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【続いてる写経 1581日め】『神護寺展』の開催中、神護寺に飾られているものとは?

先日『神護寺展』の特別講演会で谷内弘照貫主しお話で、一つ驚いたお話しがありました。

紹介された写真を、神護寺のインスタ内に発見できたので、備忘録として入れておきます。

現在、神護寺のお厨子はこのようなお姿


1200年、お厨子から出られたことも、お寺から出られたこともなかった、ご本尊の薬師如来立像(国宝)。
当初、本堂内には身代わりとして、等身大写真を作成して飾る予定だったそう。

が、お厨子から如来様をお出ししたら、そのお姿がそのまま影のごとく残されていたのです。

この話を聞いて、仏像って、ホントにただの彫刻ではない、仏の姿なんだなぁと納得してしまいました。

そもそも、国宝であるご本尊は出展する予定はなかったらしいです。
が、台座のほうに虫食いがあることがわかり、修理に出す期間がちょうど展覧会の開催時期と一致したとか。

東京はおろか、寺外でお目見えとなるのは初めてとのこと。
1200年で初めて。歴史的にもすごい瞬間。

ただし、神護寺さんは、仏様の出開帳には結構慎重なのではないかと推察します。

なぜならば、939年平将門の乱が勃発したとき、朱雀天皇の勅命により寛朝さんが、神護寺にあった不動明王像を成田の地へお連れし、ご祈祷されて以降、戻してもらっていないからです。

戻さなかったのは、不動明王様が「動かなかった」との伝説です。

もし、この不動明王様が神護寺さんに戻っていたら、どうなっていたのか。
関東地方も全く違う運命をたどったでしょう。

神護寺さんは京都でも奥なので、参詣するのはなかなか大変です。

不動明王様、人が来やすい場所に留まりたかったのかな。

1200年も大事にされていた薬師如来様は、現在出開帳されてるご気分はどうでしょうかね。

厳し目のお顔との評判ですが、真下から覗き上げると、慈悲深い表情をされてると思いました。

会期中にもう一度、いろんな角度から拝見したいものです。
おそらく、生きているうちは2度とないと思われる機会なので。

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