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正規教員1年目 1学期を終えて

 1学期を終えて、夏休みを満喫している。気持ち的に余裕があるので、ここまでの思いを整理していく。

 今年度は、新しい学校で2年生を担任している。2年生もとてもかわいい。昨年度の5年生に比べて、しつけ的な指導をたくさんしないといけないところが大変だが、良い子たちである。1学期で今年度の子ども達のことも大好きになった。
 
 今年度初めの1か月くらいの間は、昨年度の子ども達のことをほぼ毎日思い出していた。先日、今年度その子達を担任している先生と話をした。とても素直で優しい子達なので、元気で立派に6年生をしているという話であった。私は、昨年度の自分の指導が良くなかったため、いろいろなところが心配で不安であった。しかし、今年度の担任の力量や子ども達の頑張りのおかかげで、問題なく過ごしているらしい。私は、とても安心したが、自分の指導の成果はどこにあるのだろう、講師として1年つないだというところで役目は果たしたのだろうか、などの思いももった。

 前任校は、新任学級が崩れ、そのサポート体制を作るのに学校全体が大変な状況らしい。私は、他人事には思えなかったし、講師1年目であの良い子達をもたせてもらえて、子ども達や先生方にほんとに感謝しなくてはいけないと思った。同時に、その子ども達や前任校の先生方(特に学年主任)に苦労をかけたので、助けてもらった恩や縁を返していったり、つないでいったりしないといけないと感じた。

 前任校で受けもった子の話で嬉しかったことはたくさんある。その中でも一番印象深いのは、不登校児童のことである。昨年度私にできることは、限られていた。毎週、その子の顔を見に行ったり、連絡物を取りに来てもらったりするというような、学校とのつながりを保つことのみであった。当時の私としては、これでいいのか悪いのか分からないが、これを続けてつなぐことしか自分にはできないなと感じていた。今年度は、学校で別室で受け入れる体制が整い、その子は、週に数回別室で登校し、友達と関わったり勉強をしたりしているらしい。学校に来ることだけが正解ではないのかもしれないが、その子なりに学校に行くという大変な行動を頑張っており、自分の将来に向かって行動を起こしているということがとても嬉しかった。教員として私が決定的な何かをした、というわけではないが、自分が昨年度必死に仕事に食らいついていたのが少し報われた気がした。

 

 前任校の状況を聞いて、自分ももっと頑張らなきゃと思ったので、ここからこの1学期を振り返り、今感じていることを書く。

 1学期は毎日たくさんミスをした。全然うまくいかなかった。理由は、たくさんあるのだろうけど、初任なので仕方がない、ミスしたことを直していこうと開き直っている。今一番感じているのは、自分は子どもをどうしたいのだろう、どういう教員を目指しているのだろう、ということである。

 まず、自分は子どもをどうしたいのか、ということについて整理する。子どもをどうしたいのか、というのは、どんな子どもを目指して指導しているのかと言い換えられる。昨年度の講師経験の中で、3学期の自分の学級の子どもの姿を見て、成長したなと感じた面と指導が足りなったなと感じた面があった。後者の方が多くあり、次の年度は3学期の姿をイメージして指導をしたいと感じていた。しかし、実際にいま指導をしていると、3学期の子どもの姿が全く見えてこない。また、子どもをどうするか云々の前に、自分の業務をこなすことだけで精一杯であり、自分のことしか考えられないのである。好きな子ども達だからこそ、自分がさらに良いなと感じられる子ども達にしたいと思うのだが、具体的に良いなと感じられる姿を言語化できない。指示どおりに動ける、指示がなくても動ける、他者を助けられる、マナーを守れる・・・など、思い付きはするのだが、観点が多すぎてまとまらないし、指導方法がよく分からない。ここまで書いて、なんとなく根本的に子どもの成長に関わることが好きだが、何に向かって成長させるのかというところが曖昧なのだと感じている。子どもの3学期の良い姿とは何かということを具体的に言語化させることが必要なのだろう。

 次に、どういう教員を目指しているのかについて整理する。正直、日々の業務についていったり、子ども達に向かっていったりすることで精いっぱいで、具体的なイメージはまったくない。ただ、もっとできる先生なら、仕事をはやくこなして子ども達を幸せな気持ちにしたり、全能感のような気もちを感じたりすることができるのではないか、と思う。そのように考えると、自分が何かをして良い結果になること、子どもが幸せそうにしていること、を目指しているような気がする。しかし、自分が何かをしたとは何か、良い結果とは何か、子どもが幸せであるとは何か、漠然としすぎている。だから、考えていくうちに自分の仕事の中で、軸としてこれだけは大事にしたいという分野が必要だと思っている。それが得意とかできるとかではなく、とにかく大事にしたいと思う部分が必要である。例えば、体育は子どもが喜びやすいから大事にしたいとか、音読指導に力を入れたいとかである。とにかく大きくても小さくてもいいから具体的なこだわりを作りたい。教育技術の基本的なところ(指示、話し方、板書など)ばかりに目を向けるのは当たり前だが、そればかり見ていては嫌になってしまう。もっと自分の興味関心や目の前の子どもの意欲とリンクする部分で考えると、自分の仕事へのモチベーションになる気がする。ベテランの先生からみれば、基本的なところができてないのに、何を言っているんだとなるかもしれない。だから、表向きには謙虚に自分は無力なんだと自覚しながら、裏のところでここは好きだからこだわろうという部分を持ちたい。

 どういう教師になりたいかというのは、結局のところ漠然としている。しかし、いつもいろいろ考えて立ち戻ってくるのは、自分の小5小6の時の担任のイメージである。当時は、講師で20代後半の若手の先生である。普段こわいけど優しい、運動好き、頼れるというような、とにかく大人としてかっこよく見えた。当時、自分がサッカーの試合で決勝ゴールをとった翌日に、先生に褒められてすごく嬉しかった記憶が残っている。分からないが、その先生のイメージに自分の教員としての将来を重ねている気がする。そのような先生に自分もなりたいのかもしれない。

 2学期に向けて、自分がどうしたいかまとめる。1年間走りきること、自分がいるだけで子ども良くも悪くも影響すること、絶対に子どもは成長すること、その傍に自分がいれること、自分は子ども達と一緒にいなくてはいけないのだということを、しっかりと頭に刻み込んでおく。今の学校の管理職や周りの先生方から、私になんとしても成長してほしい、一人前になってほしい、という思いをとても感じられる。ほんとうに周りがそう思っているかは関係なくて、とにかく自分はそう感じる。その期待になんとしても応えたい。期待に応えるというのは、子どもをとても良く変化させるというようなおおげさなことではなく、1年間子どもと一緒に試行錯誤してその中で私が伸びること、それが結果的に子どもの成長につながることだと思う。

 自分はとにかく目の前のことに食らいついて、いろんな人に頼りながら、自分が伸びることが必要だと思う。自分のできないことばかりでなく、できなくても好きだからここはがんばるという見方をもっていきたい。

 

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