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囲碁史記 第114回 大正期の囲碁の普及と廃止論


はじめに

 これまでも述べたが、明治維新後、西洋文化が流入すると、それまでの日本古来の文化は時代遅れという風潮が広まり、囲碁も一時衰退していく。
 しかし、世の中が落ち着いていく中、方円社という新しい時代に即した組織の誕生により、囲碁界は再び活気を取り戻し、日清、日露戦争という外国との戦いにより、日本の伝統文化が見直され、囲碁愛好家の人数も増えていった。
 大正三年に勃発した第一次世界大戦は、主戦場がヨーロッパに限られたため、日本の犠牲は少なく、青島、南洋群島のドイツ領占領などもほぼ無血で手に入れ、物資の輸出国などで企業は巨大な利益をあげていく。こうして出現した成金により華美な風潮が生まれ、囲碁においても、江戸時代には四寸八分を正すとしていた碁盤に、六寸もの、七寸ものが現われ、平べったかった碁石も、三分六、七厘といったものが出始めている。
 一方で、こうした風潮に反感を抱くものもいて、明治後期、囲碁の新聞掲載が増えていく中で、「囲碁亡国論」、つまり囲碁が国を衰退させると主張する新聞社も登場している。

囲碁廃止論を提唱した井上円了

 明治期であるが、囲碁の廃止論の代表例として、哲学者・井上円了について紹介する。

円了の概要

井上円了

 哲学者の円了は、越後長岡藩領の三島郡浦村(新潟県長岡市浦)の寺で生まれ、東京帝大哲学科在学中の明治十七年(一八八四)に哲学研究の目的で哲学会を発足。卒業後の明治二十年(一八八七)に哲学を中心とする高等教育のため哲学館(現、東洋大学)を創設した。
 明治三十八年(一九〇五)哲学館大学学長を辞し学校運営からは一歩遠ざかると、豊多摩郡野方村に、ソクラテス、カント、孔子、釈迦を祀った哲学堂を建設し、そこを拠点に巡回講演活動を行っていく。
 『妖怪学』『妖怪学講義』などで妖怪についての考察を深め、当時の科学で解明できない妖怪を「真怪」、自然現象によるものを「仮怪」、誤認や恐怖感など心理的要因によるものを「誤怪」、人が人為的に造った妖怪を「偽怪」と分類、迷信にとらわれることなく、仮怪研究により自然科学の解明などに取り組み、「お化け博士」「妖怪博士」などと称された。
 なお、井上円了は「囲碁廃止論」を提唱しているが、一方で明治二十三年に「哲学飛将碁」というボードゲームを考案して販売している。

囲碁廃止論

 円了が明治中期に提唱した「囲碁廃止論」について、論文を要約し紹介する。

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