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6月になって感じること

 仕事に忙殺されて、気づいたら6月も中旬になっている。学級は荒れ始め、児童対応や保護者対応を6月だけで3件行った。それらの対応だけで、子ども個人への聴き取り、保護者への聴き取り、集団への指導などであっという間に2週間を費やした。

 指導力のない自分が担任になったから、子どもたちの言動や精神面が不安定になっている。特に、学級の規律や集団の価値観がぐらついているため、子ども個人の勝手なルールがぶつかり合って、まじめな子が損をする学級になってしまっている。

 いろんな先生から様々な助言や指導をいただく。しかし、正直、どれも正解だし、どれも不正解である。自分にとって、どれも考える必要のある言葉であり、どの言葉もストレスでしかない。そのうち自分が何をしているのか、分からなくなる。

 指導教員には、教材研究の時間が足りないと説教された。毎日12~13時間働き、家でも仕事をし、休日も仕事のことを考えていてその説教である。言われたときに、気が抜けてしまった。コントでもやってんのかよ、と思った。自分の仕事のスピードが遅い、仕事の仕方が悪い、学級経営の仕方が悪い、雑務も遅い、無駄が多い、など色々要因はあるだろう。それにしても、研修が十分になく、指導も十分にされていないように思うのだが、違うのだろうか。それなのに、これだけ働いても、もっとがんばってほしいというのか。こちらへの説教も大事だが、ほかに整えるべき部分があるのではないか。まあでも、私の能力がないのが、一番悪いのだろう。

 子どもたちがかわいそう。子どもたちはとてもいい子たちで素直である。でも、そんなこと言っても、私は頑張りたくない。たぶん、働いている時間のわりに頑張っていないのだろう。

 他の先生たちは、知らないけど、頑張っている。自分も先生の内の一人であるはずなのに、全然指導していないし、頑張っていない。しぶりを解消した子どもの保護者に、先生のおかげです!と言われて嬉しくなった。でも、正直、私の対応は適切ではなかった。おそらく、また同じようなことが起こるだろう。

 仕事ってなんですかね。教員としての仕事ってなんですかね。

 もう何も考えたくない。旅に出たい。今ある場所から飛び出したい。

 ほかの先生方や子どもたち自身は、みんな良い人だからこそ嫌だ。自分の実力のなさ、自分の弱さ、クズさばかり際立ってしまう。自分が悪いから、その悪い部分がすべて子どもに移っていっている。

 新任の教員ってこんなもんなんですかね。先輩の教員の人たちはたくさんサポートしてくれている。それでも、サポートが足りないと感じてしまう。サポートというか、業務内容の説明が足りないと思う。聞かないと教えないという範疇を超えていると思うのですが、違うのでしょうか。社会ってこんなもんなんでしょうか。

 まあでもどうでもいいや。来週も忙殺されよう。

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