台風の日に

中原中也さんの話を思い出した。
何故かはわからないような、わかるような感じで、いつも台風の日に中原中也のことを思い出す。
詩人として生きていたのに、いろんな意味で不遇だったり、
よくわからないようで、読みくだくと
おもしろい文脈が多かったり

わたしは親戚の叔父さんという立ち位置で、先祖の方に中原がいる
その中原は、ちっちゃいぼっ子の私たちを尻目にタバコをぷかぷか吸いながら、
ぶつぶつ何か言って、書き留めたり、
大好きな嫁を呼んで、あったかいちょっと冷えた酒を催促する
たまにアレもしている。
わたしたちはオープンなそういう中原を見ている。
夢日記とかではなくて…結構リアルな先祖の記憶である

中原は、わたし(ちょっと頭のいい男の子)がお気に入りで
わかるか〜ぼっ子よ。これは大人のタバコやなと
吸わしたりする

あかへんなとも思いつつ
甘いタバコは頭をすっきりさせた。大正時代だから珍しいことでは無い。

なぜかわたしだけは、話し相手に選ぶ中原は
嫁のことが好き過ぎて、本音が出てこない
大正結核が流行り始めた頃、

運悪くいなくなってしまった。中原。

わたしは多分同じタバコを吸ったせいか?
風邪を拗らせたのか?
結核テラリウムに入ることとなる。

そのあと昭和が来て、一生懸命福岡の親戚のお家で、勉学に励み(中原の出来なかった理数は特に。一種の反骨精神で苦笑)
そのまま軍医になったのだった。
そして少し経ち長崎で、被爆した彼らの全てを受け入れて、何人かの命を守った。
手紙もいっぱい授けた。

このひいひいお祖父さんには一度しか会えなかったけど
(病院で死にかけていた時。ひ孫であるわたしに一度でも会いたいと。女の子はわたしだけだったのもあり。)
『会えてよかった。よくお父さんに似ている…』と笑っていた。

その言葉を聞いた瞬間に何かブワっと涙が出てきて。
そのおじいちゃんが淡々と騙ることに目を見開き聞いていた。
ただ単に聞いていたわけではなくて、
文字に頭の中で書き起こして
詩にしていた…

親族が山口県、広島県、福岡県と山梨と仙台にいるけど、
このおじいちゃんからだって、そのおじいちゃんが言うことで。いろんな謎が解けた。

老衰でその後、笑顔で亡くなった。90歳手前だった。

もっと早く会いたかった。
手をもっと繋ぎたかったと言っては。涙も出なかったおじいちゃん

その病院から出た後、フワッと風が吹いて、
わたしは遠い未来を思った。

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