囲碁史記 第95回 大阪時代の井上家(後編)
明治囲碁界から話が大正へとどんどん進んでしまうが、井上家について続けて語ってしまおうと思う。
十五世井上田淵因碩
明治三十九年(一九〇六)、十四世井上大塚因碩が没して二年が過ぎ、一門の話し合いで田淵米蔵が十五世因碩に決定。翌年春、大阪備一亭で披露会が行われる。
田淵米蔵は、明治四年(一八七一)に西宮市に生まれる。字は玉粒。
幼い時に大阪で医業を営む田淵家の養子となるが、九歳の時に養父を亡くし、中学に通いながら泊園書院に学ぶ。泊園書院は藤沢東畡が幕末期に設立した漢学塾で関西大学の源流の一つ、当時は東畡の子である藤沢南岳により再興されていた。藤沢南岳は方円社大阪分社副社長・泉秀節の追善会で詩を贈るなど囲碁界と関わり深い人物である。
田淵はその頃に囲碁を覚え碁席に通うようになったといわれ、十四歳で中学を退学し泉秀節に教えを受けている。秀節は入門を勧めていたが、米蔵は独学で十六歳の時に初段となり鬼童と呼ばれている。
その後、親戚の反対により十九歳まで囲碁界から離れ、十九歳の時に大塚亀太郎(十四世井上因碩)に入門。近畿東海を巡り歩き、明治三十四年に飛びつき四段を許されると、翌三十五年五月、三十二歳で五段となり、同六月に当時逗留していた四日市に師を招いて披露会を催している。
十五世を継いだ田淵因碩は神戸に移居するが、声名が揚がるにつれて責任を痛感し、度々上京し研鑽を重ねていく。その間、四十二年三月、田村嘉平五段昇段披露会(京都倶楽部)で広瀬平治郎(五段)に互先二局を連敗。六月には本因坊秀哉の来阪を機に先二で五番碁を打ち、四勝して先に手合が直り、さらに一局勝って五連勝を飾っている。なお、この年の十月には東京に出て一年間研鑽して、翌年神戸に帰っている。本因坊秀哉とはこうした経験を経て親交を結んでいった。
明治四十一年には井上家と神戸新聞が中心となり「関西囲碁会」が設立される。関西囲碁会はプロの連合会のようなもので、下部組織的存在として大阪研究会や神戸研究会があり、機関誌として「棊」が創刊される。主幹は「坐隠談叢」で知られる安藤如意である。
明治四十五年(一九一二)には井上一門、関西囲碁会の推薦で田淵因碩は六段へ昇段、十四世因碩の墓前に報告が行われる。翌大正元年十月十三日に神戸神港倶楽部で行われた披露会には、東京から秀哉、二代目中川亀三郎が出席している。
そして、大正五年十月十五日には秀哉、中川の推薦で七段へ昇段し、大阪備一亭で盛大な披露会が実施された。
ところが、翌大正六年十一月二十三日、田淵因碩は突然この世を去っている。
かねてから病弱であった因碩は、十一月十二日頃に風邪の症状が出て発熱、十八日には急性肺炎となり、二十三日に亡くなっている。四十七歳であった。
前月の十月十七日に神戸の神戸神港倶楽部で門下の鴻原正広の五段昇級披露会が行われ、そこで行われた秀哉との先二の対局が絶局ではないかとも言われている。
九月五日には先代本因坊の秀元が亡くなっていて、囲碁会ではまた一人重要人物を失うこととなった。
十六世井上恵下田因碩
十五世因碩が亡くなった際も田淵因碩が跡を継ぐのに二年かかったが、田淵因碩が亡くなると、再び後継者選びが難航することとなる。しかも前回より深刻な状態であった。
当時、井上門下で後継候補となりえる有力候補は、鴻原正広と恵下田栄芳の五段の二人であった。二人とも十四世大塚因碩の直門であったが、明治三十七年に大塚因碩が亡くなった際には、まだ低段で後継候補とはならず、四日市を拠点としていた田淵が跡を継いでいる。ちなみに明治三十七年当時、田淵は三十五歳、鴻原は三十一歳、恵下田 は二十一歳であった。
しかし、田淵と四歳しか違わない鴻原には井上家を継ぐ意志はなく、実質的に門下の中で最有力なのは恵下田であった。
恵下田栄芳
恵下田栄芳は本名を仙次郎といい、明治十七年(一八八四)に広島県安芸郡中野村で生まれる。十歳で碁を覚え広島市にて学んだ後、明治三十一年(一八九八)に大阪へ移ると、泉秀節に師事した後、明治三十四年(一九〇一)に十四世井上大塚因碩に入門して初段となる。二年後には飛び越しで三段となり、大塚因碩が亡くなり田淵米蔵が十五世を襲名するとその門人となっている。
大正元年(一九一二)には四段へ進み、藤沢南岳より「栄芳」の号を贈られた。大正四年(一九一五)には五段へ昇段し、披露会には本因坊秀哉も出席している。翌年からは度々修行のため上京し、大阪朝日新聞企画の東西対抗戦で広瀬平治郎と対局したり、万朝報、大阪朝日新聞の棋戦に参加するなど活躍の場を広げていった。
大阪を拠点に活動していた恵下田は、派手な性格で顧客から大変人気があり、神戸を拠点とする田淵因碩より稼いでいたという。
そんな恵下田ではあるが、師匠の田淵因碩は自分の跡目にするつもりは無かったと言われている。
「坐隠談叢」の実質的執筆者の山田玉川は次のように書いている。
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