【作品のようなもの】ふつうの水(1つ目の表れ)/2020
【作品についてのある語り】
ふつうの日、ふつうの味、ふつうの匂い、ふつの日常、、、
我々はふつうに「ふつう」という言葉を使って生活している。この「ふつう」がみんなに共有されていて、当たり前で、たわいもないもののように感じながら生活している。本当にそうなのだろうか?
生まれた場所、時代によって「ふつう」は変化していくものだし、同じ時代の同じ国で生まれたとしてもこれまでの経験や考え方によっても「ふつう」は変わりえる。
しかし、どこかで共通認識として「ふつう」があるようにコミュニケーションしてきた。そうすることが出来た。
世界が分断され、それぞれの世界の、それぞれの日常の、それぞれのふつうが混在する時代が訪れた時に、共有認識としての「ふつう」を使ってコミュニケーションすることは可能だろうか?
ここにあるのは「ふつうの水」だ。
ふつうに選び、ふつうの入物にいれ、ふつうに展示された、ふつうの水だ。
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