最強のTRPGを考える ~ロストについて~


 詳細なことの始まりは前回の記事に書いていますがかなり長いので、要点だけ抜き出すと
・trpgの戦闘って面白くないなあ。なんでだろう?
・リソースが有限でやり直しができないから挑戦的な行動をとりづらい
・行動の選択肢が少ないから単調
・それはそれとして計算はめんどくさい
・全員の情報と意思が共有できるから自分が集団に取り込まれる

 こんな感じの話になりました。これを元に私の思う「最強のtrpg」を妄想してみようと思います。今回の目指すべき最強の要素は

1.戦闘が面白い
そもそもの始まりですね。まずここを目指します。
2.GMの負担が少ない
これも大切です。具体的にはセッション中にGMが何か計算することが少ない、シナリオの準備が楽。この2点を目指します。
3.PLの負担が少ない
もちろんPLも。セッション中に計算することが少なく、またキャラビルドも直感的で初見にもわかりやすいことを目指します。
4.万人受けする
具体的には現代日本を舞台にしたtrpgを目指します。cocが日本で最も遊ばれているシステムなのは舞台を現代日本にできるからでしょう。
5.オンライン上でのプレイを前提にする
今自分たちのプレイ環境がオンラインセッションなのでそこに応用できるようにオンラインでのプレイを考えます。

 以上の5点を目標にします。ただし最終的にちゃんとしたルールブックにするつもりはありません。要素を考えて結論は出しますが、その中で使えそうなものだけ私がプレイしているcocやswにハウスルールとして導入させます。

死んでもよみがえる

 見出しに全部書いていますが「死亡しても復活できる」ようにするだけで私が感じていた問題点の多くを解消できます。
 まずリソースのゲームからいくらか解放されます。少なくとも無限に復活できるのならHPは実質無限になりますし、その他のリソースもかなり大胆に使えるようになります。
 PLが大胆な行動ができるようになるというのはGMにも朗報です。大胆なギミック、マスクデータ、ボス設定を用意できるようになります。
 以下ような経験をしたことはないでしょうか?
何かボスに面白いギミックを仕掛けたくて戦闘中に1度、条件付きで使用できる大技を作った。PLを驚かせたくてここぞという所で発動させると、事前に考えていたよりも大きいダメージが出てしまいPLのパーティはほぼ壊滅。GMは内心焦りながら「取るに足らない奴らと判断してPCに手加減したようだ」とか言いながら設定よりも火力を控えめにする。
 よくある光景でしょう。ここで手加減をせずにキャラクターをそのままぶっころすマスタリングをすることのほうが珍しいのではないでしょうか?でもキャラクターの死亡はtrpgの華といわれることもあります。ではなぜ「死ぬと困るから手加減」が発生してしまうのでしょうか?
 それはこの出来事の責任が、半分はダイスの気まぐれですが、GMの調整ミスにあるからです。GMはどんなに強い敵でも自由に設置することができます。GMがめちゃくちゃに強い敵を設置して、それに自分のキャラクターが蹂躙されることを楽しむPLは少ないでしょう(パニックホラー的なそういう楽しみ方もあります)。少なくとも戦闘ゲームとしては成り立っていません。
 この悲劇が起きる理由はオリジナルデータを作るからです。ですが何もオリジナルデータを使うことを否定したいわけではありません。シナリオ制作のモチベーションは自分の創造性を表現したいからであり、その中にオリジナルのモンスターやギミックが含まれていることは言うまでもありません。ですがオリジナルデータを扱うことは非常に難しいです、ましてやその中にマスクデータを加えるとなると本当に慎重な調整が求められます。

 ですがキャラクターが死亡しても復活できるとなるとここも緩和されます。多少バランスがおかしいボスを作ってしまったとしてもまあ問題ないです。PLからしても試せることが増えるのでマスクデータを推測する楽しみも増えます。例え倒せないボスを設定してしまったとしても
GM(しまった、強すぎたな。このパーティじゃ倒せないかも)
PL「復活してスタート地点からやり直しか。GM、もう一回おなじとこ探索していいですか?」
GM「はい、大丈夫ですよ。どこ行きます?(今のうちに弱体化するアイテムを用意するんだっ!)」
 たぶんこんな感じになります。戦闘中にボスが手加減するよりはよっぽど自然でしょう。

