適解を見つけていくのですね。サンダガを使ってくる鳥のモンスター敗北したなら、次はリフレクとエアロラを使えばいいんですね。それでも勝てなかったらもう少しボスの前でウロウロしてレベルを上げましょう。
 swではこうはいきません。ボスに敗北するとそれだけでキャラクターを失いかねないので何度も挑むことはできません。またキャラクターの強化はセッション終了時に行われるので、レベルを上げて物理で殴るというような戦略も使えません。それでは困るのでswの敵はほとんどが初見で倒せるようになっています。そのため戦闘が単調でつまらないものになってしまいます。
 最後に、例に挙げてきたコンピュータゲームのRPGとの大きな違いに「プレイヤーの人数」があります。ほとんどのコンピュータRPGは一人用です、ゲームにもよりますが1人で3~6キャラクターを操作します。それに対してtrpgは原則1人1キャラクター。単純にその分やることも減ってしまいますね。1人が複数キャラクターを所持してセッションごとに使い分けることも可能ですが、それだとキャラクターの成長などの足並みが揃わなくなりまた別の問題が生じるでしょう。(むしろ複数キャラクターをシステムに組み込んでしまうのもアリかもしれません。キャラクターに表と裏の二面性を持たせ、入れ替えることで性能を変化させる。フレーバーとしても二面性や二重人格などは使えそうです。)

 ターン制コマンドバトルを採用しているコンピュータゲームとの比較でswの戦闘の面白くない部分を見てきました。しかしswは単なるコマンドバトルではありません。つい先ほど述べたように複数人で行うチームゲームであるという面もあります。次はここに注目していきます。

複数人協力チームゲーム

 こちらのゲームも大変人気です。代表的なところだとモンスターハンター、Dead by Daylight(サバイバー)、スプラトゥーン、VALORANT、League of Legendsなどがあります。複数人で1つの大きな敵と戦うパターンと複数人どうしで戦うパターンと2通りありますが、どれもアクションやシューティングが多いですね。
 またゲームに限らずスポーツもこのジャンルが多いです。サッカー、バスケ、テニスもダブルスだとこれになります。
 これらのゲームやスポーツからswの面白くなさを分析し、また応用できる面白さを見つけようと思います。

みんなでやる楽しさとは

 チームで協力して何かやりたかったことがうまくいって、それで勝利できるととても楽しいですね。反対にうまくいかないと悔しかったり、場合によってはイライラします。
 複数人で1つのゲームをすることの利点には複雑さの増加があります。単純に人数が増えるとそれだけで考えることが増えますね。ある程度の複雑性は面白さを生みます。
 もう1つ、複数人で行うゲームには役割分担があります。チームの1人1人が自由に行動するのではなくある程度やることを決めておく方がチーム全体としてより強くなることがあります。サッカーのポジションはその歴史で発展してきました。戦術的には決まった役割をこなすことでチームとしてのまとまりを持たせ、また戦略的には役割を決めるとこで限られた練習時間をより効率的に使えるようになります。
 また役割分担をすることそのものが楽しいと私は感じています。人間が社会性を身につける過程で、何かの一員になることに楽しさを感じるようになったんじゃないかな?知らんけど。
 コンピュータゲームではキャラクターや武器の性能に差をつけることで役割分担の必要をプレイヤーに迫っていますね。性能とフレーバー、両方の面からキャラクターに個性を持たせ魅力的にしています。もちろんゲームとしても全キャラクターが同じ能力よりも、いろいろあった方が楽しいですしね。
 swにもこの要素があります。前衛戦士、後衛魔術師、ヒーラー、バッファー。それぞれの技能にあわせて役割分担をしていくことになります。しかし上記のゲームやスポーツとswの役割分担には大きな違いがあります。それは役割分担の程度、「ゆるやかな役割分担」か「強固な役割分担」かです。
 「ゆるやかな役割分担」これは試合中のプレイヤーが事前に決められたポジションや役割を逸脱することができる・する意味があることをいいます。
 VALORANTでいえば役割はデュエリスト(攻撃)・センチネル(防衛)・コントローラー(妨害)・イニシエーター(索敵)に分かれています。使用できるスキルでそれぞれの得意な役割がありますが、それしかしない・できないということはありません。イニシエーター以外も敵を見つけるために目を凝らす必要はあります。撃ち合いはデュエリストにおまかせというわけにもいきませんし、敵に深く攻め込まれたときは全員での防衛が求められます。
 サッカーも同様ですね。フォーメーションシステムの発展で昔ほど自由に選手が動くことは無くなりましたが、それでもFWは高い位置からプレスをかけますし守備的MFがゴールを狙うことも珍しくありません。
 対してswは「強固な役割分担」をします。タンクは攻撃を防ぐことに専念しますし、ソーサラーは火力に集中します。
 この「強固な役割分担」は2つの要素から成り立っています。まずは「ルール・システムからそれが求められる」こと。swでは明らかにそれぞれの役割に特化させた方が強いキャラクターになります。戦士は魔法を使えませんし、逆に魔法使いは敵の攻撃を受けるとあっという間にやられます。システムから役割分担が推奨されています。仮に同じ経験値で剣と魔法の両方を使えるキャラクターを作ったとしてもレベルが低く、使い物にならないでしょう。
 もう1つの要素は「強固な役割分担が可能かどうか」です。何か同じことを繰り返しているようで日本語力の低さが現れているのですが、とにかくできるかどうかなんです。
 ここを詳しく話すために2つの概念を追加します。1つは情報に関する概念「情報の完全性」。もう1つは時間に関する概念「オンタイム・オフタイム」です。どちらもこのnoteでのみ使用するオリジナルの概念です。

