見出し画像

イ ン タ ビ ュ ー /プライベイト(貸民家)

カワムラの気になる人、重要な仕事をされてる方にインタビューする企画「イ ン タ ビ ュ ー」。今回は東京の大島にある貸民家「プライベイト」を運営されている作家の慈(いつき)さんにQ&A形式でインタビューしました。

/ / / / / / / / / / / / / / / / / / / /


Q. プライベイトはどんなスペースですか?

A.  何かをつくっている人なら、誰でも気軽に使える貸スペースです。特に現代美術に関わっている作家さんが展覧会場として使われることが多いです。
営利目的ではないので、あまりかしこまった運営はしていません。
利用される方にとっては、親戚の家、みたいな雰囲気なのではないかな、と思います。たまに遊びに行くくらいには親しいけど、適当に放っておかれる、みたいな。
あんまり構えないけど、来た人は好きに過ごして良い場所、というイメージです。

画像1



Q. どういったきっかけでプライベイトを始めることにしたんですか?



A.  2019年上旬、離婚をして、実家に戻ってきたんですが、その頃両親がとに かく喧嘩ばかりしていて。その喧嘩の種のひとつが、「あのゴミ屋敷をどうするんだ」、と。
プライベイトは実家の持ち家なんですが、汚いまま誰も手入れをせず、物置き状態になっていました。それなら私が掃除してお金も払うから、使わせてくれないか、と掛け合いました。
片付けに参加してくれた人は無料で展示できるということにして、美術関係の方々を中心とした作家さんたちに手伝っていただいて、大掃除をしました。そのまま、スペースとして運用するようになった、という流れです。

画像2



Q. スペースを運用していく中で決めているルールはありますか?


A.  人を選ばないことと、キュレーション(展示企画内容)に口を出さないことです。
一般的な「オルタナティブスペース」、つまり、場所を持って企画も運営もして、自主的な展覧会を行なっているようなスペースとは、その点が大きく異なります。利用規約を守り、利用料を払ってもらえれば、誰でも使えます。なのであくまで「貸スペース」である、と説明しています。






Q. 渋家のように家そのものを作品とする作家もいますが、プライベイトは作家としての慈さんにとってどのような位置付けのプロジェクトですか?



A.  プロジェクトというより、私自身の課題に向き合うための試み、という感覚に近いかもしれません。私自身も定期的に作品を発表するいち作家ではあるのですが、非常に頑固な面があることを自覚しています。自分の感覚に近しく感じないと、他者の作品になかなか興味が持てなかったり。無意識に自分の許容できる範囲を定め、そこから外れるものを視界から排除してしまう癖があります。そういう部分が、私の作品を、内にこもった、個人的な問題だけを扱っているものに見せてしまっているところが、あるのだと思います。
プライベイトという、ごく普通の私的な民家に、あえて垣根を作らず他者を迎え入れることは、私の制作のテーマ「私と公の大きな飛躍」について新しい切り口から考えを進めるためにも、必要なことなのでは、と思っています。
また、私は今まで、自分が作品を作り発表すること自体に、「業の深さ」を感じてきました。制作にはどうしても「自己満足」や「他者への加害性」が付きまといます。どうすれば作家でいながらも、業を回収していけるのか。色んな方法があると思うのですが、私にとってはそれが、プライベイトの運営でした。
数年前まで私は、都外にいて、作家の知人も少なく、金銭的にも不安で、自分の作品もほとんど誰にも知られておらず、発表する場所にとても苦労していました。当時の私と似たような境遇の方々にとって、プライベイトが、ストレスなく安心して利用できる場所として、必要とされていったらとても嬉しいです。

画像3


Q. コミュニティ運用の昨今の傾向として、「開かれた場」を目指すモデルからより快適なコミュニティを目指して限定したり閉じていく形にシフトしているように感じます。場を運用していく上で「開いていくこと」と「閉じていくこと」についてどのようにお考えですか?


A.  難しいですよね。
オルタナティブスペースを始めとした、近年の美術界隈のコミュニティ運用は、それ自体が「内輪の盛り上がり」で閉じてしまっているものが多いように感じます。

雑な論調で恐縮ですが、例えば、現代美術は「何でもあり」。何でもありなら、一般的な商品としては流通し難いような物やパフォーマンスも作品となる。説明できるコンセプトや強度があれば問題ないのですが、作家によってはそれが金銭面・技術面での至らなさの隠蓑として機能してしまっていることもしばしばです。などなど、現代美術は許容の一手だけでは判断が難しいジャンルなので、あまりにも開いてしまうと、玉石混淆状態となり、目の肥えたアートファン層から見放されてしまいます。

では、自分で精査したり、信頼できる知り合いばかりを呼んで運用してしまうと、それはそれで内輪受けで終わってしまうし、親しいが故に互いに馴れ合いの関係となり、結果的に常に新しい展覧会や作品を発信し続けることが難しくなってしまったりします。

そこで私が落ち着いたのが「貸スペース」でいるというスタンスです。
「単なる貸スペースなら、誰でも来てしまうではないか」となるのですが、プライベイトは完全に普通の民家で、私が自ら垣根を設けずとも、利用できる人を選んでしまう場所です。空間として使いづらいし、マイナーな場所なので、元々セルフプロデュース力のある方でないと上手くいきません。
また、私自身も、貸スペース運営を立派にこなせているかというと全くそんなことはなく、毎回ご迷惑を掛けながらなんとか無理ない範囲で管理しているので、それを許してくれる方、となると、客層が必然的に限られてきます。
そのあたりの微妙な兼ね合いが、私の感じるちょうど良いバランスとして、プライベイトを、開いたり閉じたりさせ、よくわからない催しを続けさせ、細々と人が途切れない場所にさせているのだと思います。

画像4


何度も利用させてもらう中で感じていた、近過ぎずかといって遠過ぎない絶妙な距離感。親戚の家ぐらいの愛着。そういった関わり方によって人々とゆるやかにつながっていくのがプライベイトの魅力だと改めて気付かされしました。ご回答ありがとうございました。

/ / / / / / / / / / / / / / / / / / / /

 

プライベイト


以前書いたプライベイトの記事



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?