八幡山の焼肉屋さんでバイトしたときの話1

私は秋田県の高校を卒業し、専門学校に入るために上京した。

テレビをつける度に出てくる東京は憧れで、東京イコール芸能界みたいな華やかなイメージしかなかった。

上京するにあたり、住む部屋を決めないといけないのだが、家賃が高く治安に不安があった私の母は、私より10歳ほど歳の離れた従姉妹の家に一緒に住まわせてもらう段取りをつけた。

従姉妹は姉妹で2DKの賃貸マンションに住んでいたのだが、少しでも家賃負担を減らしたいと言うことで快く了承してくれた。

斯くして、私は2DKマンションのDK部分にロフトベッドを置いて東京生活をスタートさせた。

寝るときは天井スレスレで何度か頭を打ちつけた。トイレが玄関脇にあるのでみんなDKを通って行く。プライバシーなどあったものではない。思っていた東京ライフとは違うが、幼い頃から知っている従姉妹と住むことで安心感を得られた。

私の通う専門学校は3月の上旬に入学式をして、4月から始業だったので入学式を終えた後はヒマしかなかった。従姉妹は毎日仕事に行くし私は東京がまだよく分からず、ずっと家でテレビを観ていた。東京の番組は秋田と比べてチャンネル数が多く飽きることはなかった。

一週間ぐらい経った頃、従姉妹に光熱費がえらく高くなったと聞かされた。

いつもは誰もいない家で私が毎日テレビを観てエアコンも電気も付けっぱなしでゴロゴロしていたからだろう。

従姉妹から何かのチラシを渡された。

その紙には『バイト募集』と書かれていた。

「この焼き肉屋さんバイト募集してたから電話して面接して来なさい」と言うことだった。
「いつから始められるか聞かれたら、今日からできますって答えて」と言われた。

斯くして私は焼き肉屋さんの面接に行き、その日から働くことになった。


焼き肉屋さんはとても忙しく、ひっきりなしにお客さんがやって来る。ウエイターに皿洗い、目が回るような忙しさで初日が終わった。生まれてから今までに洗った皿の数よりも多い皿を1日で洗ったと思う。

バイト終わりにまかないが出るのだが、これがとても美味しい。メニューから好きな物を選んでシェフが作ってくれる。

私は石焼きビビンバをお願いした。

こんな美味しい石焼ビビンバは生まれて初めて食べた。
こんなのを食べられてお金も貰えるなんて最高じゃないか。

私は東京に喜びを感じていた。

ただこの店では私が入店してからすでに何人かの人が辞めていて、東京のバイトはそんなもんだと思っていた。
「は、はじめまして。新しくバイトに入りました」
「あ、そうなんだ?よろしく!あ、私今日でバイト最後の日なんだ〜!」
え?なんてこともあった。

数日経ち、ある事件が起こった。
電子ジャーにご飯が無い事件。

毎日変わらず忙しい日々が続きバイトの人数も少ない。
洗い場に食器が溜まり使える食器がない。シェフが食器を洗って料理を盛りつけるなんてこともあった。
そんなとき事件が起こった。
ライスの注文が入ったのだがジャーに入っているご飯がほとんどない…。
ほぼ一人で食器洗いとウエイターをしてイライラしていた私はジャーにこびりついていたおこげを盛りつけてお出しした。

以前テレビで「このおこげが香ばしくて美味しい〜」とタレントさんが食べていたのを思い出してのことだったが、土鍋で炊いたご飯でもないおこげが美味しそうに見えるはずもなく、すぐにクレームが来た。

しかし何故か怒られない。
店長「上の弁当屋さんでライス大盛り買って来て」

え?

この店に入ってから「え?」が何回かあったが、この日の「え?」はカルチャーショックだった。

家に帰ってから私は従姉妹に言った「もうバイト辞めたい…」
東京に不慣れなのに毎日夜遅くまでくたくたになるまで働いて心身ともに疲れていた。
「皿洗いも延々とだし、めっちゃ忙しい。今日なんて弁当屋にご飯を買いに行ったんだよ」

さすがに従姉妹もご飯を買いに行った話にはビックリしていたがそのとき言われた言葉が今でも忘れられない。

『店がつぶれるまでやれ!』

店が潰れるまでやれ、、店が潰れるまでやれ、、、店が潰れるまで……
衝撃的すぎて頭の中で言葉が何度もリフレインされた。

いわば私は居候の身、従姉妹の言うことには逆らえまい。
私は専門学校を卒業するまで焼肉屋さんでバイトすることを決意した。

それから数日後の明日は給料日と言う日の終わりの時間。
いつも通り「お疲れ様でした〜」と帰ろうとしたところで店長が皆を呼び止めた。

「え〜、今日で店を閉めます」

え?

もう突然すぎて何がなんだかわからなかったが、どうやら他の皆は理解していたようだ。
忙しかったのは店を閉めるので今までのお客さんが最後に押し寄せたこと、閉店すると知ったバイトが辞めて少なくなったのでバイトを募集して私が入ったこと、閉店間近なので米が無かったこと。それ、私には内緒だったこと。

道理で最後の賄い飯は豪華だったわけだ。
通常一品なのに冷蔵庫からどんどん肉を出してきたもんな。

斯くして、私は焼肉屋のバイトを店が潰れるまでやり切った。
一ヶ月だった。


上京当時のことを振り返って書いてみました。なぜバイトのことを書こうとしたかというと、このコロナ禍で今働いている職場がなくなりそうだからです。ただ従姉妹に言われた『つぶれるまでやれ!』をモットーに最後まで頑張ろうと思います。


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