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囲碁史記 第31回 六世本因坊知伯
本因坊知伯
本因坊知伯は宝永七年(一七一〇)に武蔵で生まれた。本姓は井口氏。五世本因坊道知が碁所に任命された翌年の享保七年(一七二二)四月に本因坊跡目として出願され六月に認可された。このとき十三歳である。願書によれば知伯は道知の甥となっており、手合は上手に二つ置く者(三段)に勝ち越しているとある。つまり跡目になったときは四段格であり、この年から御城碁に出仕している。
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知伯の死
享保十一年十二月より部屋住みで住人扶持を受け、翌十二年六月十日に五世本因坊道知が没したため、九月四日に家督を許され六世本因坊となった。
本因坊知伯に関して残されている資料は少ない。七年その地位にあったが、享保十八年八月、二十四歳のときに突然卒倒しそのまま急死してしまう。最終段位は六段であったが、特に残るべき業績も事件も無い。この知伯から本因坊家は三代に渡り二十代での死が続くこととなる。
知伯が倒れたとき、家族はすぐ医師丹羽正因と各家元に急報したが、それを待たずに亡くなったようである。安井仙角、四世井上因碩、五世林門入、丹羽正因は協議し、知伯の門人である佐藤秀伯を後継者に決め、急遽知伯が生前認めたという形式の願書を作り、因碩が総代として月番寺社奉行松平玄蕃頭へ提出している。松平玄蕃頭は知伯の死因に疑念を抱き、判元見届け役人を本因坊家に出向かせると共に、医師正因からも病症書を提出させたが、不審な点は無いとして死亡手続きと秀伯の後継を承認した。
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