私以外の子たちも、みんなみんな「考えている」!(本書「高尾山」より) 他人も思考している、と気付いたのはいつのことだろうか。 上記の言葉の主である本書の登場人物は、その瞬間のことを覚えているらしい。それまで世界には「自分」しかいなかったが、ある瞬間に、自分以外の人間も「考えている」ということに気がついたのだという。 私自身は残念ながらその瞬間をはっきりとは記憶していない。 しかし、この言葉を目にしたときに、似た感触の体験を思い出した。 それは、ツイッターを始めたときに得た
「毎朝新聞」という新聞をご存じだろうか。 多くの方が、名前を聞いたことはあっても、実際に購読したことはないと思う。 なぜなら、これはテレビドラマなどで頻繁に使用される架空の新聞の名称だからだ。(実際には徳島県の毎朝新聞社が同名の新聞を発行しているそうである) フィクションの世界では、様々な理由で架空の名称が用いられることがよくある。 これらはいわば記号であるわけだから、作り手としては適当に作ることも出来るはずだ。しかしだからこそ、そこに作品の特徴・個性が出てくるのではないだろ
冷蔵庫を開けると、扉の裏に収納されている買ったばかりの卵が姿を現す。綺麗な白い球体が十個、行儀よく並んでいる様は見ていて気持ちがいい。 そのひとつひとつの右上に、丸いものが浮かんでいる。卵の楕円形とは違い、こちらは完全な円だ。色は赤く、その中心には数字が見えている。 そのほとんどが「1」だが、中にひとつだけ「2」のものがある。僕はそれを手に取り、熱して油をひいたフライパンの上で割る。広がった透明な白身の中には、思っていた通り、黄身がふたつあった。