 ところでPLの立場で倒せそうにない敵に出会ったとき皆さんはどうしていますか?
 例えばGMはマスクデータとして弱体化やPLへの救援とその条件を設定しているとして、見た目は非常に強いボスを用意しています。この状況だと、とてもよくないとわかっているのですが、私はすごくやる気が無くなってしまうんですよ。前回の記事で書いたようにswは計算ができてしまいます。計算の結果勝つことが難しいとなったとたんに私の頭は「いかに少ない被害で離脱するか」に切り替わります。しかしGMとしては、数ターン後に勝てるようになっているわけですから離脱されると困るわけです。戦わせるように誘導します。
 こうなると私としては勝ち目の薄い戦闘を強制されているような気分になってすごく気分が落ちてしまうんですね。もちろん身内GMで付き合いも長いので「何かギミックを仕込んでいる」ということは推測できます。でもそれはGMの脳内当てであり、身内メタであるため私の性分に合いません。あくまで戦闘は見えているデータから論理的に考えるべきです。こういう齟齬をなるべく解消したいと思っています。

 そもそもなんでキャラクターって死亡するとそのままロストするのでしょうか?ロストなんていうシステムがあるから「死ぬと困るから手加減」なんていう意味不明な言葉が生まれるのです。ゲームであるならばシステムに乗っ取って潔く死ぬべきでしょう。たとえそれがGMの調整ミスだとしても。

 trpgにロストはつきものですがこれはなぜでしょう?元祖であるD&Dからこの要素はあります。D&Dの以前は、諸説ありますが、ウォーシミュレーションゲームが基になっているとされています。
 さてこのウォーシミュレーションゲーム、戦争を体験し、戦略や戦術の優位を競うゲームなので当然ゲームに使用するキャラクター(ウォーゲームではユニットと呼ばれることが多い)が死亡すると復活しないことは当たり前です。兵士がいくらでも復活する戦争シミュレーションってなんだよってなりますね。
 この流れを汲んでしまっていること、そして物語を楽しむこと(キャラクターの死はドラマを生む)。この2点をもってtrpgのロストという要素は固定化されてしまったのだと考えます。
 しかしコンピュータゲームでキャラクターが死亡することでロストするゲームはそう多くないでしょう。パッと思い付くところではファイアーエムブレム、信長の野望といったシミュレーションゲームとデジモンとかでしょうか。前者はウォーシミュレーションゲームをコンピュータ化したものなので登場人物は当然死ぬと戻ってきません。デジモンは「出会いと別れ」を1つのテーマにしているのでそのためにキャラクターが死んで、もう戻ってこなくなる要素があります。
 でもそれ以外のゲームではなかなかキャラクターは失われません。死んでも同じキャラクターが復活してやり直せます。こうなる理由は単純にキャラクターが使えなくなると困るからでしょう。マリオの残機が無くなってマリオが使用不能になったらもうそれ以上ゲームができなくなります。反対にtrpgのキャラクターは代替可能性があるということになりますね。

 さてこの何回でも復活できるというシステム、すでにおもしろ味変として試されています。となり様の『よいこの琴葉クトゥルフ【オワタ式COC】』です。現在ニコニコ動画が利用できないため今は見れませんがオワタ式ということでHP1SAN値1でなにをしても死ぬ探索者で遊んでいるセッションです。探索者は死ぬたびに導入からやり直しながら(不要な部分は省略して)クリアを目指しています。他にもニコライ・ボルコフ様の『ニャルラトテップの仮面』も、こちらは公式シナリオを使用していますが、かなり古いアメリカのシナリオでとてもよくキャラクターが死にます。そこでPLはキャラクターが死ぬたびに新しいキャラクターを作って再開しています。ある種の何回でも復活できる状態ですね。
 どちらもCOCとは思えない滅茶苦茶な様子ですが面白そうでもあります。何回でも復活できるということがtrpgと相性が悪いとは思いません、この無限復活を取り入れてみたいと思います。

