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【続いてる写経 1370日め】自分にやれること、やります
甚大な被害をもたらしす災害はここ何十年もあり、毎回無力感しかありません。
結局のところ一般人である自分に何かできるとしたら、寄附という間接的な行為しかないないのでした。
さらに、もう少し付け足して出来そうなことは、祈ること。
毎日祝詞と読経と写経。
それがワタシの精いっぱいです。
日々の読経に、観音経も唱えるようにしました。
念彼観音力
これが観音経のキモなのですが、解釈の仕方が色々あるようです。
こちらのブログの解釈が素敵です。
「念彼観音力」は、通常
「彼の観音の力を念ずれば」
と訓読されることが多い。
「あの観音様の力を念ずれば……」なんとかなる、という意味である。
困った時の神頼みのように、観音様の力を念ずることで救われる、という意味の言葉と読める。
阿弥陀信仰の「他力」のように、観音様の救いの力を想定して読むというのであれば、それは立派に1つの仏教的解釈なのだろう。
ただし、個人的にはどうしてもそう読むことができない。
「念彼観音力」とは、人間には誰しも観音菩薩のように生きていくことのできる力が具わっており、その力を自覚して菩薩のごとくに生きていくことを意味した言葉だと私は考えている。
どのような人のなかにも、菩薩のように生きていくことのできる素晴らしい力がある。
親切にするのも、楽しい気分にさせるのも、あるいは叱るのも、誰かのために行われる心の通った行為はすべて、菩薩の生き方である。
これを信じて読経することにします。
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