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囲碁史記 No.1

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囲碁史研究家の視点により、囲碁の歴史を貴重な資料をもとに解説。 No.1は本因坊算砂から道策まで。
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#家康

囲碁史記 第5回 本因坊算砂と徳川家康

囲碁史記 第5回 本因坊算砂と徳川家康



算砂と家康

 本因坊算砂と徳川家康の関りについては信長や秀吉と違い、囲碁界の史料だけではなく徳川家の史料にも記されている。
 家康の囲碁の記述が初めて見られるのは家康の娘婿、奥平信昌の子で姫路藩主の松平忠明が編纂したと言われる史書『当代記』の天正十五年閏十一月十三日の記述である。前年には、家康と秀吉が大阪城で会見し、この年は秀吉が九州を平定、聚楽第が完成し、北野大茶会が催されている。
 さて

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囲碁史記 第6回 本因坊算砂の貴重な史料

囲碁史記 第6回 本因坊算砂の貴重な史料

 本因坊算砂の頃より、実に多くの囲碁史に関する文献や史料が遺されるようになった。今回はそれらの貴重な文献を紹介していこうと思う。

本因坊碁経

 上の本はこれまで古書業界ではただ単に「碁経」という題で流通していた。今までこの版本に題の付いたものが発見されていなかったことがその原因である。序文はなく一頁目からの詰碁集となっている。その柱刻に「碁経」と印刷されているところから、その題名がついたと考え

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囲碁史記 第8回 徳川政権の始まりと囲碁界

囲碁史記 第8回 徳川政権の始まりと囲碁界


江戸幕府成立直前の囲碁界

 豊臣政権の時代、碁打ちの有力な後援者は吉田社や神龍院などの寺院や大名たちであった。もちろん豊臣秀吉をはじめとする豊臣家の人々もそうであったが、大名では徳川家康、細川幽斎等があげられる。
 豊臣秀吉が慶長三年(一五九八)に没し、朝鮮侵攻中であった武将達が撤退してくると、秀吉の武将たちの間で反目や対立が顕著となっていく。秀吉が亡くなって二年後に関ヶ原の合戦が起こり、勝者

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