 では逆に無限復活することによる問題点を考えてみましょう。
 1つは敗北によるシナリオの失敗が無くなることです。ゲームは始まったら終わる必要があります。ですが無限に復活できるなら失敗による終了はいつ来るのでしょうか?
 この回答の1つは『ダークソウル』をはじめとする死にゲーが出しています。そう「プレイヤーの心を折る」ですね。ダークソウルはこの点をフレーバーも含めて非常に美しく表現しています。ダークソウルの主人公である不死人は死ぬたびにソウルと人間性を失います。そしてすべてのソウルを失った不死人は心のない亡者になるという設定です。心の折れたプレイヤー=ソウルを失った亡者となっている構図です。
 まあでもこれはさすがにtrpgに導入できませんPLたちの心を折るまで同じシナリオに挑戦させ続けるなんて正気の沙汰ではありません。何か別の方法を探しましょう。
 シナリオに失敗条件を付けるのは分かりやすいです。制限時間を設けるなどが最も単純な失敗条件でしょう。しかし、これにもまだ問題があります、GMのシナリオ制作の負担が増えることですね。適切な難易度の失敗条件を毎シナリオごとに考えさせるのはGMの負担の面から採用したくありません。
 死ぬたびに何か別のものを失うのはどうでしょう。COCで言う所の正気度を減らしたり、残機制にして復活回数に制限を設けるなどです。
 このままだとイマイチですね。結局ロストのリスクを軽減しようという試みの解決にはなっていません。ですがロストに直結しないものの減少ならアリです。例えば”お金”とかですね。
 このtrpgのフレーバーもなんとなく見えてきましたね。キャラクターが死亡から復活するためにはお金がかかる、死亡する可能性があるような危険なことをする必要のあるキャラクター。シナリオごとに報酬金を設定しておく、死亡して復活するたびにお金がかかる。復活に使用した支払いが任務の報酬を上回り、利益が無くなった時点でゲームオーバーだがロストすることはない。こんな感じでしょうか。

 しかしここで大きな問題が立ちはだかります目標の4「現代日本を舞台にする」です。現代日本に住む一般人は死んでも復活することはありません。それができる特殊な施設や機関を設定しても、今度はそれを利用して危険なことをしなければならないような人間は現代日本にはいません、少なくとも一般人ではありません。

現代日本はマスト

 なぜここまで現代に日本にこだわるのか?と思われるかもしれませんが、私は現代日本を舞台にするのが”最強”だと思っています。
 まず世界観の共有が楽です。人間一人一人見ている世界は違いますがそれでも同じ地球に生きています。"現代日本"と言えばある程度同じ光景を思い浮かべるでしょう。
 剣と魔法のファンタジーといっても様々です。指輪物語を読んだ人、ドラクエを遊んだ人、葬送のフリーレンを見た人、そもそもファンタジーあんまり好きじゃない人、全員のイメージを共有するのは難しいでしょう。ちなみに私のファンタジーの始まりは『ドラゴンラージャ』と『パーシー・ジャクソン』。
 オリジナルの世界観となるとさらに共有は難しくなります。綿密な設定、それを使えるための文章やイラスト。さらに共有する側に「オリジナル設定への許容度」も求めます。すんなり受け入れられるか、ということですね。

 さらに現代日本を舞台にすることの利点に「キャラクターを一般人」にすることができます。さてこの一般人というのはとても大事です、というのも一般人が一般的なことをするというのはとても人気があります。
 COCの一部では時々けんかの種になる"うちよそ"や"なりきり"のような楽しみ方ですがやはりとても人気があるんですね。自分の理想のキャラクターで非現実的な日常を演じるというのは楽しいです。Xで見かけるような人気アニメの二次創作も、原作がバトルものであったとしても、日常の一幕を切り取ったようなものが多いです。「てぇてぇ」とか「壁になりたい」という言葉が表すように壮大な物語の主人公になるよりも、ちょっとした脇役がちょっとした冒険をする物語のほうが好まれる傾向にあるように思います。ソースはありません。

 ここまで色々書きましたが結局、無限復活と現代日本の矛盾を解決する方法は思いつきませんでした。それどころか友人と話しているうちに「自分の好きなtrpgとは何か」とか「そもそもtrpgにおける戦闘の必要性」とかまで思考が後退してしまいました。
 自分の脳内の整理のためにもこの記事はここで一旦閉めて、別の記事で再び考えたことを書きます。
 

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