情報の完全性

 「情報の完全性」とは「プレイヤーがある時点におけるゲームの情報をどれだけ正確に得ることができるか」です。
 例に挙げているアクションゲームやシューティングゲームの完全性は低いです。敵の位置、スキル、装備などは基本的に分かりません。チームでボイスチャットを繋いでいても味方の位置すら正確には把握できないでしょう。
 スポーツの例としているサッカーもまた情報の完全性は高くありません。理論的にはピッチを見渡せばすべての選手とボールの位置が分かりますが、それをボールを追いかけ走りながら行うことは難しいです。こういう意味では情報の完全性は高くないでしょう。
 swは逆に情報の完全性は高いです。自分のキャラクターの状態だけでなく、味方の状態や敵のワザ、特性などもほぼ100%把握できます。これに近い特徴を持っているゲームは例えば将棋でしょう。棋士はいつでもすべての駒の位置を把握できます。相手の玉の位置が分からなくなったりすることはありません。

時間の進み方

 「オンタイム・オフタイム」はゲーム中における時間の進み方に関する概念です。
 オンタイムはゲーム中に時間が止まらないことを言います。一般的なオンラインゲームはポーズが使えません。誰かが試合を止めることができす、時計が進んでいきます。FPS、アクションゲームなどはほとんどこれですね。
 サッカーも同様に選手の意思では試合を止められません。ボールがピッチの外に出たり、ファウルがあったときは審判が試合を止めますが、基本的に時計は動きっぱなしです。
 オフタイムは反対にプレイヤーがゲームを止めることができる、またワンプレーごとにゲームが止まることを言います。swはオフタイムなゲームですね、1回の行動宣言ごとに時間は止まっています。またすべてのGM、PLがいつでもゲーム中に「ちょっと待って」と言ってゲームを止められます。
 またオフタイムゲームの要素として、「ゲームを始める権利を持っているプレイヤーが動かない限りゲームが始まらない」というものがあります。
  swでは当たり前ですが手番が回ってきたプレイヤーが行動を宣言しない限り先には進みません。コンピュータRPGでもプレイヤーが行動を決定してボタンを押さない限り勝手に敵が攻撃してきたりしません。
 スポーツで例えると例えば野球は比較的オフタイム要素の高いゲームです。選手や監督の意思でタイムを取ることができますし、バッターがバッターボックスに入り、ピッチャーがボールを投げない限り試合は動きません。
 バレーボールは中間的です。サーブを打つまでは試合は始まりませんが、ひとたび動き始めると今度はどちらかが得点するまで試合は止まりません。試合を止めることができない点はオンタイム的ですが、止まっている時間が長いこと、サーブを打つまで試合が始まらない点はオフタイム的です。

つまり

 強固な役割分担ができるかどうか、という話に戻りますが情報の完全性の完全性が低く、ゲームがオンタイム的であるほど役割分担が難しくなります。当たり前ですが味方の正確な情報がわからず、絶えず変化する、全貌の分からない戦場では、緻密な連携を取ることはできません。
 そのため全員がそれぞれの役割を果たすことが難しくなります。タンクはいつでも自分を守ってくれるとは限りませんし、アタッカーとバフのタイミングを合わせることも難しいです。時には相性が不利な相手に、たとえ役割でなくても立ち向かわないといけない場面もあるでしょう。でもだからこそ、相性差を乗り越えたり、連携がうまくいったときに喜びを感じ、またゲームに幅をもたらします。
 swは情報の完全性が高くオフタイムのゲームです。そのため強固な役割分担が成立します。連携ミスは起きません、見えない敵が奇襲を仕掛けてくることもありません。
 ではこの情報の完全性とオフタイムがもたらす問題点はなんでしょうか。それは個々人の意思がパーティ全体の決定に取り込まれてしまうという点です。
 通常swでそれぞれのPLが好き勝手に行動することはありません。パーティで相談して動きを決めます。つまりパーティ全体という大きな疑似人格によって導かれた最適解にしたがって各キャラクターが行動するということです。PL各々の人格は希薄になります。ぶっちゃけた話、私でなくてもいいのです。
 もちろんtrpgの楽しさはロールプレイやキャラクター性の発揮にあるということは理解しています。でもデータ的な戦闘においては誰がやっても同じです。事実大半の戦闘で、戦闘慣れしていて賢いやつが「これが一番ダメージでる」って言って、ほんまに?って計算して、ほんまやってなります。私にとってはほんとうに戦闘ではなく作業です。
 では他に完全情報でオフタイムな複数人協力ゲームはないのでしょうか?それは面白くないのでしょうか?
 これが意外になく、私はコンピュータゲームでは思いつきませんでした。なんかありますかね?
 ただスポーツで1つ思いつきました、「カーリング」です。

カーリングは面白くない?

