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それでもなお、実践との間には分断があった。

地域再生であれ、個々人への支援であれ、その人や組織、社会には固有の文脈としてのローカル・ノリッジや内在的論理が存在する。そのような相手の論理をまずは自らが「知らない」ということを知る、ということから始めているだろうか。その上で、僕が社会を変える、という不遜で一方的で支配的な「切り分けた」「反ー対話」の思考ではなく、「かかわりの視点」を持ち、「関係的主体」として、自らの心を開き、学び、相手と動的に調和し、その中で相互変容過程のプロセスを切り拓くことが出来るだろうか。

竹端 寛『枠組み外しの旅――「個性化」が変える福祉社会』P.212

クライエント・援助者にかぎらず、いかなる人生にも矛盾や謎、葛藤が存在する。絶対的解答のないテーマ、矛盾に満ちた人生の前で、いかなる人も悩み、無力さを痛感する。この点で、援助者とクライエントは対等である。援助というかかわりはここからはじまる。

尾崎新『「現場」のちから:社会福祉実践における現場とは何か』P.19

 援助者(支援者)とクライエントは対等である――ソーシャルワーク論、援助理論、社会福祉論はそう教える。そして、お勉強の世界から頭でっかちにこの世界に入ってみた自分は、それを読んで大いに感動し、納得し理解してから、現場に臨んだはず、だった。

 ところが、この2年弱を振り返ってみれば、まったく何を驕っていたのだか…。
 まず、職場に出勤すると、目の前に課題として現れるのは「生活保護法に則った適正な事務」。そして、それに付随した、法律上は助言という名を課せられたケースワークも、もちろん大いなる課題として念頭にあったけれど、まず立ち現れるのは「困った人」という一面的な姿で、学問の世界で批判的に言及される「一方的な支援」ですら完遂するのは事実上の素人には容易ではなく、そうこうするうちに、「対等である」などというお題目は、頭から吹き飛んでいた。

 このごろ、確実に担当地域が変わる、そしてもしかすると職場も業務内容も変わるかもしれない年度末が近づいてきて、改めて自分が何をできたのか、振り返ってみていた。そして、ああ、果たして自分はこの2年間で何を為し得たのだろうと、その成果の乏しさを感じていたところだった。
 そんな時、たまたま冒頭に掲げた『枠組み外しの旅』を読み、また、職場の福祉職の先輩の粘り強いケースワークに感銘を受ける機会があり、さらにはとあるある児童福祉のベテランの方から「困難なケースに出会った時、"教えてもらうことばかり""あなたが困っていると言ってくれてありがとう"と感じる」という話を聞く機会があり……結局、自分に足りていなかったのは、対等な関係として、ケースと粘り強く真剣に向き合う、そういう実践だったのかもしれないと、改めて分析している。いや確かに価値観としては知っていて、実は忘れてもいなくて、共感すらしていて、それでもなお、実践との間には分断があったのだと、いえると思う。
 もしかするとそれは、生活保護という制度そのものが抱えた欠点に由来する部分もあるのかもしれないけれど、それはまた別の話。

 まだ年度末まで時間は残っているし、そのあともどうなるか、まだまだ分からないけれど、今は今で、やれることをやろうと思う。

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