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《正調安曇節》~安曇平を愛した医師の尽力で生まれた郷土の唄(長野県北安曇郡松川村)

北アルプス山麓の広々とした田園地帯である安曇野。3000m級の山々を見渡すこの地はかつて安曇平と呼ばれていました。

安曇野の風景

この安曇平の民謡としてまとめられたのが《安曇節》です。


唄の背景

安曇節の誕生
この唄は、北安曇郡松川村板取の医師、榛葉太生(しんは ふとお)(1883~1962)による新しい民謡ですが、全くの創作ではありません。作曲家ではないものの安曇野を愛した榛葉は、当地域に残る《代かき唄》《田植唄》《田の草取り唄》といった仕事唄や、《十五夜様》《三ツたたき》等の盆踊り唄などが次第に歌われなくなっていくことを嘆き、こうした唄を採集して統一的に節をまとめようと考えました。歌詞も伝統的なものだけでなく、新作のものを加えて整えました。
唄の特徴としては、下の句の第3句目を2回繰り返し、最後に「チョコサイ」というハヤシ詞をもつ「チョコサイ節」が源流と考えられます。これに最終句の5文字を踊り手が2回繰り返す形式の踊り唄として創り上げられました。
そして、全体構成を高野辰之(1876~1947)、原曲批判を中山晋平(1887~1952)、三味線手付けを4代目杵屋佐吉(1884~1945)に依頼しました。振付は藤間静枝、指導を大川五郎等といった人々の協力を得てまとめ上げ、大正12年(1923)の夏に《安曇節》として発表されました。この時代は中山晋平による《須坂小唄》が発表された年で、新民謡運動の幕開けの頃でした。
なお、榛葉太生は安曇踊家元として、出原処士(しゅつげんしょし)と号し、更に活動を進めていきました。その後、これまでの研究、経緯をまとめた「信州安曇踊」を大正14年(1925)に発行したり、広報活動を行ったりするなど、《安曇節》の全盛期を迎えることになります。
その後、松川安曇踊会が組織され、さらに《安曇節》を覚えた人々が、南安曇郡穂高町踊会、同郡豊科踊会、北安大町北安曇踊会など、各地で「踊会」が結成されました。最終的には地元松川村の安曇踊会、北安曇踊会、南安曇踊会を中心に支部まで結成され、各地で大いに踊られるようになりました。
また、榛葉は歌詞の創作に力を入れたといい、各地の踊会において、作詞に興ずる人々が増えていきます。やがて「安曇節大会」を開催し、歌詞を一般公募するようになり、榛葉のねらいであった郷土文化の高揚につながっていったのです。

JR大糸線信濃松川駅前、松川村観光会館前にある安曇節歌碑

正調安曇節と豊科調安曇節
大正12年(1923)に発表されたものの、まだ満足のいかない榛葉は、各唄の冒頭に「サァー」を加えるなど工夫を加え、《正調安曇節》としました。
その後、安曇節のレコード化は、昭和7年(1932)にコロムビアレコードから吹き込まれました。前年の昭和6年(1931)には、松本市出身の市丸(1906-1997)に吹き込ませる計画もあったところ、榛葉が地元の歌い手の録音にこだわり、断ったといいます。
《正調安曇節》は大町花柳界の立花家壽三代で、大村能章、杵屋佐吉編曲によるもので三味線に洋楽伴奏入りでした。
裏面には《安曇節》として、豊科花柳界の日吉家金時が吹き込み、大村能章編曲によるもので三味線、尺八にピアノ入りでした。
その後、さまざまレコード化されますが、地元ではない歌手のものとしては日暮千代子による《正調安曇節》が吹き込まれています。伴奏は三味線、笛とともにコロムビア・オーケストラの入るしゃれたアレンジでした。ちなみに、そのB面には豊科花柳界の都小春の《安曇節》でした。

戦後の安曇節
こうしてレコード化された《安曇節》も、豊科の日吉家金時の歌ったものは松川村の人からすれば松川調ではないことから《豊科調安曇節》と呼ばれるようになり、《正調安曇節》と《豊科調安曇節》が存在するようになったのです。
そして、戦後《安曇節》の普及を図ったのは南安曇郡豊科町でした。町長が先頭に立って行政の後押しとともに広まっていきます。豊科の花柳界を中心として、東京での民謡大会等に出場する機会も増え、全国的に《安曇節》が知られていくようになります。一方、本家の松川村では、戦時中の歌舞音曲の抑制下で、歌い踊ることも下火になっていきますが、それでも保存継承はしていました。昭和37年(1962)に、榛葉が生涯を閉じると、それまでの安曇踊会を安曇節保存会に組織替えが行われ、改めて普及活動が再興されます。ただし、豊科町のように行政を巻き込むことなく、自前での活動が中心であったようです。しかし戦後、青年団の若者も加わり、旧来の《安曇節》愛好者とともに、再び安曇節復興の兆しが生まれていきました。

正調と豊科調とのちがい
前述のとおり《正調》には各唄の冒頭に「サァー」を入れるようになっていますが、《豊科調》では直接第1句目から歌い出します。
リズムについては《豊科調》は複雑なリズムが少なく、拍節の明確な音楽です。一方《正調》はリズムに特徴があり、付点と短い音が続き、弾む[長短リズム]ではなく、短い音を先に出す[短長リズム]が多用されています。この特徴は《チョコサイ節》や木曽谷から安曇平に残る盆踊り唄の《お十五夜様》などの特徴と似ています。
テンポについては《正調》はやや遅く、コブシが多めですが、《豊科調》はやや速めに歌われます。
各唄の最終句の後のリフレイン「チョコサイコラコイ」の最後の「コラコイ」については、《正調》は音程を高く入りますが、《豊科調》は「チョコサイ」と「コラコイ」を同じ音程を繰り返します。
また、三味線の手付けについては、《豊科調》は、ほぼ四分音符が多く、高い勘所も少なく、平易なものとなっていますが、《正調》はリズムにも変化に富み、前奏なども独特なものに仕上げられています。


音楽的特徴

拍子
2拍子

音組織/音域
民謡音階/1オクターブと5度

正調安曇節の音域:1オクターブと5度

歌詞の構造 
7775調を基本とします。各歌の冒頭には「サァー」を付けて第1句目に入ります。下の句の第3句目の7文字を2回繰り返して、最終の第4句につなげます。その後、付けによって第4句目を更に2回繰り返して、「チョコサイコラコイ」で締めます。

〽︎サァー日本アルプス どの山見ても
 冬の姿で 冬の姿で
 夏となる
 [夏となる 夏となる チョコサイコラコイ]

演奏形態

唄バヤシ
三味線
鳴り物
 ※近年は尺八を入れて演奏される場合もあります。

下記には《正調安曇節》の楽譜を掲載しました。

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