 オリンピックにも採用されているのだから面白くないはずないだろう。実際に私もオリンピックの中継があれば観戦して楽しんでいる。
 カーリングのざっくりしたルールは、先攻後攻に分かれた4人のチームで、30cmほどのストーンを氷の上で投げ合い、最終的にハウスと呼ばれる円のより中心にストーンを置いたチームが得点できる。これを何度か繰り返し最終得点を競うゲームです。
 カーリングの情報の完全性は高い。どこにストーンがあるのかは一目見ればわかります。相手が何か手札やストーンを隠したりは絶対にしません。
 またオフタイム性の高いゲームでもあります。ショットの権利がある選手が実際にストーンを投げるまで試合は動きません。勝手に氷上のストーンが移動したり、他の選手がストーンを投げたりはしません。
 また試合を見てみれば分かりますがチームで相談している時間がとても長いです。もちろん制限時間はありますが、それでもストーンを投げている時間より相談時間の方が長いことも普通です。
 ではカーリングはswと同じように最適解を選ぶだけのスポーツなのでしょうか。いえ、そんなことはありません。
 なぜならこの最適解を求めることが非常に難しいからです。カーリングの見た目は単純ですが、実際の、現実世界の複雑さはゲームとは比べ物になりません。室内のスポーツですが、フィールドである氷はこの瞬間にも少しずつ解けています。ハウス上にあるストーンも1mm位置が違えば、その先の結果は変わるでしょう。
 では仮に、神の目を持つ選手がいて、彼が最適解を求められるならカーリングは面白くなくなるでしょうか?
 それも違います。確かにチームで相談して作戦を決める面白さは失われるでしょう。彼の決定に従えばいいだけです。でもカーリングはそれだけではありません。次は実際に20kgほどのストーンを約40m先の狙った位置に投げなければならないのです。
 これがとてつもなく難しいことは想像にかたくないでしょう。ショットを投げる選手と氷を磨く選手、それぞれの緻密な操作と連携が求められます。だからこそ素晴らしい作戦に従ったスーパープレイは観客と選手を熱狂させるのです。

 swで遊ぶのに技術は要りません。行動の成否はただダイスによってのみ決められます。ここがtrpgの最高の良さでもあり、また問題点でもあります。
 技術が必要ないということ自体は素晴らしいことです。たとえ全身骨折でベッドに縛り付けられても、会話ができて片腕が動けばtrpgはできます。やろうと思えば足でも遊べるでしょうし、科学技術が発展すれば会話だけや、もしかしたら目線だけで遊べるようになるかもしれません。ありとあらゆるハンディキャップを乗り越えて万人が遊ぶことができるゲームとしてのポテンシャルを秘めています。
 しかし、これは戦闘の陳腐さをもたらします。2d6を振って12を出して打つホームランは決してスーパープレイとは言えません。ただ運がよかっただけです。すべてのPLの行動の結果は例外なく運という不確定な要素に取り込まれてしまいます。

まとめ

 ここまで長々とswに対する悪口を言ってきました。簡単に私の考えをまとめると面白くない部分は2点。「コマンド選択型RPGとしてはデータ量が少なく、選択肢に幅がない」「協力型ゲームとしては情報処理・共有が容易すぎて各人の意思が希薄になる」という点です。人間が対面で会話をしながら紙とペンで行うゲームとしては、やはりこのあたりが限界なのでしょう。

 すこし話が変わりますが、先ほどの最後はすべて運ゲーであるという話。swをやってみるとわかるんですけど攻撃外れやすすぎじゃないですか?そのために命中を上げろって言われるんですけど、しまいにはメイスワールドなんていわれる始末ですよ。
 コンピュータゲームでここまで攻撃が外れるゲームはなかなかありません。命中率が100%が基準で強力な攻撃のデメリットとして外れる可能性がある、というゲームも少なくないでしょう。
 攻撃が外れるって個人的には結構なストレスなんですよね。ほんとうに何も起きないっていうのはつらい。ロールプレイも「くそっ、攻撃があたらない!?」しか言うことが無くなる。命中の不安定さは運の要素を高める要因になっているでしょう。

 ここまでいろんなことを書きましたが、まあ不満があるなら他のシステムを遊ぶなり自分でハウスルールを考えたりすればいいわけです。この文章はそのための足掛かりでもあります。いずれ「僕の考えた最強のtrpg」も記事にしようかな、と考えています。

 最後に、記事内で何度か触れてきましたがtrpgの最大の楽しみはシナリオとダイスロールの結果が生み出すドラマとロールプレイです。戦闘はそのための手掛かりやスパイスとしての役割もあります。それも十分理解しているつもりです。
 それでも私は「面白い戦闘システム」を追求せずにいられません、そういう性分なのです。それに戦闘が面白いに越したことはないでしょう。ソード・ワールドやTRPGを否定したいわけではなく、私自身のより良い体験のために自分の考えを文章化しました。
 末筆ながらここまで読んでいただきありがとうございました。

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